第19話 夏の怪物
次の月曜から学校に行こうと思う、と西倉に連絡を入れると一分も経たない間に電話がかかってきた。
「もしもし、本気?」
「……まあ、俺もこれからのことちゃんと考えていかないと思う、し」
「でも、いきなりは無理だよ」
無理、という西倉の言葉に俺は呆気にとられた。今まで西倉は俺に「逃げるな」とずっと言ってきたから、今回のことを少なからず喜んでくれると思っていた。それなのに、ようやく俺が必死に殻から抜け出そうとしていることを応援してくれないのだろうか?
動揺して俺の思考は停止。上手く言葉が続けられなかった。
「む、無理じゃない」
絞り出した声は細く、情けないほど自信のない声だった。そりゃ絶対大丈夫なんてそんな強気だったら今まで学校に行けずに引きこもることもなかっただろうから、当たり前だけど。
機械越しで西倉のため息が聞こえてきた。「そうじゃないよ」と、吐息交じりの声で彼女は呟く。
「青山くん、もうしばらく外出てないんでしょう?」
「……まあ、そうだけど」
「じゃあ、学校行く前に外に出れるかどうか試してみようよ」
「……?」
「青山くんがやる気をだしてくれるのはすごく嬉しいけど、無理してやっぱりだめです、ってなってまた今みたいに逆戻りになるのは嫌だから」
外に出る練習なんて、そんなことをしなくても俺は大丈夫だ。
そう言いきれたら彼女の心配を鼻で笑えたら一番だった。それなのに、俺は黙ってしまう。西倉の心配するそれは、きっと現実に起こる可能性が一番でかいから。
もし外に出られたとして、クラスの連中は俺のことをどう思うだろう。がんちゃんを見殺しにした薄情者、最低な人間に変わりない。
それに耐えられる自信をつけないと。
「人の視線が怖いでしょう」
「……」
「青山くんはそれに慣れることから始めるのが一番だよ」
電話越しの西倉の声はいつもより優しく聞こえた。少しだけ笑ったような声が俺の耳をくすぐって、何でか俺は無性に泣きそうになった。
「西倉は、俺が学校行こうって思ったこと、どう思う?」一瞬の沈黙の後に、彼女は「嬉しいよ」と続ける。
「これが青山くんの一歩目だよ。ゆっくり前に進もう」
スマホ越しで励ましてくれる西倉の姿を想像する。
三か月間、彼女がずっと俺のことを助けようと引っ張り続けてくれた。やっと深い深い海の底から抜け出そうという気持ちになれた気がした。
「西倉はがんちゃんはどうして死んだんだと思う?」
そのとき、俺の口は勝手に動いていた。我に返った瞬間、ちょっとだけ後悔して、でも俺は、彼女の口から答えをちゃんと聞かなければならないとも思った。
数秒の沈黙の後、西倉は「わかんないけど」と前置きして、また数秒黙って、口を開く。
「熱中症だったんじゃないかな、きっと。茜はそれに気づいていた」
あの夏の日のことを、俺はちゃんと覚えているのだろうか。
俺の記憶はなにひとつ、あの日のことを忘れずにいられたのだろうか。
「ははっ」
「なんで、そこで茜の名前が出てくるんだよ」
「水分だってちゃんととってたじゃないか」
「俺らが遅刻した後に茜が飲み物だって……」
「あれ」
あの日、茜ががんちゃんに渡したのは何、だっけ。
三か月前、俺は一体何を見ていたのだろう。電話越しの西倉はずっと黙ったまま。青山くんは知らなくていい、彼女の言葉を思い出して、俺はすっと背筋が凍った。気づくためのピースは沢山落ちていた。それなのに、俺は気づこうとしなかった。西倉に俺は恐る恐る尋ねる。
「西倉は、覚えてるのか。あの日――」
夏の恐怖がもういちど、俺の足を掴んで離さない。
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