閑話壱 争いの果て

 その日、縁側で麒麟きりんは背伸びをして太陽の恵みを身体一杯に浴びていた。


「いい天気だぁ!」


 無駄にテンション高く叫びながら、ラジオ体操っぽい運動を始めた。

 庭の草木は青々しい葉を太陽の前にかざし、その身を輝かせ生き生きとその存在を誇示しているのが、彼は嬉しかった。


 彼は自然が好きなのだ。


「おーっし、明美を起こしてくるかー」

 適度な時間に主人を起こすのが、今の彼の役目だったりする。


 よし、と廊下を歩こうとした時、向こうからものすごい形相をした男が走ってきていた。


「よぉ、龍二おは──」

「スマン後にしてくれ麒麟ー!」


 挨拶する間も無く、進藤龍二は猛スピードでその場を走り去った。


「えぇ・・・・・・・・・」


 感じ悪っと思いながら一歩踏み出すと、龍二と同じ方から同じ顔をした女が二人、興奮した牛のように走ってきていた。


「よぉ、達子にミコ──」


 この時も彼は最後まで言うことが出来ず、しかも何故かウエスタンラリアットとボディーブローのコンボを喰らい、その場に倒された。

 喉と腹を押さえ苦しむ彼の胸ぐらを、達子が容赦なく掴み上げ尋問する。


「アタシの龍二はどこ!!」

「ボクの龍二君はどこです!!」


 その顔は、まさしく不動明王か般若のそれであり、麒麟は縮み上がっていた。


「ちょっ、まっ! あ、あっち、あっち!」


 麒麟がそう叫ぶや、カスガノミコトは彼が指差した方に猛ダッシュしていった。

 それを見た達子は麒麟を廊下に叩きつけてから後を追った。


「~~~~~!!!」

『あぁ、やっぱり』


 頭を押さえて悶絶している麒麟を見て、良介の式神、菊地志摩守滿就きくちしまのかみみつなりが呟く。泰平の式神である式神の九条前関白近江守為憲くじょうさきのかんぱくおうむのかみためのりが頷く、


「いたた・・・・・・な、何なんだよ一体」


 ゆっくり頭を上げる麒麟は、何がなんだか理解できなかった。

 問われた二人はげんなりした表情で互いの顔を見る。


『何つうかな・・・・・・女の争い?』

「何で疑問形なんだよ」

『恋人VS愛人? みたいな?』

「だから何で疑問形なんだよ」

『そないなこと言われてもなぁ』

『俺達もよく分からん』

「・・・・・・さいですか」


 どうやら彼らもその辺の事情は詳しく知らされていないらしい。ただ、その眼は興味本位丸出しであることはよく分かった。


『いやぁこれはこれでおもろいわ。飽きへんし』

「(人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだよな・・・・・・・・・)」

『後もう一人・・・・・・・・・』


 滿就が含み笑いした時、近くから聞き慣れた男女の言い争いが聞こえてきた。


「ねぇ、青龍君~、一緒にお風呂入ろ~よ~」

「断る! 何故わしがお主と一緒に風呂に入らねばならんのだ!」

「いいじゃ~ん。減るもんじゃないし~」

「わしの神経が擦り減るのじゃ!」


 それはのほほんとした天龍と蒼髪を逆撫でている青龍だった。


『・・・・・・いつからだ?』

 

政義が言わんとしていることを、麒麟は容易に知ることができた。


「さてな。よくは覚えてないが、結構昔っからあんな感じだったぞ。最近は特にだがな」

『あー、何とかは主人に似るってか?』

「それが当てはまるかどうかは別として・・・・・・こりゃ一騒動あるな」


 楽しそうな感情を隠しながら、麒麟はこれから起こることに対してため息をついた。


「ところで、お前何でそんなにボロボロなんだ?」

 会った頃から、他の二人と違って見るからに満身創痍の政義に聞くが、彼は答えをはぐらかした。










 時は朝食の時間まで遡る。


「(どうしてこうなった!?)」


 龍二は己の不幸を呪わざるを得なかった。

 確か自分は晴れて達子の恋人となったはずだった。

 だのに、戻ってきてからというもの、従姉の瑞穂に迫られ、ここでもカスガノミコトに迫られている。


「(嫌や・・・・・・・・・)」


 龍二が心で泣いているその眼の前で、口は笑っていても眼は鬼のように吊り上がった二人が彼の眼の前で火花を散らしていた。


「・・・・・・なあ、どうするよ」

「どうするって・・・・・・アレをどうにかできんのか?」


 食卓で火花を散らす達子とカスガノミコトはその手に箸を握っていた。


「ミコトちゃん、それどけてくれるかなぁ?」

「達子さんこそどけてくれるかなぁ?」


 龍二の場所だけ、他の場所と違い修羅場と化していた。


「(あうぅぅ・・・・・・・・・)」


 逃げたくても、逃げられない。もし、この状況下で逃げられる奴がいるなら是非そいつに会ってみたい。

 誰かの俺を助けてくれと龍二は己の心で叫んだ。


『(龍二、すまないが俺らにもこれはどうにもできんぞ。もちろん、青龍もな)』

「(うん、最初から当てにしてない。でも逃げてぇ)」


 そこだけ異常な空気に包まれていて、他の者は彼を助けようにもそれができずにいた。


「あ、あの、ちょっと」


 勇気をだし、趙香が口を開いた。当然二人は眼を三角にして睨みつける。

 ひぅ、とビビりながらも、趙香は反撃する。


「あの、えっと、お二人が仲良くすれば、龍二さんも喜ぶんじゃないかと・・・・・・・・・」


 頬を赤らめ俯く趙香に一瞥をくれると、二人はギッと龍二を睨む。この場をなんとかしたい一心で、彼は首を激しく上下させる。


「龍二がそれを望むならなら」

「龍二君がそう望むならいいです」


 険悪な空気は瞬時に霧散した。仲直り、とまではいかなかったが、この場で敵対することは止めたようだ。


 龍二はたまりにたまったものを全て外に吐き出した。


「(た、助かった~)」


 感謝の顔で趙香を見ると、彼女は赤い頬でにっこり頷いた。

 ホッとするや、失せていた食欲が途端に戻って来たようで、彼は一心不乱に食事にがっつき始めた。


「やるじゃないですか、趙香さん」


 端から見ていた劉封が兄の子龍に話し掛ける。


「そりゃ私の姫ですから」


 えっへんと言わんばかりに主をたてる華龍に同調するように趙雲は微笑んだ。


「趙香はああいうのは得意だからね。妹のお陰で何度窮地を救われたことやら。

 特に翼徳さんがらみではしょっちゅう世話になったよ」

「そんなこともありましたね」


 思い出に浸る二人の横では、相変わらずノロケている二人が格闘していた。


「青龍く~ん。はい、あ~ん」

「やるかたわけが! 貴様、わしらが何歳か知っておろうが!」


 天龍に怒鳴りつけると、途端彼女の眼に涙が溢れ出す。


「駄目なのぉ?」

「うぐっ・・・・・・・・・」


 いつもの青龍ならこんなことではびくともしないのだが、今回はどうも違うらしい。その辺も主の龍二に似てきたようで、朱雀、玄武、白虎は笑いを押し殺していた。


「(あの青龍がねぇ)」

「(あの青龍が顔真っ赤にしてる♪)」


 少し漏らした笑いで政義、為憲、滿就も堪えていた。

 青龍は頬を真っ赤にして早口に捲し立てた。


「・・・・・・えぇい! 今回だけじゃぞ!」


 青龍は負けた。ヤッターと気色満面の天龍は、箸に料理を挟み彼の口前に差し出す。それを羞恥の顔で食べる青龍。


「(アイツも随分とお前の孫に似てきたではないか)」

「(くくく。ペットは飼い主に似ると言うが、まさにその通りだな)」


 苦笑する龍彦は脳内の黄龍と会話している。


『(ペット違いだろう?)』


 毒ずく黄龍に、だなと返す。

「(アイツのアレも結構俺は好きだがな)」

『(ははは。俺も好きだぜ。とは言え、姐御はどうにかならんもんかね)』


 呆れ返る黄龍。

 宿龍の長天龍があんな感じでは、彼女に従う他の龍達の気が思いやられる。


『(全く、アレはなぁに考えてアイツを長にしたんだかな)』

「(ん? あぁ、アレのことか。さあな? 人間の俺が知るわけないし)」


 二人が脳内会話で楽しんでいる中、捕食者に〝懐かれた〟被食者は生きた心地がしなかったそうだ。

























「どうしてこうなった!!」

「知るかっ!!」


 全力で逃走しながら二人は叫んでいた。後ろから凄まじい速さで彼らを追う三人組が視認できる。

 追いかけている相手は無論、達子・カスガノミコト・天龍である。

 理由は些細なことである。天龍はさておき、達子とカスガノミコトに関しては、単に龍二にどちらが〝恋人〟なのか決めてもらおうと思っているのだが、その恐ろしい『気』に完全にビビった龍二はこうして逃走としゃれこんだのである。


 そもそも、達子と結ばれた龍二は、ハッキリと達子の彼女であると宣言していればこんなことにならなかったのであるが。


「てか青龍! お前逃げる必要ねぇじゃん! 天龍なんていつもしっかり扱ってるじゃねぇか! 止めろよいつものように!」

かせ! あんなタチの悪い奴を止められるか!」


 怒鳴り返す青龍の言う通り、天龍はいつものようなのほほんとした表情であるが、何かが違っていた。


 彼女達の執念は尋常ではない。先刻、政義とあわや正面衝突するとなったとき、天龍の細腕は政義を掴み上げ、横に捨てるようにぶん投げた。更に、止めに入った趙雲、趙香、華龍にラリアットやアッパーをかまし、他にも彼女を止めようとした者をタックルしたりして己が進路を妨害する者を全て排斥し、猛烈な速さで追い掛けている。

 ちなみに、同じような感じで、達子らは安徳らをぶっ飛ばしている。


「今は逃げるぞ! 捕まれば我らの命ないものと思え!」

「うい!」


 主従二人はスピードを落とすことなく角を曲がった。














「騒がしい奴らだな」


 迷惑そうないい草で、そのくせどこか楽しんでいる顔の龍彦の横では、呉禁と玄武がコウフラハと遊んでいる。


 ここは龍彦にあてがわれた部屋である。


「やはり連れてきてよかったな」


 当然のように言ってのける龍彦をイザナミは不思議な気がしてならなかった。

 彼の龍である黄龍からだいたいの事情は聞いたが、まだしっくりきていない。


「若いっていいな、元気があって」

「お前もそこまで年食ってないだろう?」

「バカ。普通の人間だったら俺はジジィだぞ」


 彼らにとって当然の会話。


「あ、そうだったな忘れてた」

「嘘こけ」


 イザナミは、自然と微笑んでいた。

 この人は何だか面白い。そんな気がした。


「イザナミのおねーちゃん、助けてくれてありがとう」


 目覚めた彼の第一声を、彼女は即座に否定し、隣にいた龍彦を紹介し彼が助けたのだと告げた。


「人間さんが、僕を?」


 きょとんとするコウフラハに、龍彦は笑って答える。


「おう、俺がお前をいじめていた奴らにキッチリ〝ヤキ〟入れといてやった。ついでに、親玉にも『警告』しといてやったからもうあんな事はないぞ」


 自信満々に言うので不安を覚えたコウフラハは「本当に大丈夫?」と聞いた。


「今度同じことやって来たら、翼と四肢をたたっ斬ってやる」


 龍彦はそう言った。

 よく分からないが、この人は信頼できる気がした。

 やがて、あらかじめ呼んでおいたのだろう、呉禁と玄武がやって来てものの数分で友達になり今に至っている。


「タヲヤメノオオミコトは黙ってませんよ」


 諫めるつもりの警告も、龍彦は笑って一蹴した。


「悪いが、命ある者を差別する奴を俺は神とは認めん。───もし、またアイツを標的にした時は、俺は容赦なくそいつを斬る。それだけだ」


 強い宣言。揺るがぬ意思。


「(龍造さんの言う通りかもしれない)」


 いつかの龍造の話が頭をよぎる。

───俺の親父はある種の頑固者に近かったからな。一度言ったらテコでも曲げねぇぞ───


 〝あんな力〟を見せられた手前、彼は本気である。コウフラハに手出しすれば必ずその者を彼は情け容赦なく葬り去るであろう。


「ねぇねぇ龍彦様! 一緒に遊びましょうよ!」


 晴れやかな笑顔で寄りついてきたコウフラハがしきりに彼の袖を引っ張る。


「待て待て、そう引っ張んな。すぐ行くから」


 手を引かれて行く彼を、黄龍とイザナミは微笑んで見ていた。














「うおーしつこーい!!」

「死にたくなくば走るのじゃ!」


 今だ激走中の二人は、愚痴やら何やらを口走りながら魔物三人から逃げるのに必死であった。


「何で! 何でだよ! 無尽蔵かよあいつらのスタミナ!!」

「喋るでない! 余計ヘバるの早うなるだけじゃ!」

「何か口にしないと心ん中のモヤモヤがとれないの!」


 この間も、彼女達との距離はじわりじわりと縮まってきていた。


「ヤバいって! 俺らの寿命もうちょいで無くなるって!!」

「戯れ事をほざく暇あったらがむしゃらに走れ!」

「アカンて! もうアカンて! そろそろ限界よ!」


 その時、達子の火炎や天龍の風撃が彼らに襲いかかった。


「ちょいちょいちょいちょっと待てぃ! アイツら等々殺しにかかってきてるぞ!?」

「だからそんなこと言う暇────ん?」


 青龍は突然足を止めた。つられて龍二も止めて振り返る。

 さっきまで狂走していたあの三人組がいなかった。


「あれ? いない・・・・・・・・・?」

「変じゃなぁ。確かさっきまでいたのじゃが・・・・・・・・・?」


 首を傾げる二人は、不思議に思い暫く互いに考え込んでいた。

 命が助かったことに気づくのはもう少し後のことである。














「ちょっと、邪魔しな───」


 折角あと少しで捕えられたというところで、とんだ『邪魔者』が入り、獲物を逃がしてしまった。

 達子らは今、その『邪魔者』に怒りをぶつけるのだが、彼らの顔を見て逆に顔面蒼白になってしまった。


「ほっほう・・・・・・邪魔、ですかぁ」

『いやぁーあん時はものすげぇ痛かったなぁ。うん、首がもげるかと思ったぜ?』


 眼が笑っていない顔で彼女達を見下ろす七人の顔。その全員がこめかみにくっきりでかい青筋を浮かべていた。


「天龍様ぁ? ラリアットはないんじゃないんですかぁ? ラリアットはぁ」

「ちょぉっとお痛が過ぎやしませんかねぇ?」

『いやぁ、式神の身でも痛感はあるんだよなぁ、これが』


 ある者は首を、ある者は拳をを鳴らしジリジリと迫ってくる。逃げたくても、良介の結界で退路は断たれていた。


「あー、えっと、その、あの・・・・・・・・・」

「み、皆さん、顔、怖いです・・・・・・・・・」

「ふーん、あたしら、そのものすっげぇ怖い顔のアンタ達にものすっげぇ痛いことされたんだけどなぁ?」

「あっ、いや、その・・・・・・・・・」

「さ、て・・・・・・覚悟はできましたか御三方?」


 死神が笑む。ねっとりとした口調は、聞いた者の背筋に悪感をゾクリと激しく走らせる。

 全身が最大警戒を告げる。分かっていて何度かこの場からの脱出を試みるも、完全包囲された場なので、叶わず徒労に終わる。


 ならばと自分達の力で結界の破壊を試すも、何の意味もなかった。


「往生際が悪いですねぇ?」


 詰んだ。

 かといって今更全面降伏したところで、易々と無罪放免してくれる心優しい人達では無いことは、彼女達には痛いほどよく染みついている。


 特に安徳なんかは尻尾の他に黒い翼や槍を持った小悪魔──いや、大魔王が無様にも戦いを挑んできた勇者を蔑ずむかの眼で見下している。


「言っときますけど、今更謝ったって許すわけありませんからねぇ?」


 ですよねぇ、と顔面が蒼白になる。


「覚悟なさぁい」


 人間窮地になれば出るとされる火事場の馬鹿力。今窮地の彼女らにも───出ない。恐怖が支配する体に何が出来ようか。

 超がつくほどキツイ灸を据えられた彼女らは、暫く木に吊されて晒し者にされた。

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