第40話 タイムアップ
「なに、やってんの」
背後から聞こえた冷たい声に、私の背筋は一気に凍り付く。
ノートを握りしめたまま、私はそっと振り返った。ベッドに座ってこちらを凝視する茜の顔は怖くて、ひゅっと変に息が出た。
「なにも。なにもしてない」
「嘘じゃん。何もってんの、それ」
「なに、って。だから、何も」
背中のうしろに隠したノートに茜はきっと少し前から気づいていたのだろう。集中して読んでいたから、茜が目を覚ましていたことに全く気付かなかった。
「別にみられて困るものじゃないから、別にいいけどさ」
「……」
「でも、勝手に見るのはいけないと思うんだよな。詩織だって嫌でしょ?」
「……私がやめてって言って茜がやめてくれたこともないのに、それを言うんだ」
「人にされて嫌だったことをやり返す詩織も詩織じゃない」
必死に言い返そうと言葉を探す私はとても滑稽だった。
やっぱり私も他の人間と変わらない。自分が可愛いから、全部を他人のせいにしようとする。
ちゃんとごめんと謝っていたら、こんな気持ちにならなかったのかな。ううん、謝ったら謝ったで茜は私のことを馬鹿にするから絶対嫌だ。
「この好きな人ってさ、岩田くんだったの?」
「……そうだったら?」
「なんていうか、好きだったら何をしてもいいわけじゃないと思う」
「……詩織は恋をしたことがないからわかんないんだよ」
鋭い針を手首に何百本も刺されたみたいに、じわじわと痛みが込みあがってくる。痛いところを突かれたんだと思う。私はそれに対してだけはどう言い返せばいいか分からないから。
愛だの恋だの、私にとってそれは人に合わせるために作り上げる仮の感情であって、本気で人を好きになったことがない。何で好きになれないのか、私はよくわかっていた。
きっと、私は。
「だって、詩織は他人に興味ないんだもんね」
にんまりと笑って私の急所を言葉のグーパンチで殴る詩織は、本当に悪魔のようだった。
「あたしのことも、ただ友達にならなきゃいけない~みたいな責任感で付き合ってたでしょ、わかってんだよこっちだって。だから、あたしもそういう風に対応したでしょ。あんたが望むように友達でいてあげた、満足した?」
「……」
「詩織はいい子ちゃんだもんね、あたしを悪にして自分が正しいことにしてなきゃ生きていけないんでしょ」
「……そんなことない」
「あたしのこと助けたいとかそういう偽善みたいな考え方は早く捨てて、自由になったほうがいいと思うよ。あたしと詩織の考え方は正反対だもん」
見下ろす茜の顔は優しく笑っていて、毒が詰め込まれたその言葉に私は嗚咽した。
「好きだったら何をしてもいいわけじゃないよ。それなら、彼女だってそうだったんじゃないの? 岩田も詩織も知らないでしょ、あの子があたしに何をしてきたのか、だって片方の意見しか聞いてないんだから」
夏目茜という人間の一パーセントも私は分かっていないのだと思う。一緒にいた二年の日々は、偽善に似た友情で塗りつぶされていたから。
部屋の扉がきいと嫌な音を立てて開いた。ぱちんと電気がついたと思うと、そこには詩織のお母さんがいた。その後ろには、警察なのか二人組の男性が立っていて、私は茜の方を見た。
「残念」
時間切れだね、茜がそう言って悲しそうに笑うから、私は助けようとしてくれただろう警察の手を払って茜のもとに向かおうとした。だけど、私の痣だらけの体を見てしまった大人たちは私の気持ちなんて優先してくれない。無理やり茜と引きはがされて、私は茜の部屋からの監禁をとかれた。
ドアの前で両手で顔を覆いながら泣く茜の母親の姿が見えて、私は何も言ってあげることができなかった。「ごめんなさい」すれ違う時に小さく聞こえたその言葉に、わたしはそれは茜に言ってあげるべきことだと思った。
私は彼女の何も知らない。――かぶった猫の皮膚の色を知ってるだけ。
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