第2話 ドイツ語で学ぶ「ちゅー……したいなー?」

「ハハハ……ついに完成したぞ、完璧な作戦がッ!」


 翌朝の5時……

 秀一しゅういちは徹夜の末、ついに幼馴染の宮子みやこにキスされる作戦を完成させた。


 「その労力を告白に使え」と言われそうだが、それは野暮というものだ。

 なぜなら秀一は、振られることを極度に恐れているからである。


「うひゃひゃ! やった、やったぞ! フォオオオオオオオオウッ!」


 いわゆる、深夜のテンションだ。

 秀一はベッドの上で飛び跳ね、はしゃいでいる。


 こんなところを親に見つかったら、間違いなく大目玉を食らうことになるだろう。

 だがそんなことがどうでも良くなるくらい、秀一は喜びに満ち溢れていた。


「──ククク……今からはしゃいでも仕方がない。仮眠するとしよう」


 今日の9時頃、さっそく宮子が家にやってくる。

 「あまりガッツリ寝すぎてもよくない」との判断から、秀一は机の上で居眠りを始めた。



◇ ◇ ◇



 7時……

 秀一は日光に照らされながら、満を持して覚醒する。


 「幼馴染にキスされる方法」を徹夜で考え抜くほどの努力家だが、曲がりなりにも優等生である秀一は規則正しい生活を送っている。


 決めた時間に起床するなど朝飯前だ。

 ……まあ、どんな時間に起きても結局は「朝飯前」なのだが。


 朝の支度を一通り済ませて勉強をしていると、インターホンが鳴り響いた。

 時刻は9時──


「いよいよ、だな」


 秀一は自室を出て、玄関に向かう。

 ドアを開けると、少し緊張した面持ちの幼馴染の宮子がいた。

 恐らく、秀一が元気になったか心配なのだろう。


 宮子の顔を見ていると、昨日のキスを思い出してドキドキしてしまう。

 だがランニングで身につけた呼吸法と心肺機能を駆使して、なんとか平常心を取り戻す。


「フッ……宮子、よくぞ参った──」


 キリッとした笑顔を見せ、魔王っぽい声を作る。

 深夜のテンションは、ほんの僅かに残っていたらしい。


 だがそれはもう、宮子の笑顔を見て霧散した。


「おはよう、しゅーくん! もう元気になった?」

「ああ、おかげさまでな。ありがとう」

「うん! えへへ……」


 宮子は笑顔を満開に咲かせる。

 まるで小学生のような可愛さだ。


 しかし異性として意識してしまっている現状では、背徳感の塊でしかない。

 その笑顔の破壊力は、対物ライフルに匹敵する。


 だが秀一はその銃弾をなんとかかわし、次の言葉を紡ぎ出す。


「さあ、上がってくれ」

「ありがとう、お邪魔しまーす」


 秀一は宮子を連れて、部屋に連れ込む。

 部屋はすでに掃除済みだ。


 秀一と宮子は、テレビを見ながら雑談する。

 今は熱中症特集をやっており、昨日熱中症で体調不良となった秀一にとっては耳が痛い。


「宮子、熱中症には本当に気をつけてくれよ?」

「うん……しゅーくんもね。それにしても、しゅーくんはすごいなあ……毎日公園で走ってるんでしょ?」

「ありがとう」


 宮子は目をキラキラと輝かせていた。

 運動がそれほど得意でない宮子は、炎天下で走る秀一を雲の上の存在と思って尊敬しているのかもしれない。


 「運動音痴」とバカにしてくるクラスメイトを見返すため、と言ったらどんな反応をするか……

 秀一は少しだけ、自分の卑しさを痛感する。


 しばらく雑談した後、今度は動画配信サイトでアニメを観ることにした。

 今観ているのは、現代日本を舞台としたファンタジー作品だ。

 

『──Ewigeエーヴィゲ......Eisstatueアイス・スタートゥエ.』


 アニメの「魔女」が冷徹に敵を見据え、静かにボソリと詠唱する。

 敵はみるみるうちに氷漬けとなり、一つの「芸術作品」が完成した。


「──今女の子が詠唱しただろ? 実はこれ、ドイツ語で『永遠の氷像』っていう意味なんだよね」

「ええっ、そうなの!? しゅーくん賢いね!」


 秀一は日本語・英語だけでなく、ドイツ語にも精通しているトリリンガルだ。

 宮子はこのことを知っているはずだが、やはり驚きを隠せずにいるようだ。


 ちなみに秀一は、ドイツ語を中学二年生の時に習得した。

 ……あまり触れないで欲しい過去だ。

 しかし、今日だけはその中二病に感謝している。


 秀一は”Tschüssチュース, Steinerシュタイナー.”というドイツ語の一文が書かれた一つのメモ書きを取り出し、宮子に見せた。

 今日のために用意した「資料」である。


「これ、なんて読むの?」

「『チュース、シュタイナー』だ。”Tschüssチュース”は『バイバイ』っていう意味の挨拶言葉で、”Steinerシュタイナー”っていうのは人名だな。つまり”Tschüssチュース, Steinerシュタイナー.”で『バイバイ、シュタイナー』という意味だ」

「え、ええっ!? も、もう一回言って!? これ、なんて読むの!?」

Tschüssチュース,Steinerシュタイナー. チュース、シュタイナー。ちゅー……したいなー?」

「あうっ……!」


 宮子は顔を真っ赤にしながら、瞳孔を大きく開かせている。

 必死に呼吸を整えた後、秀一の両肩に手を乗せる。


「うん……しよ?」


 宮子はまぶたをギュッと閉じ、唇を軽くすぼる。

 うさぎのような可愛らしさを、全身からほとばしらせている。


 宮子はゆっくりと、秀一に顔を近づけていく。

 秀一は目を閉じ、宮子を待ち受ける──


「ちゅ……ん」


 宮子の唇は柔らかい。

 まるでマシュマロのようだ。


 それに唇からは、チョコレートのような甘い香りがする。

 恐らくはリップクリームの香料だろう。

 チョコレートの芳香は、秀一をその気にさせるくらいの魔力を秘めている。


 唇と唇を合わせるだけの軽いキスだが、それでも秀一は多幸感を味わえた。

 心拍数が大きく跳ね上がり、顔が熱くなってくる。


 それは宮子も同様で、彼女は瞳を潤ませ赤面させていた。


「キス、しちゃったね……」

「ああ、そうだな……」

「わたしたち恋人同士じゃないのに、イケナイことシちゃったね……えへへ」


 言葉とは裏腹に、宮子の表情はだらしなくとろけていた。

 見ているだけで、秀一の心までもがとろかされそうになる。


(でも宮子は本当に、俺の告白を受けてくれるのだろうか……?)


 キス魔王・秀一が宮子にキスをさせた理由は、昨日の唇の感触をもう一度味わいたかったから、というのもある。

 だがそれ以外に、秀一に対する宮子の好意……すなわち告白の成功率を確認するため、というのがメインだ。


 昨日に引き続きキスをされたことで、脈ナシではないことは確認できたのだが……

 秀一はまだまだ計りかねている。


 宮子は今回のキスを受けて「恋人同士じゃないのに、イケナイことシちゃったね」と言っている。

 あえてそう言った理由……すなわち、そのメッセージの裏についてはいくつか考えられる。


 1つ目は、「わたしと恋人になって」

 2つ目は、「今のキスは遊びだよ」

 3つ目は……特に何も考えずに、脊髄反射的に発言した。


 この3通りが考えられる。

 小学生の頃は宮子とよく遊びでキスをしていたので、2つ目の可能性は否定出来ない。

 また、宮子は「熱中症」を「ねっ、ちゅーしよう?」と聞き間違えるほどのうっかりさんなので、3つ目の可能性もある。


 となれば、告白するのは時期尚早だ。

 優等生たるもの、判断材料は集められるだけ集めるべきである。

 今の状況で告白するのは、ただの蛮勇だ。


 ……ああ、宮子が余計なことを口走らなければ、何も考えずに告白できたのに。

 などと秀一は考えたが、結局はヘタれてしまうに違いない。


 このあと秀一と宮子は夏休みの宿題を一緒にする。

 そして昼前、宮子は「お大事にね?」と言って帰宅した。


「──プランA、失敗。これより、プランBに移行する」


 宮子の甘い香りだけが残った自室──

 秀一はPCデスクに座り、次なる作戦の準備を実行するために魚類の購入手続きを始めた。

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