五章 夏の終わりの小さな復讐

第41話 二度と戻ってこない

 病室から西倉が消えた。帰ってきたのはそれから2日後、病室のベッドで彼女は眠っていた。目が覚めたとき、俺の顔を見た彼女は小さく笑って「ごめんね」と言った。何に対して謝っているのか分からなくて、俺は何も返答できなかった。

 病室を訪れる大人たちが警察だと気づいたのはそれから何日か経ってから。西倉が何も話さないからか、彼らは病室を幾度か訪れたあとぱたりと来なくなった。

 被害届を出すか出さないか、という話が病室の外に漏れて、俺はそのときに初めて彼女が病室を抜け出していた間に起きた事件のことを知った。


「なんでそんな無茶なことしたんだよ」

「……なんでって、うーん、なんでだろうね」


 へらっと痣だらけの顔で笑った西倉に無性にイライラした。どうして俺にひとつの相談もなしにこんな危ないことをしたのか、そんなの分かってる。俺が頼りないからだ。俺が信用に値しない男だからだ。

 西倉は俺の怒りを隠せてない表情を見てまた「ごめんね」と言葉を漏らした。俺はそんなことを言わせたいわけじゃないのに、西倉にこんな顔させたいわけじゃないのに。


「茜のことを私は分かってあげられなかった」

「それはさ、仕方ないことなんじゃねえの。だって所詮は他人じゃん、自分とは考え方も価値観も違う人間をすべて理解するなんて無理だろ」

「でも、もしかしたらさ、青山くんならできたかもしれないじゃん」

「……?」

「青山くんなら茜の欲しい言葉を言って、茜のことを救ってあげられたのかもしれない。茜はそれで満足して、一歩前に進めたかもしれない。でも、それが茜のためになると思わなかったの。私はきっと心の中で茜も私たちと同じように傷つけばいいのにって、そう思ってた」


 西倉の心の真っ黒な部分を、初めて知れた気がする。

 ペットボトルに入った水を飲みながら、西倉は小さくため息をついた。


「青山くんに対しても、もしかしたらおんなじことを考えてたのかも。本当はもっと傷つけばいいのにって」


 俺の知ってる西倉はそんなことを言わない、物静かな優しい女の子だった。

 でも、そのせいでがんちゃんは死んだ。俺と茜のわがままに「いや」と言えずに西倉は大切な友達を失ったんだ。

 がんちゃんが死んでからだ、西倉がこうやってちゃんと自分の意見を言うようになったのは。茜の付き合いで話したとき、西倉は茜のうしろに隠れてあまり喋ってくれなかった。地味な女、だと思っていた。きっと、俺は彼女のことを馬鹿にしていたんだ。自分のほうが上だと優位になったと勘違いして。


「私は後悔してる。岩田くんの忠告をちゃんと聞いていたら、こんなことにならなかった」

「そんなの、仕方ないことじゃ」

「でも、一番後悔してるのは知ろうとしなかったことだよ、茜のことを」


 彼女が手に持っていたペットボトルが落ちて、中に入っていた水がびしゃりと撒けた。俺は急いで近くにあったタオルで布団を拭いて、大丈夫だよと言った。西倉は時が止まったように俺の様子をじっと見ていて、また譫言のように「ごめんね」と言った。


「茜を助けてあげられなかったの、わたしは、傷つけただけ、何もできなかった」


 頭を優しく撫でるとボロボロと涙をこぼして、彼女は布団にくるまった。

 ひくひくとしゃくりをあげながら、背中を震わせながら西倉はずっと泣いている。震える彼女の背中をゆっくりさすりながら、俺は「大丈夫だよ」と何度も何度も耳元で囁いた。ごめんね。西倉は何に対して謝っているのだろう。


 茜のことを見捨てることができない優しすぎた彼女を、俺は慰めることしかできなかった。



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