第9話 見据える先
おじさんの身体が小さな人型の山に埋もれる。ぐちゃぐちゃと糸を引くような音が聞こえ、剥き出しの血管のようなものが肉の山のふもとから凄まじい勢いで伸びた。血管は緊密に絡まりあい、凄まじい量の血液を吹き出しながら次第に形を成していく。血管で編まれた手足の先、見上げるほどの高さにある血管網の球体には、かつておじさんだった真っ赤な液体を溜めた透明な袋がぶら下がり、数々の臓器を煮え立たせていた。恐怖に唖然としつつ目をそらすと、何体も重なり合って転がるように蠢く人間もどきの群れが肉管の茂みに隠れながら近づいてきていた。免疫の全てが私たちを敵視している!震える足を何とか抑え込み、アイリのもとに跳ねるよう駆け寄った。足元を濡らす血が跳ねる。
「アイリ!アイリ!寝てる場合じゃないよ!」
手足はまだ完治していないが、肋骨は腹にしまわれ背骨はまっすぐ伸びている。意識は取り戻せるはずだ。
「...え、うーん、.........あー」
「起きて!アイリ!」
混乱してアイリの折れた足を掴んだ。グニャグニャと手ごたえ無く、骨折の酷さを思った。
「......えっ?なに...っ!痛った!痛い痛い痛い...!ちょっと!」
呆けた表情で寝ぼけていたアイリの顔が苦痛に歪む。急いで手を離す。
「ああーっ!はあっああ...何、すんの、お姉ちゃ...ん!」
「ああよかった...じゃない!ごめんアイリ!やばいの!見て!私の後ろ!おじさん!」
言うまでもなく、アイリの視線は肩越しにおじさんだったものを見ていた。初めて見る驚きの表情に固まっている。
「なにあれ...あれ?あれがおっさんなの?何がどうなってんのよ...」
「おじさんがアイリを潰しちゃって!しかも銃を持ってて!私どうしていいか分かんなくて!おじさんを撃ったの!そしたらドロドロになって...それで...」
「どんなことしたらああまでなるのよ...?そもそも銃って」
「この筒!この先から弾が出て、当たると不死でも死ぬっておじさんが!」
その時背後で大きな重いものが倒れる音がした。血管網に人間もどきが群がっている。よじ登り張り付いて大きく手を広げたと思うとその中身が噴き出し、ただの皮となって血管網に張り付いた。あっという間に血管網を覆う皮膚の膜を形成し、人の皮を張り合わせた巨人が私たちのもとに大きく一歩踏み出す。皮のつなぎ目から血液が噴き出し、私たちの頭上に降り注いだ。
「とにかく逃げるよお姉ちゃん。私の代わりに裸馬に乗って」
「でも私乗ったことない...」
「教えるから!ここまで来れたでしょう!」
「...」
焦りを抑えながら慎重に裸馬にまたがる。裸馬の背中の筋肉にロープを突き通し、私とアイリを縛って固定する。深く深呼吸した。びちゃびちゃと降る血の量が増していく。
「いい?先導する人間がいないとき、裸馬は単純な動きしかできない。直進、転回、後退。でも、瞬時に命令を切り替えれば自在に操れる。それが裸馬の乗り方」
すぐ背後で皮膚のこすれる音と血に膨らんだ血管が千切れるぷつぷつ言う音が聞こえてきた。ゆらゆらと緩慢に揺れる動作に反して一歩が大きく素早い。
「どうやって命令するのアイリ!?」
「こうすんの!」
アイリが裸馬の背中を思いっきり噛みちぎり、白い繊維のようなものを引っ張り出す。切り離された肉塊に2本の前歯が残されていた。次の瞬間、意識だけが遥か上方まで弾き飛ばされたかのような錯覚とともに裸馬が飛び出す。固定したロープに胴体をぎちぎちと強烈に締め付けられる。
「どうすればいいの!?」
「その神経を持って!そうその向き手の位置を覚えて!右を握ったら右、左を握ったら左!障害物は勝手に避けるから方向だけ伝えて!」
あまりの振動と勢いに遠のきそうになる意識を掴んで何とか方向を伝える。ばたばたと左右に揺さぶられながらもバランスを何とかバランスを掴んだ。
「お姉ちゃん!」
「何!」
「どこ向かってるの!?」
「分かんない!でもこれだけ速ければ安心...あれ?なにこれ、気持ち悪っ!」
裸馬の足に蠢く血管が何重にも絡みつき蠕動している。足から血を吸い上げているようだ。突然がくんとバランスが崩れる。後ろ足の一本が丸々とロープのように太った血管に巻き上げられ干し肉のような土色に変色していた。
「お姉ちゃんナイフを!私はこっちをやる!」
両手が回復したらしいアイリは、駄目になった後ろ足を抱くような姿勢でナイフを突き刺す。空いた手で刃の背をぶったたき、力任せに筋肉を深々と切断した。後ろ足がぶらんと力なく垂れた。
「何してるの!?」
「こうしないと血ぃ吸われちゃうでしょう!止血するから大丈夫だって!」
筋肉の断面から垂れ下がった太い血管をまとめて掴み、固結びに縛り上げる。痛々しい光景だが裸馬の動きに別条はない。
「お姉ちゃん!前!」
アイリの行動につい目を取られたその隙に、人間もどきが立ちはだかっていた。あわてて左右に進路を切ろうとするも囲まれている!慌てて後ろを振り返るが巨人が追ってきている。
「私があいつらにメタン袋を投げる。隙間ができたらお姉ちゃんは思いっきり走り抜けて」
「分かった...!」
アイリが放り投げたメタン袋は人間もどきの腹に飛び込む。ぼすっという乾いた皮と皮の擦れ合う後に続いて、焦げた断片とと白くねばつく体液の雨が降り注ぐ。その合間を一気に直進で潜り抜ける。
「やった!やったよアイリ!」
「いいよいいよ!お姉ちゃん!もう裸馬乗れるじゃん!」
包囲を抜けたその先にも人間もどきは点在していたが、隙間を縫って走り抜けられそうだ。少し息をついたその瞬間、裸馬の横を進行方向に向けて小さな何かがかすめていった。
「え?」
筋肉に落下したそれは腐臭の蒸気を爆発的に放ち、高速で走り抜けつつ横目でその僅かな間にも辺り一帯を腐らせた。着弾点の周囲にいた人間もどきは即座に足元から黒ずみ、体液を垂れ流しながら地面に横たわるただの皮袋と化した。
「お姉ちゃんアイツだよ!血でおっさんの破片を撃ち出してるっぽい!」
振り向くと洪水のような血液が巨人の腹部から溢れ出している。銃弾はかすっただけでもその生物の全身を侵すとおじさんは言っていた。侵された肉体の破片でも相当に危険になるはず。加えて、巨人の動きは次第に早くなっている。今やその姿は裸馬に似た八本脚を形成し、背中に半透明に濁ったおじさんの袋を載せている。巨大さとゆるやかな上体の揺れが敏捷さを覆い隠しているが、油断すればすぐに追いつかれそうだ。必死に駆け続けるその横にまた着弾する。撃ち出された内臓、肝臓のような何かの輪郭がはっきり見える距離。精度が増している。腐臭の蒸気は裸馬をすっかり覆いつくしむせた。
「アイリ、逃げきれないかもしれない。集落に戻ろう」
「いいの?全部めちゃくちゃにする覚悟はある?」
「私がやらなくてもいずれアイリがやったでしょう?大動脈を壊すしかない。おじさんは生体構造物と一体になったって言ってた、殺すなら元を絶つしか」
「私は大賛成だよ。誰かの都合でどうなるか分かんない世界なんて飽き飽きだし。私ひとりでお姉ちゃんを連れ出そうと思ってたけど、一緒に行ってくれるならもっと嬉しいよ」
アイリは器用に上体を背後に捻り、メタン袋を投げながら言う。衝撃音とともに血の奔流が背後から押し寄せ、内臓の爆撃がしばし止んだ。
「私が動きを止めるから、お姉ちゃんは走る方に集中して!」
「うん!行こう!」
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