第49話 岩田翔真の告白2
茜さん、という女の人のことを僕はきっと1パーセントも分かっていなかったのだと思う。
うちの家の前あたりをいつもうろうろしている、挙動不審な変な人。それが彼女の第一印象。綺麗な顔立ちをしているのに、前髪が長くて眼鏡であまり顔が見えない。それが最初は怖かったけれど、話してみると普通の女の人で僕は少し驚いた。
兄さんに片思いをしてる彼女は、愛の形は少し歪んでいたけれど、普通に恋愛を楽しむ一人の人間だった。最初はストーカーなんてよくないよ、みたいな話から始まって、だんだんと僕は彼女と仲良くなっていった。
僕は彼女から兄さんの恋人の話をよく聞いた。
兄さんの恋人はたまに僕の家にやってくる。綺麗な女の人だった。甘え上手な猫なで声が、僕の耳をぞわりとくすぐる。僕を懐柔しようとする優しい言葉が気味悪くて僕は彼女とちゃんと話したことはなかったけれど、ただの食わず嫌いみたいなものだったのかもしれない。
でも、当時は兄さんを奪った悪女にしか見えなくて、茜さんとその話でいつも盛り上がった。兄さんの恋人はマウントをとるのが上手な人だったらしい。茜さんが好意を持っているのを知った瞬間、仲が良かったはずなのに行動が一変したみたいだった。兄さんに近づくことを許さない態度はきつく、やがて彼女は「見ている」ことしかできないストーカーへと変化してしまっていた。
「しかも、あの子はあたしの悪口を吹き込むんだ。いつも」
「悪口?」
「半分は間違ってないんだけどね、あたしはきもいし地味だし、岩田に似合わないってのは分かってるんだけど。でも好きな気持ちくらい持っていたっていいじゃん。それでも、あの子はあたしが岩田に好意をもってることすら許せなかったみたいで、だから陰であたしが彼の悪口を言ってるだとか、他の女子に酷いことを言ってるだとか、根も葉もないこと吹聴してあたしの価値を下げてるみたいだった。こんなのでいちいち傷ついてたら心もたないけどね。ははっ」
「……なんていうか、好きな人に誤解されるのってきっと辛いんだろうなって、思う」
「翔真くんはまだ小学生なのにすごい大人な考え方してるよね。すごいね」
ははは、と腹から声を出して笑う茜さんは前向きで、落ち込んでいる姿を僕はあまり見ることはなかった。それは僕の前では弱いところは見せたくなかったからなのかもしれないけれど、僕は彼女のことが嫌いじゃなかったし、むしろ兄さんを純粋に好きだという気持ちが言葉の節々から伝わってきて、きっと心の中では彼女の恋を応援していたのだと思う。
だから僕は、ひとつだけ。本当は言ってはいけない兄さんの秘密を彼女に教えてしまった。それがすべての引き金で、なぜ茜さんがあんなことをしたのか、兄さんが茜さんをあれだけ恨んだのか、その答えを知っているのは僕だけになってしまった。だけど、僕はそのことをずっと口外することができずに、一人ずっと苦しんで、そして兄さんはこの世界からいなくなってしまった。
僕がすべてのきっかけを作ったのに、僕が悪かったのに。
僕がこの世界を壊す「秘密」を喋ってしまったばっかりに、みんなが傷ついて、そして兄さんが死んだ。
兄さんが本当はどう思っていたのか、僕は知らないまま。
僕は最後まで兄さんのいい弟でいた。僕は結局自分に都合のいい言葉しか話さず、全部人のせいにしたのだ。
僕と話したい、とあの夏の事件の当事者のひとりである西倉さんという女性から連絡が来たとき、僕は不安と恐怖と、ようやく解放されるという安堵で感情がぐちゃぐちゃだった。許されたい。
許されたい、許されちゃだめだ、許されたい。
きっと僕は一生、幸せになることはできない。それでもいいから僕は許されたかった。
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