第4話 出発

 骨の階段を上り、講堂に戻る。出入口で振り向いた時には地下への入り口が閉じていて、今までのことは夢のように感じた。

「家に戻ろう。出発の準備はしてある」

「うん...」

 道行く人、臓袋を台に空ける人、田んぼの世話をする人、通り過ぎるたびあらゆる人が少しだけこちらを見た。少しだけ、目が行き交うくらいに。全員、私の向かう先を既に知っているのかもしれない。少し嫌だなと思った。集落には争いはない。物心ついた時から、アイリと喧嘩するくらいしか争いというものを知らない。誰もが協調し、互いを立てあう。昔は安心を感じていたけど、今となっては意思のない目が少しだけ怖い。生体構造物というう一つの生物を生かすため生きるであれば、それも普通かもしれない。しかし、あまりに受動的すぎる。もし私がアイリとの接触を拒んでも、彼らの反応は変わらないだろう。ただ受け入れ、集落全体で取るべき行動を取るのかもしれない。ボロボロの絵本で読んだお話を思い出す。それは集落とアイリの戦いではない。生体構造物という巨大なドラゴンと、小さな子供の戦いとなるはずだ。なんとなくアイリに肩入れしている自分に気づいた。


「荷物は全て裸馬に載せる。内容だけ確認しよう」

 家に着くなり、おじさんは荷支度にかかった。想像できる限り必要なもの全てが準備されており、おじさんの寝床にいっぱいいっぱいの道具が詰め込まれていた。見たこともない数々の探索用装備とと、旧時代の素材で作られた貴重な用具もちらほら見られる。身が引き締まる思いだった。

「シャリは外に出るのは初めてだろう。多すぎるかもしれないが、何が起きても大丈夫なように準備してある」

「おじさんは集落の外に出たことがあるの?」

「ああ」

 意外だった。集落で暮らす人は外に出てはいけない決まりのはずなのに。大動脈から離れると危険を呼び寄せるとはよく言われたものだ。

「初めにこの世界に来たとき、集落を構える前に周囲を視察したんだ。安全だとは分かっていたが、言ったように何もかもが予定外だったしな。大丈夫だ、注意していれば危険はない」

 言いながらおじさんは荷物を改める。大きな臓袋に背負うための布が括り付けられたもの、アイリのもののように鈍く輝くナイフ、先端を尖らせたU字状の骨を縛り付けた長いロープ、そして食料を干したもの、などなど、色々あったがどれも頑丈そうだ。

「この肉版には危険に備えるための行動を記してある。例えば、血の流れる新しい傷口があったら身を隠せ、黒く変色したメタン嚢は不安定だから近づくな、ぶるぶる震える白いものがいたらとにかく逃げろ。そういうことが書いてある。骨をくくったこのロープは移動に使え。肉に食い込むとなかなか離れないようになっているから、高台に行くときなんかに支えにするといい。ロープも衣類用の干し皮で編んであるから、旧時代のものより頑丈だ。この鉄棒はナイフの柄にさせるようになっていて、いざというときは武器にできる」

「武器を使わないといけないことがあるってこと...?」

「何度も言うが、目印にさえ気を付けていれば危険はない。説明するなら、集落の外は生体構造物そのものの身体だ。至る所に免疫体、つまり異物を攻撃的に排除するシステムが存在している。集落を離れた人間は異物と判断されかねない。互いのテリトリーを犯さないことが重要だ」

「それって大丈夫なのかな...?」

 思いのほか自分が無謀な冒険に出かけようとしている実感が湧いてきた。私の心配をよそにおじさんの説明は続く。おじさん自身それぞれの装備に詳しく、思い入れがあるようで個別の説明にエピソードと実用例が混じり、とても長かった。あまりにも徹底した準備は、それ相応の危険に備えたもののように感じて、むしろ恐怖感が募った。私自身は、10歳くらいの時、アイリと遠くに出かけてみたことを除いて集落の外に出たことはほとんどない。田んぼで見るより何倍も大きい肉管と絶えず収縮する近寄りがたいメタン嚢に視界を囲まれ、古さびた巨大な骨の丘、まだら模様のしなびた筋肉、見たこともない質感の切り立った何か、聞いたことのない不規則な鼓動の音、膨大な血流の轟く音、そして奇妙なこすれる、落ちる、ぶつかる音、音、音。何かが自分に迫ってくるような酷い恐怖を感じ、アイリの手を引くのを忘れて逃げ帰った。軽い行方不明騒ぎになりとんでもなく怒られた記憶がある。おじさんに連れられてきたアイリは平気そうな顔をしていた。二度目の行方不明がこんなことになるとは、その時は夢にも思わなかった。

「なんにせよ、注意は怠らないことだ。不意に迫る危険よりも複雑な地形に迷う方がはるかに怖い。俺たちは不死だが、だからこそ永久にさまようことはあり得る」

「まだ不死の実感もないけど、外で迷うことの怖さはわかるよ。気を付けるね」

「良い心がけだ。あとの装備は普段使いのものばかりだから大丈夫だろう。裸馬に積むぞ」

 普段農作業で使う裸馬の、筋肉の隙間に空いた収納用の空間に荷物を積んでいく。複雑な地形を奇妙な動きで素早く突破する裸馬に荷物を積むには、肉体そのものに収納するのが一番安全だ。見るうち、おじさんは荷物を詰め終わっていた。いつものように裸馬は微動だにせず、ただ呼吸している。生物っぽい見た目をしているが何かを考えることはできず、ただ命令に従う。成人3人分を超える体格と剛健な8本脚に乗った単純な楕円形の肉塊にはどうにも人工的な気配がした。

「お前の後についていくようになっている。指示した場所までどんな地形でもついてくると思うが、くれぐれも乗らないように。こいつらは加減を知らないから、どこまで吹っ飛ばされるか分かったものじゃない」

 集落でも、たまに移動中の裸馬に跳ね飛ばされる人がいる。体のそこここがくちゃくちゃに折れ曲がり、しばらく立てないくらいには痛そうにしていた。

「アイリはどうやって乗ってたんだろう」

「分からない。遠目に見た様子だと奇妙なリズムで裸馬の背を叩いていた。動きに合わせて細かく指示を出しているのかもしれない。いずれにせよ、試してみようとは思わない方がいい。危険すぎる。ただ、もし危険な場所に閉じ込められたり身動きが取れなくなった時は手振りで指示を出せる。自動走行になり、出せる限りの全速力で集落に向かわせる機能だ。警告として使え」こうだ。と裸馬から背を向けて手振りの見本を示した。

 よし、とおじさんが言って裸馬を離れた。手には銃を持っている。

「これだけはお前が持っておけ。その背嚢に差しておくといい。絶対になくさないように」

「分かったよ。危ないし、使うつもりもないしね」

「シャリがいない集落は寂しくなるな。お前が寝込んでいる間も、集落は色を失ったようだった。もう一度お前たち姉妹がこの集落で過ごしている姿を見たいものだ。アイリの行動は集落にとって度し難いが、俺はアイツを憎めない。シャリ、頑張ってくれよ。田んぼのことは任せろ」

「うん。おじさんが期待するようにできるか分からないけど、私もアイリに会いたい。とにかくアイリの考えを知りたい。もう一度昔に戻れるように。行ってくるね」

「気を付けてな」おじさんは私の行く先をまっすぐ見つめて言った。

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