第3話 西倉詩織の告白3

 8月3日。雲一つない晴天、それくらいに澄み渡った青空の下、私はひとりで駅のベンチに座っていた。約束の時間の五分前なのに、まだ誰も来る気配がない。スマホで連絡の確認をしても、誰からも遅れるなんてメッセージはない。私は足をばたつかせながら、上手く塗れなかった足の爪をじっと見ていた。


「おはよ」


 さりげなく、気配もなく、彼が私の隣に座った。もちろん心の準備なんてできていなかった。

 おはよう、と私もそのとき当たり前のように笑って返せばよかったのに、私はひゅっと息が漏れて、そのまま呼吸がうまくできなかった。


「まだ二人は来てないの?」


 私の返事なんて気にせずに、私の隣に当たり前のように座った岩田くんはスマホをポケットから取り出してグループチャットにメッセージを打つ。

 岩田くんが来た時間はぴったり、約束の10時だった。


「あ、もう近くまで来てるって」

「そうなんですね」


 やっと声が出たと思ったら、岩田くんは私の方をじっと凝視した。見られて恥ずかしいとかそういうのじゃないけれど、私は視線に耐え切れずまた足下に目をやった。


「なんで敬語なの?」

「……え」

「いや、別に何でもない」


 岩田くんはそう言ってまたスマホに目を落とす。私は動揺してる自分が情けなくて、恥ずかしくて、岩田くんの顔がやっぱり見られなかった。

 それから会話は一切ない。だって私たちは友達じゃないから。友達の友達は果たして友達なのだろうか。私は否だと思う。友達の友達ってやっぱり他人だ。


 青山くんも茜も勝手だ。約束を簡単に破る。今日って決めたのも、この時間って決めたのも彼らなのに、ちゃんと守らない。でも、それくらいのことでいちいち目くじらを立てても仕方ないと分かっている。

 結局ふたりが来たのは約束の時間から二十分すぎたあとのことだった。「遅くなってごめんね」と笑いながら謝罪してくる姿に嫌な気持ちはぐるぐると私の心を侵食して、やがてゆっくり浄化されていく。「大丈夫だよ」とへらっと笑うのが私の使命だから。だって、それがお約束だから。


「暑かったでしょ。ごめんね、これ、飲んで」


 茜が近くの自販機で買ってきたジュースを私に渡した。キンキンに冷えたジュースは触れただけで気持ちよくて、キャップをあけて軽く口に含むと乾いた喉を一気に潤してくれた。これでちゃらだよね、と茜が笑う。私はそうだね、と相槌をうった。


「そういや聞いてなかったんだけど、今日はどこの海行くの? ここらへんって海浜公園とかあったっけ?」

「ああ、御崎海岸に行こうと思ってる」


 茜の言葉に、私は思わず静止した。

 自分の感情を口にしていいか考えて、また私は足下をみる。

 もうそれは癖みたいになっていた。


 御崎海岸は他の海水浴場と違って規模が小さく、そもそも海水浴をしていい場所ではなかった。ライフセイバーがいない上に、高い波が押し寄せるため危ない場所。小学生のころから先生に遊びに行ってはいけないと再三注意を受けていた。だけど、海自体はとても綺麗で、高い波を求めてサーフィンを楽しむ若者も少なくない。それほど危ない場所ではないという認識が強かった。

 ここで私が海水浴は禁止の場所じゃなかったっけ、なんて言ったら空気が読めない女と思われるだろうか。きっと、そう思われる。

 唇をきつく結ぶ。大丈夫、と自分に言い聞かせるだけで精いっぱいだった。



 私は三人が進んでいく背中を追ってまた歩き出した。夏の日差しがきつくて、汗が首筋から背中に向けて伝っていく。呼吸はちゃんとできている。大丈夫、私はまた弱い自分に言い聞かせた。

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