第6話 遭遇

 本当に少しだけの間だったと思う。吹っ飛んだ瞬間を覚えているし、肉体の激しい痛みも途切れなく感じている。意識を失ったというより、呆然としていただけなのかもしれない。ともかく目を覚まし、自分のしでかしたことをよく見つめた。メタン嚢は跡形もなく消し飛び、もやで底の見えない大穴が開いている。空を見上げれば、四本脚の鋭い脚の先端が天に輝く発光体の高さに突き刺さっていた。周りにはあらゆる形の肉片が転がり、灰白色の建物群は見渡す限りピンク色のぐちゃぐちゃが擦り付けられている。血の雨が降ったらしく、全てのくぼ地が真っ赤な溜まりになっていた。動くものはない。その時、さっと背後で音がして、慌てて振り向く。どうやら脚を1本失った裸馬が躓いただけのようだ。体中が体液と細かな傷にまみれているが、どうやら体内の荷物は安心のようだ。もやの晴れた爆発後からは、複雑に絡み合い拍動する青緑の太い線がかすかに見えた。見つめる惨事に酷く疲れて動き出そうとしたとき、自分の両足が根元から無いことに気づいた。左手は肘までの短さだった。何故だか痛みは遠い誰かのことのようで、取り返しのつかないことをしたかもしれないという焦りばかりが頭に浮かんだ。私にこんなことをする権利があったのだろうか?安易な考えでろくでもないことをしているんじゃないだろうか?アイリに嘲笑され、おじさんに失望される想像をした。

「ああー...ああう!ああ!はあっ」

 痛みが遅れてやってくる。耐えがたい痛み、死に至る痛みなんだろう。不死でも死の度にその瞬間を体験するのだろうか?初めて死を意識している。死んだ方がましだと初めて思った。

(一度の命だって不死だって、死を恐れなくなってしまえば死には慣れてしまうのかもしれない)

 また何か音がする。どうせまた裸馬だろう。半ば投げやりな気持ちで顔を上げると、奇妙で大きなものがいた。5秒毎に5秒間、体をぶるぶる震えさせる。ぶるぶると震える、白い、うねうねした塊。そうだ!おじさんの警句が叫び声のごとく頭に響いた。そいつは白く、全体的には丸い。球状の身体は無数のくねくねした触手に覆われ、人間もどきの大軍を引き連れ、無人の野となった黒いメタン嚢の大穴の前に陣取った。触手で人間もどきをひっつかんでは、背に生やした半透明の袋に放り込み、どろどろに溶かしていく。その体液を無数の触手の先端からシャワーのごとく放つ。あらゆる生傷に体液が降り注ぐたび、傷はふさがり血は止まった。私のところにも赤と茶色の混じるどろどろが飛んでくる。わずかな飛沫が左腕の切り口に付着すると、無数の小さな指が生えてきた。

「いやああ!気持ち悪い...気持ち悪い...気持ち悪い!」

 痛みも無視して、必死に右手で指の群れをむしり取る。一体あいつに捕まったらどうなるんだ?不死なのをいいことに、一生袋の中で溶かされるのでは?逃げなければ...そう考え腕から目線を離したその時、巨大な瞳と目が合った。白い奴の触手が体の左右に撫でつけられ、中央から現れた巨大な眼球が左右の目蓋で瞬きした。

「逃げなきゃ...!あっ」動きが止まる。腰に触手が巻き付いている。地面を掴んだ右手の力だけはもうどうしようもない。こんな最期は嫌だ!そうだ、銃は!?右手でガサガサと背中を探るが、焦りで上手くいかない。諦めが押し寄せ目を閉じたとき、慣れ親しんだ声が響いた。


「お姉ちゃん、えげつないことするねえ!私びっくりだよ!」

 アイリがいた。裸馬を駆り、真正面から笑顔でこちらに突っ込んでくる。無意識に右手を差し出す。

「つかまってえ!」

 伸ばした手は強く引き込まれて、あっという間にアイリに抱きかかえられる形になった。裸馬を駆るアイリは風のような速さで、追いすがる森のごとき触手の群れを翻弄する。爆発後の広場に駆け下り、白いやつと人間もどきの周辺をぐるぐる回り出した。追いすがる触手を器用にナイフで払いながら、アイリはロープの両端にナイフを結わえた奇妙な道具を両手に持つ。私を抑えていた片手が離れ、私はあわててアイリの体にしがみつく。アイリはナイフの片方を裸馬にぶっ刺して、もう片方を大穴の向かいにいる白いうねうねに投げ込んだ。見開いた目玉に深々と刺さるナイフ。固く閉じる目蓋がナイフを固定する。そのまま白いやつの周囲を回って縛り上げていく。バランスを崩した白いうねうねは地面に転がり、そのままアイリの裸馬に引きずられて大穴に落ちていく。人間もどきはただ周辺をうろつき、何の意味があるのか互いに抱き合って地面に溶け出した。

「すごい...すごいよアイリ!とんでもなく強いじゃない!」

「よくあることだしねー。この辺りは変なのいっぱいいて免疫ぐちゃぐちゃだから、もう向こうも見境ないよ。動くもの皆敵!みたいな」

 一旦停止し、アイリの腕でひっしと抱きかかえられた。

「知らんけどさ、こんな好き勝手やられてたらこの世界やばいんじゃないの?でかくても生物なんだし。まっいいけど、ねっ!」

 アイリが思いっきり力むと、裸馬も一体になって跳ね飛び、フルスピードでまた駆け出す。

 勢いで危うく吹っ飛ばされそうなところ、宙に浮いたままぎりぎりでアイリの腕を掴んだ。

「ちょっとアイリ危ないって!落ちたら死んじゃうよおもっとゆっくり」

「不死からそんな言葉が出るとはね!だってしょうがないでしょ。後ろ見てよほら」

 メタン嚢の爆心地は穴のふちから変色し、水気を失ってかさかさしていた。吹けば飛びそうな弱弱しさだ。変色は静かに、しかし走るような速さで広がっていく。私たちのもとにもその波は押し寄せ、駆ける裸馬のそのスピードも心もとないくらいだった。

「なにこれどうなってるの?!」

「ここら一帯を放棄してるんだと思う。損傷が激しいから治せないみたい。お姉ちゃんの大活躍でこの世界の安定感はまた少し傾いたわけね。いくらでかい生物だってたくさん傷ついたら死ぬんだろうしさ」

 アイリは軽快に裸馬を駆りながら淡々と言う。建物の残骸にまみれた道なき道を意にも介さず、慣れた足取りで振り向き喋りながら高速で跳ね進んでいった。

「そんな、私のせいで大変なことに」

「気にしないでもいいんじゃない?どうせあのあたり真っ黒に腐って免疫も機能してなかったしね。むしろここらで切り落とせてラッキーでしょ。にっくき病原も粉みじんだしさ」

 ふと後ろを振り返ると、変色の波は随分失速していた。遠目で見るに、爆心地からちょうど大きな円形に変色が広がり、中心部分から徐々に崩落を始めていた。茶色い霧のような粉塵を巻き上げつつ拡大を続ける穴はどこまでも暗く、引き込まれそうだった。圧倒される視界に、私の連れてきた裸馬が減った足でどたどた着いてくるのが見えた。どこまでしぶとく頑丈で、ぶれない奴。裸馬に乗ることができたなら、せめてアイリと並んで歩くことくらいできただろうか。

「私も裸馬に乗れたらいいのに。アイリが羨ましい。どこへだって行けるでしょう」

 太ももの半ばまで再生した両足を眺めつつこぼれる。何度でも再生する四肢だって、私が使うんじゃ遠くにいけないように思えた。

「練習したらいいよ。いつまでも変わらないために死なないより、どこまでも行くために死なない方がいいと思うよ」

 アイリは前を見たまま言った。道は随分平坦になっていた。

「...そうだね。それがいいかも」

 アイリは走り続けた。

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