一章 日常は非日常へ その壱
「っあ゛ー久々の東京の空気だー!」
八月の蒸し暑さが残る九月のこの日、メガネをかけた薄茶色の髪の学生後藤泰平は背伸びをしながら傍らにいた佐々木安徳に言った。
今日から二学期が始まるのだ。
「しかし不思議ですね。計算上、私達はあちらの世界に十年以上はいた勘定なんですが、いざ戻ってみればたかだか一ヶ月しかたってないんですからね。流石の私も驚きましたよ」
白朱によって異世界に飛ばされ、その地で様々な人物に出会い、出来事に遭遇し、ほんの少し心身が成長して戻ってきたのがつい先日である。だがカレンダーを見たら八月二十九日であったのだ。恐らく、白朱が配慮したのだろうと思い至った。
彼等の両親には事前に彼から話があったようで特に心配していた様子は見られなかった。寧ろ、話を聞かせろと言ってきた位だ。
彼らが両親から聞いた話では、この一ヶ月の間に、こちらでは実に色々なことがあったらしい。
参院選で最大与党の自明党が大敗。北朝鮮で大規模クーデターが発生する、石油価格が急高騰したなどという話など、他愛もない話だ。その中に一ヶ月前から世間を騒がせた『一村全滅怪事件』が解決したという話題があった。犯人は、元首相ら数名で構成されたグループであったという。
「でも、龍造さん達はびっくりしたろうね」
「当然ですよ。“死んだ人間”が生き返って部屋にいたんですから」
泰平が思いだしたように笑いした。
最初に、その彼ら二人に会ったのは他でもない龍造と奈未だった。
泰平達が帰ってきた日、白朱から先頃子供達を無事に返したという報告を聞かされた龍造と奈未が、息子龍二の部屋に差し入れを持ってきた時、部屋には、近藤明美と池田良介の他に二人、見慣れた者が座っていたのだ。
「あっ母さん、ただいま・・・・・・の前に、久しぶり」
「よぉ龍造。お前随分会わない間に老けたな」
そこにいたのは誰でもない。死んだはずの長男龍一と、大戦中から今までずっと行方不明とされていた父龍彦であった。
二人の姿を見て、奈未は持ってきた差し入れの菓子類の入った木椀を思わず落としてしまった。
「龍・・・・・・一・・・・・・・・・?」
「親・・・・・・父・・・・・・・・・」
暫くの沈黙の後、奈未はその場に気絶してしまい、龍造は慌てて妹の歩美に電話しに階段を駆け降りた。
「全く、白朱さんも事前に知らせてやればいいのに」
「サプライズプレゼントだったのでは?」
かもな、と泰平は笑い飛ばした。
「色々変わったよねー・・・・・・・・・」
「確かに、変わりましたね」
異世界での経験は、彼らを少し大人に成長させたことは確かに実感していた。
「だけど・・・・・・・・・」
「・・・・・・ですよねぇ」
そう言って、二人は前方でいちゃついている学生カップルを複雑な表情で見ていた。
カップルは、黒のツンツン髪に、右眼に刀の鍔で作られた眼帯をしている男と栗色
のロングの女で、彼女はかなり男に密着していた。彼女の柔らかい二つの膨らみが彼の腕に押し付けられていた。
「時に安徳君? 人間は何があったらあんな風に人が変わるんだい?」
「さぁ? 私に言われてもねぇ」
密着している女もとい神戸達子は、二人の知る限りでは、男勝りで勝気な性格で同性からモテるタイプだったはずである。
それが異世界から帰ってからというもの、彼女の性格は180゜変わってしまい、物凄く女の子らしくなり、今まで穿くことがなかったスカートを多用するようになり、あっちで出来た(?)恋人進藤龍二と頻繁にデートもした。それもかなりの甘えようで、今も顔をニヘラ~と緩ませていた。
彼女の豹変振りに、龍二は正直ほとほと参っていていた。
「な、なあ達子。ちょ~っと離れてくれないか? ちょい恥ずかしい」
龍二は数分前にこう言ってみた。
「ダメなのぉ?」
「うぐ・・・・・・・・・」
しかし、眼に涙を浮かべ上目遣いされるとたじろいでしまい
「あっ・・・・・・いや、ダメじゃ・・・・・・ない・・・・・・・・・」
結局負けてしまうのだった。
「こりゃー学校でも一波乱ありそうだ」
異世界に行って、晴れて恋人同士となったわけだが、龍二は達子に頭が上がらない──と言うか尻にしかれているのは、それはそれで面白かったが同時に同情した。
(まあ一応、私は私の仕事をしますかね)
安徳は右手に持った愛刀大般若長光の鯉口を切って不気味に笑んだ。
(あー感じる感じる。野郎共の憎しみと殺気のこもった視線)
「♪♪♪♪♪」
イタい。龍二には、クラスの男子共の憎悪の視線が物凄くイタかった。
「まぁ、こうなるんじゃないかなぁとは思ったけどね」
「タッちゃん・・・・・・一体何があったのよぉ?」
池田良介は微笑ましく、近藤明美は驚愕しながら教壇でいちゃついている恋人達を見ていた。女子生徒達も彼女の豹変振りにはさぞかし驚いているようで眼をぱちくりさせながらヒソヒソと会話していた。
安徳は来る時の為に、自分の席についていながらいつでも抜けるように長光を机の上に置いていた。
臨戦体制の安徳をあえて刺激しようとするバカはこのクラスにはいない。その為、男子共は遠くから恨み妬み殺気ビンビンの視線を送るしかなかった。
「そういやぁ、今日転校生が来るらしいよ。それも六人くらい」
「あぁ、どーりで加賀美とか数人いないと思ったわ」
「後、担任も新しくなるんだって」
「そんなこと、始業式で言ってたかしら?」
明美と良介がそんな他愛もない話をしていると、廊下を誰かが走ってくる音が聞こえてきた。それもどんどん近づいて来るようだ。
「りゅ~うじ~!」
「のわぁっ!!」
教室に入ってきた何者かは、真っ直ぐ龍二にタックルをかました。その勢いで龍二は床に後頭部を強打した。そして達子はいつの間にかどいていた。
「会いたかったよ~龍二~」
侵入者は、腰まである淡い赤髪の女で龍二に頬擦りしているが、彼女の声に龍二は、はっとした。
「その声・・・・・・テメェ! 瑞穂!」
女は進藤瑞穂といって龍二の従姉である。ついでに言えば、かなりブラコンでもあったりする。
「離れろ瑞穂! うっとおしいわ!」
「い~や~だ~♪」
「いいから離れろ! それより、教師の仕事はどうした仕事は!!」
「仕事? ここだよ?」
「ごたくはいいからさっさと仕事に───えっ、何だって??」
「今日から私がここの担任になったんだよ~♪」
「・・・・・・はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!????」
驚きの表情のまま、龍二は固まってしまった。
「あっ、固まった」
「固まった固まった」
と苦笑いする泰平達の眼の前で、達子は石となった彼を心配して近寄るかと思えば、彼女は彼の頬を突っついていて、どうやら意外に面白かったらしく子供のように無邪気に笑いながら突きまくっていた。
「タッちゃん・・・・・・・・・」
この時、明美は何故だか嘆かずにはいられなかった。
龍二が正気に戻ったのはそれから二十分の時間を要するのだった。
そしてSHL──
「今日から君達の担任になった進藤瑞穂でーす♪ 体育担当でーす♪ 龍二の従姉やってまーす♪ ヨロシクねー♪」
終始ハイテンションで瑞穂は自己紹介を終えた。
いつもの龍二なら「そんな子供じみた自己紹介すんな!!」とツッコミをいれてい
るところだが、お生憎と今は男子共の先程よりも数倍増した殺気のこもった視線に耐えねばならないのでそれどころではなかった。
美人の幼なじみの恋人に加えて絶世の美女に相応しい従姉にベッタリされていたことを踏まえると、クラスの男子共の気持ちも分からなくはない。
(早速大変だな、お前も)
頭に直接話しかけてきたのは、彼の龍の一人で紅龍である。たまにこうして彼と会
話を楽しもうとしている。
(なぁコウ。こいつらを焼いてくれ)
(はっはっは。そう、熱り立つでない。暫くすれば収まるじゃろうて)
ひどく老人ぶったしゃべり方をしたのは、もう一人の龍である伏龍だ。共に趙家では『五大龍』と称される者である。
彼が自分の龍達と会話している間に、話は先に進んでいく。
「聞いてると思うけど、今日は転校生が七人来てまーす」
首だけ前を向けて突っ伏していた龍二は、あぁだから松山とかいないのかと空いている机を見ながらそう思っていた。
「早速紹介するね。じゃあ入ってきて~」
瑞穂に言われてドアを開けてその転校生たちが入ってきた。
だが彼らを見た瞬間、龍二や泰平、明美、良介はベテラン芸人顔敗けのズッコケを披露した。
「何でお前らがここにいるんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
立ち上がって指を差し大声でツッコむ龍二に転校生の一人が、にこっと笑って
「龍二君、久しぶり」
と返した。途端、女子生徒の黄色い声が木霊する。どの顔もイケメンであっちからだ。
「はーい、静かにね~。じゃあ自己紹介お願いね」
瑞穂に促されて、龍二に微笑んだ転校生から自己紹介を始めた。
「中国四川省から来ました
営業スマイル的な彼の笑みに女子生徒の黄色い声が声量が増す。
「同じく
「
「
ここまで来て、ある生徒が劉封の後ろで震えている男子生徒を見つけた。それに気づいた劉封がやれやれとため息をつく。
「彼は
呉禁は、ちょうど怖いものを見た時に母親の後ろに隠れている子供のように、劉封の背中から左半分だけ顔を出すとちょっとだけ頭を下げた。
その潤んだ瞳で、かなりの童顔で、かつ弟属性MAX(多分)の彼のその行動は、クラスの女子生徒全員(達子、明美、瑞穂を除く)のハートのど真ん中を見事撃ち抜いた。たちまち荒波のごとく押し寄せて、質問の嵐を彼に浴びせた。
獣と化した女子生徒に呉禁はすっかり脅えてしまい、また劉封の後ろに隠れた。これでは劉封の制止も通じず、かつ担任の瑞穂は止める気が全くないらしく傍観としゃれこんでいた。
「オイコラ瑞穂。教師ってのは普通生徒が困ってる時は助けるんじゃないのか?」
見かねた龍二が瑞穂に問い糾すも「楽しいからいいの♪」と教師らしからぬ発言に訊いた俺がバカだったと後悔するのだった。
ちらりと視線を他の場所にやれば、あの『地獄の案内人』も対処に困り果てているようだった。
珍しいと思いながら、彼は野獣に囲まれた被食者に助け船をだすことにした。
「呉禁」
龍二の呼ぶ声に気づいた呉禁は辺りをキョロキョロと見回し、彼を発見するや、もの凄い勢いで包囲網を突破するや、満面の笑みで彼に飛びついた。
「よぉ、元気にしてたか?」
頭をクシャクシャされながら、彼は大きく頷いた。
それを見て、当然、女子生徒は龍二に牙を向く。
「ちょっと進藤君! 何で貴方にはいきなりゴーちゃん懐いてるのよ!」
(ゴーちゃんって、もうニックネームつけてんのかよ)
「そうよ! そうよ! 何でアンタだけ!」
女生徒は烈火の如く怒り、今にも彼を殺る気の表情で迫ってきた。
まさか、呉禁が別の世界の人間で、色々な成り行きがあって懐かれた、とかそんなこと言えるわけない。
「暫く前にホームステイに来てそんとき仲良くなった」
と誤魔化しておいたが、殺気だっている彼女達には全く通じなかった。
ギャーギャー言ってくる女子生徒らを無視して、龍二は呉禁にある提案を持ちかける。
「なあ呉禁。もしこのお姉さん達が、今から三秒以内に席に戻ってくれたらお友達に
なってやってもいいよな?」
呉禁がこくんと頷くと、女子生徒は人間ではない速さで席についた。
「んじゃ、劉封、後はよろしく」
自分の席に戻っていく龍二を見ながら、劉封はクスリと笑った。その後、残りの者
の紹介に進んだ。
(あっ。次趙香じゃん。大丈夫かなぁ?)
呉禁と変わらぬ人見知りである趙香のことが、今になって不安になってきた。
「あっ、えっと、その、ちょ、
呉禁よりかはマシだったが、最後の最後で焦ったか舌を噛んでしまった。
「か、噛んじゃった」
元々カワイイ顔をしていたのだが、舌を噛んだことに加えその仕種で更に男共のハートをガッチリ掴んだ。
そんな中、クラス一のプレイボーイである高野内が「俺と付き合ってくれ~」とか叫びながらル〇ン〇世のように趙香めがけてダイブしていた。
何と無くこうなるだろうと予想はしていたが、この距離からでは間に合わない。かといって龍を出すわけにもいかなかった。
だが、高野内は趙香に触れる前に何者かの渾身の鉄拳を顔面にモロに喰らい、教室の端まで吹っ飛んでいき、ロッカーに背中を強打し、悶絶していた。
(ナイスと言いたいところだが、アンタ何やってんだー!!!)
龍二は高野内を殴り飛ばした女子生徒の正体を知るや心の中でツッコんでしまった。
その女子生徒は、煙を上らせている拳をフッと吹いた。
「姫に不埒な真似をする輩はこの私が許しません」
「ちょっ、
慌てる趙香を尻目に彼女の龍である華龍は男顔敗けの阿修羅の表情で男共を睨みつけ名乗った。
「趙姫香の〝双子の姉〟の
口調は丁寧だが、先刻の行動を見ていた男子諸君の顔はかなり引きつっていた。すかさず龍二は伏龍を介して華龍に話し掛ける。
『華龍、アンタ何してんの!? つか、姉さんて何だよ!?』
華龍もそれに返す。
『あら龍二君久しぶり。何って姫に野蛮な輩がつかぬように私も学生となって───』
『それ以前に本名名乗んなよ!!』
『別にバレはしないわよ』
と言ってからため息をついた。
『別に私は龍二君達がいるから大丈夫だって言ったんだけど、子龍さんが・・・・・・ね』
───あぁ、成程ね。
龍二は納得した。超のつくシスコンである趙雲なら言っても聞かないよなと思いつつ、彼女との会話を止め机に突っ伏した。
暫く続いた静寂を破るように可愛い声が教室に響いた。
「玄武っていいまーす。よろしくおねがいしまーっす♪」
(あぁ、まだいたんだ。へぇ~玄武って言うのか~・・・・・・ん? 玄武?)
ガバッと顔をあげた。それは安徳らも同じで、クラス中の視線が彼に向いていた。
(・・・・・・何でいんだよアイツ?)
龍二は頭を抱えていた。
明らかに高校生じゃない背格好の緑眼の少年がいたのだが、少年の純粋無垢な笑顔に、龍二達と瑞穂、劉封らを除いた生徒全員の心は再び射抜かれた。
生徒らがまさに飛びつかんとしたその時、教室のドアが勢いよく開き、青眼青髪の男がずかずかと入ってきた。男は少年に近づくなりいきなり拳を少年の頭に降り下ろした。
「イタ~イ」
涙目になる少年をもう一発殴って気絶させると、彼を担いだ男は龍二らには眼もくれず教室を後にした。
「すまんな瑞穂。生意気なガキが邪魔した」
去り際に男は瑞穂にそう詫びた。
(青龍ありがとう)
龍二は密かに感謝した。
青龍が去って数秒後、堰を切ったように生徒達が瑞穂に群がってきた。
「先生! 今のカッコイイ人誰!? 知り合い!?」
「なあなあ! あのすっげぇかわいい奴の名前何てぇの!?」
質問の大嵐に困り果てた瑞穂は龍二に助けを求めたが、彼はさっきのお返しと言わんばかりにそ知らぬ顔をして「がんばれよ~瑞穂せーんせー」と手をヒラヒラさせてやる気のないエールを送ってやった。
ここで、ようやく『地獄の案内人』の我慢が限界に来た。彼は刀を抜くと、群がる生徒らの眼の前にそれを見せた。
真剣のそれは、太陽光を浴び己が身体を輝かせていた。
生徒達の顔から血の気が一気に引いたのは言うまでもない。
「皆さん。彼らのことは、後で私が懇切丁寧きっちりに話して差し上げますから、さっさと席に戻りなさいな? さもなくば・・・・・・お分かりですよねぇ?」
死神の微笑みで話す安徳に恐怖した彼らはものの二秒で各々の席についた。
三年も共にすごしていれば、佐々木安徳が全体どういった性格をした男なのかおのずと身をもって知ることができた。
まさに、裏将軍の名に相応しい。
(か、変わってねぇ)
関平の脳裏に、あの地獄の日々が瞬時に思い出されたのは当然のことだった。
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