神々の世界   少年少女冒険譚2

soetomo

序章 黄泉帰り

 東京都品川区にある私立明京大学。


 法学部等全部で15学部あり、どの学部も他の大学では受けられない高度な講義が評判を呼んでいるようで、昨年は全体で募集人数5,685人の所63,228人もの受験生が受験し、14,567人が合格したという。

 この大学の四年生で剣道部部長・根室恭輔は来る大会の為に、このむし暑い八月に剣道場に後輩や同級生達と向かっていた。


「あっぢ~」


 早朝でも汗ばむ暑さに、手扇で気をまぎらわせようとするも無駄だと悟った後輩の一人が、抑揚のない口調でだれていた。


「うっせぇなぁ涼太。んな事言ったら余計暑くなんだろうがよアホぅ」


 根室が後輩の窪田涼太を小突いた。


「だってですねぇ~」


 まだ何かぼやく涼太を部員の安達晋太郎が後ろから首ロックした。


「ちょっ、まっ、ぐ、ぐるじい・・・・・・ギブギブ」

「りょ~たぁ? 次言ったらサウナに五時間缶詰な」

「え゛ぇ~やっすよ~!」

「じゃあだぁーってろ」

「分かりましたよぉ」


 情けない顔になった窪田は今は洗濯されたぬいぐるみのように襟首を掴まれて宙ぶらりんにされていた。


「はっはっは! やっぱお前はそれが似合うな!」

「あ゛~、山下先輩ヒドいっすよ」

「涼ちゃん可愛い♪」


 涼太は先輩の山下陽二にからかわれ、同級生の樋山麻衣子に頬擦りされたりと散々だった。



ヒュン、ヒュン───



 窪田が風を切る音に気づいたのは、剣道場が眼と鼻の先に見えてからだった。


「んあ? 誰だぁ? こんな朝っぱらから練習してる奴ぁ」

「んなはずあっかよ。あれ以来朝練禁止になってんだから」


 根室と安達がそんなことを話している間も、風を切る音は剣道場の開いている窓から途絶えることはなかった。


 どうやら樋山や窪田も気づいたようだ。首を傾げてきょとんとしていた。


「誰かなあの時決めた約束に違反した人は? 違反者にはあんなことやこんなことがあんのに・・・・・・・・・」

 根室が不気味に笑うのを、部員は身震いして見ていた。


 剣道部が朝練を禁止したのは、三年前に当時一年生だった剣道部のホープが不慮の交通事故で死亡したからだった。


 部室に近づくにつれて、風を切る音は大きくなっていく。根室は悪笑しながら袋に入っていた竹刀を取り出した。

「誰だ! 約束を破った奴は!」


 扉を勢いよく開けるやいやな、根室は違反者に怒鳴り散らした。が、竹刀を振っていた男の姿を見て、彼は持っていた竹刀を手放して床に落としてしまった。


 白と青の道着。黒の短い髪。他を圧倒するオーラを纏った凜とした姿。

 彼のことを、根室は忘れたくとも忘れられるはずなかった

 彼は、日本──いや、世界最強の大学生剣士だった人物。そして、三年前に死んだはずの男だった。


 竹刀が落ちた音に気づいた男は、音の方を向くと懐かしそうに顔に笑みを浮かべた。


「よぉ根室、それにお前ら、三年振りだな。元気にしてたか?」

 その男はニカッと笑ってそこにいた皆に言った。


「進・・・・・・藤・・・・・・・・・?」

「そんな・・・・・・バカな」

 眼の前の現実を、根室達は信じることができなかった。


「何だよ。幽霊が出てきた的な眼ぇで俺を見やがって」

 男──進藤龍一は近づきながら少し口をとがらせた。


「おま・・・・・・だっ・・・・・・えっ・・・・・・・・・??」

 驚きのあまりパニクって舌が回らない山下は口をぱくぱくさせながら龍一を指差していた。


 彼が死んだということは新聞やニュースで何度も報道されたし、根室や山下、安達はもちろん、ちょくちょく練習を見に来ていた窪田や樋山も彼のことは知っており、葬式にも出席した。


 その彼が眼の前にいるのだ。到底信じられるはずがない。

「言っとくけど、幽霊じゃねぇからな」


 龍一はそう言って根室の眉間を小突いた。そして同じことを山下らにもした。その感触は、温かく、紛れもない、生きた、血の通った人間の指だった。


「お、俺、教授に知らせてきますっ!!!」

 慌てて駆けていく窪田の姿を龍一は笑って見ていた。





















 真夏の太陽の光を反射させるアスファルトの道を、男は手書きの地図を片手に歩いていた。


「俺がいない間に、日本も随分と様変わりしたんだなぁ」


 そんなことを呟きながら男は地図に書かれた目的地を目指していた。

「アイツ元気にしてっかな?」


 変わった町並みを見回しながら男は歩いている。


 あの時代より高い建物が沢山あるし、道行く人々の服も洋服が殆んどだし、何より生き生きしていた。


(あんな時代、二度と来ちゃいけないな)

 そんなことを思いつつ、男はポケットに手を突っ込んだ。


(アイツ、いい年だからどうせ俺の顔忘れてんだろうな)


 取り出した半体の物体二つを見ながら歩いていると、目的地に着いたようだ。あったあったと言いながらその家を眺めている。


 その家は彼に当時のことを思い出させるのに十分だった。


「龍造も言ってたが、六十余年前と変わってねぇな」

 アイツらしいと苦笑しながら、男は呼び鈴を鳴らした。














 山崎篤麿やまざきあつまろは居間で古ぼけたアルバムの写真を見ながら昔を思い出していた。

「いつ見ても懐かしいな」


 白黒のモノクロ写真には、軍服を着た青年達に隊の指揮官だった益田重峻中将、そして、あの日以来行方不明となった直属の上官だった男が写っていた。皆純粋な笑みを浮かべていた。


 彼は元軍人であった。あんな悲惨な時代であったと言うのに、彼らは笑っていた。


 多くの戦友を亡くした山崎にとって、あまりいい思いなどないのだが、その中にもいい思い出は数えるだけだがあった。


 山崎は戦没者慰霊蔡には必ず出席し、戦友の墓地に墓参りに行っては生き残ったかつての仲間達と昔話を語って当時を懐かしんでいた。


 その中で、山崎の唯一の心残りとしては、当時『軍神』と国民に崇められ、世界最強の軍人と世界から畏怖され、『鬼神大元帥』と軍で謳われた大将の安否であった。

「閣下は今頃どこで何をしているのかな・・・・・・・・・」


 そんな時、滅多に鳴らない呼び鈴が鳴った。


 どうせセールスかその類だろうと無視していたが、呼び鈴はやかましく何度も鳴っている。耳を塞ぎ何とか堪えているとやがて音は止んだ。やっと止んだとホッと息をついた時だった。

「何だよ、いるんなら出ろよな、アツ」


 ギョッとして縁側を向くと、そこには二十代中頃の若い男が不満な顔で立っていた。


「誰だ君は! 勝手に人の家に入りおって!」

 山崎は不法侵入した若者に怒鳴りつけた。


「んだよぉ、お前上官の顔を忘れたのか?」

 若者の言葉に、山崎は首を傾げる。この若僧は一体何を言っているのだ? という顔をしている。


 山崎は男の顔に見覚えがなかった。

「私は君のような失礼な者は知らん!」


(・・・・・・にゃろう、俺の顔忘れやがって)

 若者はポケットから例のものを取り出すとそれを山崎に投げつけた。

「アツ。それ、見覚えあんだろ?」


 投げつけられたものを反射的に受け取った山崎はそれを見てあっと唸った。


 それは奇麗に真っ二つに裂かれた錆びれた弾丸であった。あの日、ある男が自慢の太刀の一刀のもと斬り伏せたものだ。


 そのまま若者の顔を見た。その顔が、その瞬間、ある人物と重なった。

「か・・・・・・進藤閣下?」


「この野郎、やっと思い出しやがったか。

 ったく、六十年くらい過ぎてたからって俺の面ぁ忘れてんじゃねぇよ」


 若者───元大日本帝国軍大将兼大元帥進藤龍彦は部下の山崎を見て笑った。

「あぁ───」

 山崎の頬を涙が流れた。

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