第39話 許してくれない
体中が酷く痛かった。殴られた頭部はじんじんして、手を当てると赤い血がこびりついた。恐怖、というよりは驚きのほうが強かったのかもしれない。だから、私はこんな状態なのに何故か口角があがったんだ。
あたりをきょろきょろ見渡しても、茜の姿はそこにはなかった。私はぐっと手に力を入れて、ようやく起き上がる。ふう、と息を吐いたと同時にベッドの布団が、がさりと揺れたことに全身が震えた。
起き上がって確認すると、茜はベッドで寝息をたてて眠っていた。私が目元近くで手を振っても起きる気配はなく、安心したのか気持ちが少しだけ緩んだ。
「何やってんだろ、私」
茜の寝顔を見ながら、私はぽつりとそう言葉を漏らしていた。
拘束されていたロープもそんなにきつくは結ばれていたわけではなかったから、彼女の目がない今のうちに外す。だけど、手首と足首には赤い線が入っていて、皮膚を強くこすっても消えることはなかった。
彼女の勉強机の上に一冊、ノートが置かれていた。勉強用のノートにしては分厚く、表紙がデコレーションされていて可愛いもので、それになんだか使い古されたようにも見えた。勝手に見るのは悪いと思ったけれど、私の手はページをめくっていた。
「好きなひとができた。見てると胸がどきどきする。きっとこれは恋だ」
「今日も声をかけられなかった。おはよう、くらい簡単に言えるはずなのに」
「今日は一回目があった。びっくりして逸らしてしまった。勿体ないことをしちゃった」
「ほかの女子と楽しそうにしゃべっているところを見てしまった。声すらかけられない自分が恥ずかしい」
「うじうじしてる自分が情けない。もういっそ、告白でもしちゃおうかな」
「振られた。いや、わかっていたけど、期待してしまった自分が馬鹿すぎてつらい」
「もう何も考えられない。学校に行きたくない」
「死にたい」
ノートは茜が中学のときのものだった。この告白した相手の名前は最後まで書かれていなかったけれど、私はすぐに誰だかわかった。
「彼女ができたっぽい。どうしてあたしじゃないのかな」
「あの女さえいなかったら、あたしは彼のそばにいられるのかな」
「避けられるようになった気がする。なんで、あたしがこんな目に合わなきゃいけないんだろう。あの女のせいかな」
「こんなにも好きなのに、あたしのほうが絶対にもっと好きなのに」
「彼女になった奴に近づくな、と言われた。意味が分かんない。振られたからって声をかけることすら許されないの。あの女死ねばいいのに」
「あの女、どうやって消そうかな」
「歩道橋から落ちたらしい。別にあたしがやったわけじゃない」
「死ななかったらしいね。運がよかったんだ」
「彼があたしに話しかけてきてくれた。すごく嬉しかった」
「何の話をしたか、あんまり覚えてないけど、久しぶりに喋れてラッキーだった」
何を読んでいるのか、まったく分からなかった。
だけど、吐き気がとまらなかった。ふわふわな文字列は残酷な描写をいともあっさり全年齢向けに変えて、私の頭をおかしくする。
私はそれを読みながら、岩田くんの発言を思い出していく。
「もう、大事な人が傷つけられるのは嫌なんだ」気障な発言だとそのときは思った。茜がそんなことすると思っていなかったから。
続く文章も、結局「好きな人」に関わる人をひとりずつ潰していく様子が書かれているだけで、私の知っていた茜はそこにはいなかった。
そして、最後のページに書かれてあった言葉に私は震えた。このノートをごみ箱に投げ捨てたいくらいの怒りが、ふつふつと腹の底から湧き上がってくる。
「飽きた」
それは、恋だったのだろうか。何に満足して、何に飽きたのだろうか。
恋は盲目なのかな。私がその気持ちを分かってあげられないのがダメなんだろうか。私はどうして茜のことがこんなにも嫌いで、こんなにも憎いのに見離せないんだろうか。
青山くんも茜も救いたい。岩田くんに生きてほしい。ずるいことばかり考える。もうどうにもならないのに、私は幸せになるはずだった未来を考えずにはいられなかった。
なぜか涙が出た。岩田くんが好きだったとか、そんな簡単なものじゃない。恋とか愛とか、そんな私にとってはちゃっちいものじゃないんだ。
私は大事な友達を失った。たった一人の、私のことを「大事な人」と呼んでくれた彼を。
許せない。だけど、許さなければいけない。
茜のことを許してくれるのは、私じゃない。――岩田くんだけ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます