二章 夏の魔物に侵食される
第13話 脱兎
愛していれば、何をしても構わない。
君がそういうなら、そうかもしれないね。
■
足を踏み外した、ただそれだけ。背中を押されたわけじゃない。
受け身を取る余裕もなく、私の足は絡まって地面に向かって落っこちていく。上の方からクスクスと笑い声が聞こえる。体中が痛くて、起き上がるのに時間がかかった。それでも、私は散らばった筆箱と教科書を拾ってゆっくりと立ち上がる。周りの視線は異常なほど悪意に満ちていて、今すぐにでも逃げ出したい。そんな感情を必死で堪える。大丈夫、と私は何度も自分に言い聞かせて足を進めるだけで精いっぱいだった。
教室のドアを開けると、クラスメイトが全員一気に私のほうを見た。私は気にしていないふりをして自分の席に着く。聞こえるぐらいの小さな声でみんなあの夏の話をしていた。当事者のふたりは夏休みが終わってから一度も学校に来ていない。だから、標的は私だけ。
「西倉さん」
気まずそうに委員長が私に話しかける。
「なんていうか、あの……」
「大丈夫だよ」
「……えっと」
「困ってることなんて何もないから。別に嫌がらせとかも受けてないし」
先生から様子を窺ってほしいとでも言われたのだろうか。口ごもりながら、委員長自身も周りの視線を気にしながら私に話しかける。私は委員長との間に一線を引くように「余計なお世話だから」と言い放ち、スマホに目を落とした。
戻っていった委員長を可哀想だと思う友達が聞こえるように「あいつ、最悪」と私に向かって攻撃してくる。私にとってはそんなの痛くも痒くもなかった。
岩田くんが死んでから、私の世界は一気に変わった。一番の親友だった茜は引きこもりになって、学校を自主退学した。確かに今のこの学校に来ても、茜は耐え切れない。賢明な判断だったと思う。みんな、テレビや新聞で書かれたことだけを鵜呑みにして、本当のことを誰も知らない。
みんな岩田くんが無理やり海に連れていかれて、そこで溺れたと思っている。茜も青山くんも、そして私も。岩田くんを死に追いやった悪者としてメディアは面白おかしく報道したのだ。馬鹿な私たちは当然の報いを受けている。だけど、関係のない人たちに私たちを悪く言う権利すらないはずなのに、軽率に私たちを言葉の暴力で傷つける。耐えきれるほど、私たちは強くないのに。
「なんで私だけ頑張ってるんだろう。馬鹿みたいだ」
茜は退学したあと、私のことをブロックしたのだろう。返信が一切なくなった。「大丈夫?」と最後に送ったメッセージに既読がつくことはない。私は茜に見限られた。それだけなのに、私はもうそれが仕方ないことだとわかっているのに。
「夏目と仲良くするの、やめたほうがいいよ」
岩田くんの声がする。あの夏の日から、岩田くんと交わした会話が幾度となくフラッシュバックして、私の脳を犯す。
やめてほしい。何をしているの、と聞いた私が馬鹿だった。あの呪いは、岩田くんが死んだ日にとけたんだ。秘密だよ、その言葉が私の涙腺を刺激する。忘れたくても忘れられないあの日のことに、私は一生囚われている。
「人殺し」青山くんに言った言葉を思い出す。そのまま自分に返ってくるその言葉を、吐いたあとに後悔した。許せない。青山くんのことを。
許せない。信じることができなかった、馬鹿な私を。
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