第36話 冬に終わる3

「知りたいことがあるの」


 横たわったまま身動きができない私をみおろす茜に、私は恐怖を抱きながらも腹を括って声をあげた。「なに?」冷たいその返事には私の知っている茜はもういなかった。私の知らない、岩田くんが言っていた「危険」な茜。彼女は私の顔の前に座ってさっき母親が持ってきたクッキーを食べ始めた。


「なんでこんなことをするの?」

「……なんで、って、うーん。なんでだろうね」

「私のことを拘束して監禁しても茜がやったことは悪いことだよ。私が言わずともそれはわかるでしょ」

「うーん。それはわかるよ。私って酷い奴だなって、そんなの自分自身が一番よく分かってる」

「じゃあ」

「でも、あたしが後悔して岩田にやったことを悔いても、詩織は許してくれる?」

「……え?」

「春馬だって私がやったことを知ったら、私のことを嫌いになるでしょ。許してなんかくれないじゃん。意味もないことをしたくない」


 茜が何を言っているのか、よくわからなかった。

 平気な顔で、ぼりぼりとクッキーを食べる茜は、ヒツジの皮をかぶった殺人鬼のように思えた。岩田くんが何度も何度も耳にたこができるくらい言っていた「危険」を、いまようやく理解できたのかもしれない。

 


「……茜は、岩田くんのこと好きだったの?」

「詩織にはそう見えた?」

「本当にそうだったら、好きな女の子に嫌がらせする小学生男子レベルの人間だなって思うけど」

「詩織ってあたしのこと馬鹿だと思ってるよね」

「うん。思ってるよ」


 体の動かない横たわった私の口元にクッキーをもってきて、茜は「あーん」と言った。よくわからずに私は口をあけると、彼女はそっと私の口にそれを入れた。

 

「美味しい?」

「おいしいけど」

「うちのお母さんね、料理上手なんだ。とくに最近はお菓子作りにはまってて」

「……それが、なに」

「べつに、なにも」


 口に入ったクッキーを噛み砕いて唾液と一緒に飲み込んだ。茜がくれたクッキーはチョコレート味でほどよく甘く、サクサクした触感は既製品と遜色のないレベルに感じた。

 大事な話の途中で余計なことをはさむ茜は、冷静なのか動揺しているのか、よくわからない。もしかしたら、ただ飽きただけなのかもしれない。

 茜は私の頭をまた掴んで、髪を束でがっと握った。血の気が引いたのと同時に、茜の手が緩んで優しく撫でるように私の髪を手ですいた。


「あたしは最後まで詩織はあたしの味方なになってくれると思ってた」


 窓の外はカーテンで遮られて見えないはずなのに、彼女はずっとその方向を向いて話し始める。


「岩田が死んだのは事故だよ。あたしじゃない」

「そんなのは分かってるよ。それを全部茜のせいにしようなんて誰も思ってない」

「でも、あたしがきっかけなのは間違い用のない事実なんでしょ、詩織にとって」


 茜の言葉が落ちてくる。涙のようにぼとぼとと。

 私は返す言葉を必死で考えた。言葉を間違えたら私は茜を殺してしまうかもしれないと思った。あのときのクラスメイトみたいに。無視をすることもできない。言葉を間違うこともできない。

 

「もういいの。もうだめなの、なにをしても、あたしは春馬に見捨てられる」


 地面が濡れた。茜の頬には涙が伝っていて、ぐしゃりと崩れた表情は、あの夏の日の泣き顔と重なって心臓に悪かった。

 何をもってして、何を正解にするのか、誰がこたえを出すのだろうか。私は動けない体のまま、ずっと茜を見上げていた。返す言葉は見つからなくて、茜が泣く姿だけ、ずっと見ていた。

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