第6話 青山春馬の告白

 「人殺し」彼女の軽蔑するような瞳が忘れられない。今までに見たことないくらいの冷たい表情で、心臓に氷の刃を突き立てられたように感じるほど、低い棘のある声だった。


 スマホのアラーム音が部屋中に響き渡る。俺はすぐに音を切ってまた布団にもぐりなおす。起きなければいけないということは分かっていても、体は全く動かなかった。

 あの夏の日のことを覚えている。きっと一生忘れられない。親友の死んだ日のことだ。

 あの海での事件から二か月が経って、外の風を冷たく感じるようになった。黄色く染まった木の葉が空から降ってくるたびに、夏という季節が終わったことを実感する。だけど、俺はあの夏からいまだに抜け出せずにいた。目を瞑ればあの日の夢を見る。親友を助けられない夢を見る。親友が高波に引きずり込まれていくあの悲惨な光景を、ずっと繰り返し繰り返し、何度も何度も。


「……げほっ」


 高校には行けなくなった。今は周りの視線がただ怖くて仕方がない。

 俺は親友を巻き込んで死に至らしめた加害者でしかない。俺が連れ出さなければがんちゃんは御崎海岸になんか行かないし、海で溺れることはなかった。

 がんちゃんの死んだあと、葬式で彼の母親に酷い叱責をうけた。鬼のような形相で彼の母親は俺のことを「人殺し」と責めた。ずっとがんちゃんの母親は俺の素行の悪さを知っていて、早く縁を切れと再三忠告を受けていたのも知っている。俺が馬鹿でがんちゃんに釣り合ってないことだってわかっていた。

 恋人だった茜はあの日からずっと何かに怯えている。いつしか連絡もつかなくなって、関係は自然消滅した。俺と同じで今は登校拒否の状態らしい。唯一連絡がつく彼女の親友の西倉がそう教えてくれた。


「……げほっ、げほっ、うえっ」


 毎日、登校をしようとすると酷い吐き気に襲われる。まるで背中に何かが乗っているかのように体は重く、咳がずっと止まらない。寝ても覚めても俺はがんちゃんが死ぬ光景のフラッシュバックに苦しめられる。どこにも逃げ場はなかった。

 制服を着ようとするけれど、いつもネクタイを締める手が震える。ぐちゃっと曲がったネクタイのまま部屋を出ようとすると、また酷い吐き気がやってきた。ドアの前に倒れ込んで、咽込んで頭がぐわんぐわんと揺れる。これが毎日のことだった。

 どうすればいいのか、分からなかった。このまま学校に行かなくても何も変わらない。俺ががんちゃんを助けられなかったあの事実は変わらない。西倉の蔑むようなあの冷酷な瞳を思い出す。「人殺し」クラスのみんなが同じ目で俺を見ているような気がした。

 海の中、必死で潜ってがんちゃんの動かなくなった体を抱き上げて浜辺まで運んだ。意識のない体はとても重くて、自分の体力のなさを呪った。がんちゃん、がんちゃん、呼び掛けても親友は返事をしてくれなかった。

 隣でずっと泣く恋人と、呆然とこちらを見ている西倉と、そして何もできない俺だけが、この夏の空間に残されて逃げられないまま。






「茜が高校をやめました」


 結局制服を着ても俺は学校には行けなかった。部屋の扉の前に置かれた朝食を食べて、食器だけ外に戻す。そのあとは、ベッドにくるまって無理やり目を瞑った。自堕落な生活を送っていることが、ただ恥ずかしかった。

 ぴこん、と通知の音が鳴って偶然目が覚めた俺は、その短いメッセージを見てどう返すべきか少し悩んだ。西倉という女からのメッセージだった。

 字面だけでは分からないけれど、きっと西倉は俺のことを恨んでいるのだろう。お前のせいだと言わんばかりのそのメッセージに、俺は既読だけつけて返信は後回しにした。どう返しても西倉は納得しないと思ったから。


「もう、許してくれよ。俺が全部悪くていいから。頼むから、許してくれよ」


 誰にも許されない。誰にも助けを求めてはいけない。

 傷つくことが俺にできる最後の懺悔だ。スマホを投げ捨てて必死に謝る。誰に対しての謝罪なのかもう分からなかった。ただ恐怖が足下からゆっくり俺の心臓に向かって侵食してくるのを止められない。俺はがんちゃんの死から、きっと一生逃げられないのだ。


 

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