第2話

 妖精は不思議そうな顔で彼の認識を話す。


「俺らは俺らの世界によく似た世界を探して飛んで来たはずなんだ。だから、この世界には妖精がいるはずだし、お前が記憶喪失になっていることも理屈が通らない。」

「そんなこと言われても、妖精なんてフィクションでしか聞いたこと無いし、記憶喪失だってしてることに間違いないから。」


妖精は無言で僕を睨みつける。


「妖精なんてものがいるんだったら、確かに別の世界もあるんだろうなとは納得できる。」

「ああ。」

「俺らって言ってる時点でここに来てる妖精は1匹じゃないんだよな。」

「ああ。」

「お前らは何でこの世界に来たんだ?」


 鼠は首を横に振る。


「今は話せない。ただ、いずれは話すだろうな。まだ俺はお前をそこまで信頼していない。」

「ああ、そう。」


 鼠の方にも何か事情がありそうだが、今は僕と鼠しかいないし、関係性を悪くしてまで聞き出すようなものではないだろう。

 今は周りの状況を把握する方が重要そうだ。


「この世界は今、どうなってる?」

「知らない。俺もまだ来たばかりなんだ。」

「何で電車を運転しようとしてたんだ?」

「止めたかったのさ。俺の主が死ぬと、俺も死んでしまうからな。」

「お前の主はこの電車に乗っているのか。なら、そいつに会わせてくれないか?」


 鼠は僕を指差す。


「お前が主だよ。俺がこの世界に飛んだ瞬間に目の前にいたから契約したんだ。俺らはこの世界では、誰かと契約していないとなにかと困るんだ。」

「一方的な契約は契約とは言わないだろう。」

「いや、俺はお前と契約を結んだ。『俺と契約して、妖精使いになれよ。』と言っただろう。……そうか、覚えてないのか。」


 僕の表情を見て、鼠は言葉を止める。


「それで、妖精使いになって僕にどんなメリットがあったんだ?」

「メリットがあるというよりは、デメリットが無くなったというべきだろうな。俺と契約したことで、この世界でお前は死ななくなった。」


 妖精と契約しなくても、もとからあと80年くらいは死なないはずだったんだけどな。


「どうしてこの星の大気に耐えられないような生物が今まで生きていられたんだろうな。」

「まさか、空気の配分が変わってるとかそういう……?」

「そこまでは分からないけど、俺がお前に会った時、大気を取り込む器官に異常が出てたからな。きっとそうなんだろうと思って。」


 なるほど。息苦しくて死にそうなときに、契約をすれば死なないと言われて契約したわけか。それならあんな怪しさ満載の文句で契約を交わしたのも納得がいく。

 今は普通に息が出来ているように感じるが、契約を交わした時に肉体改造でもされたのだろうか?


「ところで……」

「なあ、質問はとりあえず置いておかないか?俺も説明しているのがだるいし、お前も腹が減ってるだろう。」


 言われてみればものすごく腹が減っている。とりあえず倒れた電車から出て、コンビニでも探すことにしよう。


「なあ、お前は何て名前なんだ?」

「俺はソノリティ。そのまま、ソノリティと呼んでくれ。お前は?」


 僕は自分の名前を思い出そうとするが、思い出せない。まさか、自分の名前すら忘れているとは思わなかった。

 まあ、世界が変わってしまっているなら僕の名前が変わったところで大した問題は無いだろう。僕は特にしっくりくる名前を思いつかなかったので、駅名をもじった名前を名乗る。


「僕はアズマだ。よろしく。」

「ああ。よろしく。」


 鼠は僕に手を差し出すが、握手するとソノリティの爪で手の平が切れそうだったので僕は手を出さないことにした。


「あ、そう言えば。」


 僕はポケットに入っている白い棒を取り出す。


「これはソノリティの物か?」

「それは……まあ、俺とアズマの共有財産みたいなものだよ。そして、妖精使いが妖精使いたる所以でもある。」


 僕にはそもそも妖精使いというのが分からないのだが。


 無言のまましばらく線路沿いの道を歩き、脇道に入るとコンビニが見える。青と緑の線が特徴的な看板のライトが眩しい。

 コンビニに近づこうとすると、激しく物を壊すような音が響く。


「敵か……。さあ、妖精使いとは何か、実戦で見せてあげよう。」


 足元からソノリティが僕に声を掛ける。


「ポケットにある棒を出せ。そして、俺のあとに続いて呪文を述べろ。」


 コンビニから、巨大な人型の影が飛び出す。看板のライトに照らされ、辛うじて表面に毛が生えていることが見て取れる。


「サル……か?」

「違う。使い手のいなかった妖精だよ。」

「僕の知ってる妖精と違う……」


 僕の言葉を無視してソノリティが短い言葉を紡ぐ。


彼我ひがの一部を譲渡し」

「彼我の一部を譲渡し」


 彼我って何だ?


「己を超越した存在へと自らを変質させることを願う」

「己を超越した存在へと自らを変質させることを願う」

 

 いや、そんな物騒なものにはなりたくないが。手の中で棒が強く光り始める。もしかしてこれは、謎の宇宙人と魂の共有をして怪物を倒すウルトラな人のようになってしまうのではないか?

 と思うが、僕の体が変化する様子は無い。代わりに手の中の棒が形を変え、不定形の光の塊へと変わる。


「刃よ。」

「刃よ。」


 光の塊が手の平に吸い込まれる熱い、不快な感覚。


「あれ?」

「あれ?」


え?なにか不味いことが起きてそうな予感がする。


「いや、今のは繰り返さなくていい。」

「そうだよね。何か起きてる?」

「本来なら、真っ白い剣が手元に出てくるはずなんだが……あー。呪文間違えたかもしれない。『我が白き武器を変質する権利を願う』だったか?」


 今言ったのと全然違うじゃん。


「今のは契約を交わすときの呪文だった。」

「白い棒は消えたけど。」

「『刃よ』のせいかな。」


 目の前で明らかに僕に敵対してるやつがいるのに、呪文の考察なんてしてる余裕はないだろう。


「こんな状態から、どうすりゃいいんだ僕は。」

「逃げろ……いや、殴れ!」


 まあ、こんな目の前に来てて逃げられるわけがないよな。ただ、殴ったところで手が当たる気すらしない。

 何かを殴るなんて、中学生以来だ。とりあえずどこかに当たれという気分でサルに腕を振るう。サルは僕の手を振り払うように手を横に振る。


「あ、これは……」


 僕が跳ね飛ばされる未来を幻視する。拳と腕がぶつかり合い、骨が折れるような衝撃が手に伝わっってくる。

 しかし、衝撃は僕の体までは伝わってこない。目を瞑って衝撃に耐えようとしていた僕は、なにが起きたのかとゆっくりと目を開ける。


「これは、傑作だな。」


 サルは地面に倒れ伏し、動かなくなっている。


「こいつはしばらく動けないだろう。まさか一発でここまで力が出るとは。手の平をこいつに当ててくれ。」


 恐る恐るサルの背中に触れる。


 サルの体がわずかに発光し、光の粒となって僕の体に入ってくるのを感じる。白い棒のときと同じ、熱いような不快感が二の腕まで流れ込む。

 これは、もしかしてサルが僕の妖精になったとかそういうことかな。妖精使いというくらいだ。妖精を手に入れる方法くらいあるだろう。


「あのサルはどうなったんだ?」

「俺のエネルギーになった。

 俺の世界の厚生局によれば、異世界に飛んだ妖精のうち、1体も融合しなかった個体の帰還率は9%なのに対し、1体以上融合した個体の帰還率は57%もあるらしいから……」

「から?」

「俺らの生存率がかなり上がったな。」


 妖精が元居た世界はいったいどんな世界なんだろうな。エンターテインメントとして異世界でデスゲームをやってるような倫理観のない世界でないことを祈るが。

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