第7話 姉妹

「これがアイリの住居なの?」

「そうだよ。かっこいいでしょでっかくて」

 私の手足がすっかり回復するのと同時くらいに、アイリは足を止めた。連れてこられたのは、ばらばらと背の高い肉管によって周囲から視界を遮られた一帯に鎮座する、巨大な金属の円筒だった。片側が地面に突き刺さり、もう片側が斜め上に突き立ってその口を開いている。見上げる高さからロープが括り付けられ、内部に入れる仕組みだった。とにかく巨大で、白い。剥き出しになった骨の丘か、巨大な金属製のナイフにも見えた。2頭の裸馬を手際よく固定した後、アイリは慣れた手つきでさっさと登っていった。あとに続く私は、壁登りの経験を思い返しながらロープに縋り付いたけど、支える足場のない辛さにぴょんぴょんと跳ねるだけだった。見かねたアイリに引っ張り上げられる。

「よく途中までやってこれたねえお姉ちゃん」

「...頭を使ったのよ」

 ともあれ、私はアイリの居場所までたどり着いたのだった。


 円筒の中は等間隔に金属の骨が並び、内壁には細々とした網のように肉膜が張っていたが、力及ばず途中で途切れ、人工物の世界にその支配権を譲っていた。一番奥まったところに目を向けると生活の資材らしきものが雑然と集まっている。天井から皮紐で吊り下げられた大小さまざまな皮の断片。人間もどきのものに近い。くすんだ白っぽいドロドロした液体が並々入った金属製の円筒の群れ。いずれも大きさは私の膝くらいまである。見慣れない金属製の道具が大量に散乱し、あちらこちらで製作途中らしい何らかの道具の途中経過が転がって山をつくっていた。何の意味があるのか、肉管のぶつ切りを天井に縛り付け、体液を容器で受けているものもあった。恐る恐る奥に向かうアイリを追うと、集落を襲った時に使っていたメタン袋が無造作に放られており、無意識に踏んづけたときは思わず跳ね上がった。

「ひっ...!」

「それ中身入ってないから安全だよ」

「そういう問題じゃない!」

 いずれにせよ、全ての資源が大動脈から供給される集落とは違う生活を想像できないのと同様に、実際の住居を見てもアイリがどう生きているのか想像できなかった。ところどころに空いた穴から採光しているだけの暗闇も、窒息するような重苦しさに感じる。

「立ち話もなんだしさ、こっち来てよお姉ちゃん」

 アイリが寝床と称して招いたのは、床に直接敷いた旧時代の布を覆う形で皮の継ぎ接ぎが張ってあるだけのものだった。工作作業の痕跡なのか、そこら中が黒ずみ脂っぽく照りついている。唯一文明的に見える焚火は骨粉の土台の上に築かれ、細長い金属棒で串刺した謎の皮の群れを焼き、粘るような煙が上がっていた。アイリは見るからに不潔な布の上に勢いよく座り込んだ。

「アイリ、あなたどうやって生きてるの?寝るところはともかく食べるものは?こんなに汚くしてちゃだめじゃない。最後に片付けたのはいつ?どうしてこんな場所でくつろげるの...あ!ここ、こぼれてるじゃない!何の跡よこれ、固まってるし」

「えー知らないよそんなの。道具弄ってるときになんかこぼしたかも。ていうか何とかなってるんだからいいじゃん。これで2年くらいやってきたんだし」

「よくない!体悪くしたらどうするの。あなた一人なんだから誰にも面倒見てもらえないじゃない」

「お姉ちゃんが来てくれればいいでしょ?こうして私の居場所も分かったんだし」

「そういう問題じゃ...あっ?!」

 アイリに腕を引かれ、抱き寄せられる。

「そう?私はお姉ちゃんに来てほしいんだけど?」

「ちょ、ちょっと...離して...」

「なんかさあ、こうしてると昔みたいだね」

 アイリの顔が近づく。こうやって見ると見慣れた幼いアイリの顔は、なんとも大人びた風貌に変わっている。自信が刻み込まれたような顔。私の不安定さを見透かすようで妙に緊張し、動きが強張る。走るように嫌悪感が湧いた。アイリの自信に満ちた瞳が輝くにつれ、私の心が弱くなるような気がする。彼女と私は天秤のようだと感じた。アイリが浮けば、私が沈む。何でも自分でやってしまうアイリと違って私は集落からのお使いさえまともにできなかった。

「アイリ!お願いだから」

「えー...うん」

 名残惜しそうに一歩下がるアイリ。目はまっすぐ私を見据え、気圧される。

「アイリ、私はあなたに話があって、ここに来たの。こうやってうだうだと時間を過ごすためじゃない」

「真剣な話になっちゃうの?お姉ちゃんは意味もなく私に会いに来てはくれないのね」

「それとこれとは...話をそらさないで」

 不満げな表情でアイリが向き直った。

「アイリ。あなたは集落から危険視されてるわ。あなたが以前仕出かしたこと以上に、これからあなたが何をしようとしているのか。それを恐れてる」

「そんなのあのおっさんだけでしょ?」

「違うわ。集落の人全体が、不安に成り行きを見守ってる。表には出さないけど、以前とは違う緊張感をみんなが抱えてる気がする」

 アイリは退屈そうに体を前後に揺らしている。おもむろにその辺にぶら下がっていた長いナイフを掴み、手近な皮で拭い始めた。

「だからアイリ。集落になぜあんなことをしたのか、これから何かするつもりなのか。それを教えて頂戴」

「何って。またやるに決まってるでしょ。でも次はもっと決定的にやる。大動脈をぶっちぎったっていい。田んぼを全部腐らせてもいいね。とにかく、やれることは全部やる。まだまだ実験は続けるよ」

「そんなこと本気で...いや、あなたならそうよね。なぜそんなことをしたがるのか、理由は全く分からないけど、あなた自身はそうするだろうということくらい私にもわかる」

「さすがお姉ちゃん。そこまで私を知っているのに、どうして集落に固執するのかしら。あなたの大好きなアイリも、あなたのことを大好きなのに」

「変なことを言わないで。私たちだけの問題じゃないの。アイリのせいでたくさんの人が怖がってるし、私もあの時すごく怖かった。この世界はあなたの遊び場じゃない。実験って何よ。どうしてそんなに多くの人を殺そうとするの」

「別に死なないじゃん、あいつら。抵抗もしないし」

「そういう問題じゃないでしょう」

「そういう問題だよ。殺されてんのに抵抗もしないっておかしなことだって気づいてる?私が答える前にさ、お姉ちゃんはどうしたいの。どうせおっさんから私をどうにかして来いって言われてんだろうけど。説得しろとか殺せとかさ。お姉ちゃんは何しようと思ってどんなこと期待してここまで来たの」

 鋭い視線に射抜かれてたじろぐ。私がこの話に直接巻き込まれるなるなんて、思ってもみなかったように情けなくどもった。

「えっ...私は...アイリを探して、説得したかったから。もう一度集落に帰って、昔みたいに...」

 アイリに会いたかった、説得できると思った。殺すなんて想像もしていない。私なら...私なら?私にどんな力があると思ってたんだろう。結局アイリの手を借りてここまで来て、説得するどころか押しやられ、私はどんな期待を?

「へえ?どうやって」

「で、でも...私だって」

「私だって?」

 アイリはナイフを手に、鼻が触れるような距離まで近づいていた。体を密着させながら私の手にナイフの柄を押し付ける。火と焼ける肉の臭い、勝利した者の気配を漂わせながら。

「お姉ちゃんは今、私の漠然とした姿しか捉えられていないでしょう?そもそも相手を理解していないなら、結果がどうなっても同じこと。状況をコントロールしなきゃ」

 耳元でアイリがささやく。震える手に握らされたナイフの先にアイリの腹部が強く押し付けられている。尖った切っ先から血が流れ落ちた。

「アイリ...何を」

「私を殺してみてよ、お姉ちゃん。集落のためなんでしょう?これで解決」

「いや、でも」

「できないの?残念。どうせ私ももう死ねない体だし。一度くらいお姉ちゃんに殺されてみたかったのだけど」

「え...あなたももう不死に?」

 アイリはいたずらっぽく笑う。悪びれもない笑顔。子どもの時から幾度となく見た大好きな表情。今は破裂寸前のメタン袋のように見えた。

「そうなの。初めはもうだいぶ前だけどね、メタン嚢からガス採ってたらなんかの拍子に火いつけちゃって。意識が戻ったらお腹の真ん中から下が無くてさあ。もうすっごい焦っちゃった!怖くて、塊みたいな血を吐きながら久しぶりに泣いた。私は死ぬんだと本当に思ったよ。意識が遠のいてさ、薄くなってく感じ。昔読んだおっさんの本にもあったじゃん?そういうの。でも、一瞬だけ音が消えて、次起きたら全部元通りになってた。あー集落離れても結局こうなっちゃうんだと思って、後から思えばショックだった。お姉ちゃんはさ、死ななくなってから死んだことはある?死ぬの怖い?」

「それはそうよ...まだ死んだことなんてないし...」

 壁登りの時も黒いメタン嚢の時も回復の方が早かった。おかげで痛い思いは散々したけど、死に至ることはなかった。

「私はもう9回くらい死んでると思うよ。落ちて、溶けて、千切れて、焼けて...それで、これが10回目。今でもすごく怖いけど」

 アイリは私の手に持たせたナイフの刃を掴み、自分の喉元に引き寄せる。油断で脱力していた私は僅かな抵抗もなくナイフをアイリの喉にぐっと滑らせた。異様に切れ味の良いナイフで、薄膜を切るように脈を絶ち、なめるように気道を開いた。柄から感じるごりっとした軟骨の抵抗。意外にも自分を殺すその目は、言葉通りはっきり怯えていた。

「ごほごほ、ごぼお、ごぼ、ごぼっ」

 アイリは血を噴出しながら私にのしかかる。懐かしいアイリの暖かさ、重さ、存在感。全てが手の中で薄れていくのがわかった。胸と肩、抱く両手、腰回り、アイリの体温はさらさら流れる血液として私にしみ込んだ。

「アイリ!ああ...なんでこんなこと。私を苦しめて楽しいの」

「ごぼぼっ」

 アイリはぐったりと倒れ、その時確かに私の腕の中で息絶えた。

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