キス魔王はためらわない ~熱中症で倒れたら可愛い幼馴染に”ちゅー”され、俺は《覚醒》した。確実に告白を成功させるため、巧妙な作戦で”誘い受け”して好意を確かめるとしよう~

真弓 直矢

第1話 夏といえば「ねっ、ちゅーしよう?」

 御門みかど秀一しゅういちは、炎天下の公園をひた走る。

 暖かく湿った空気を吸い込み、必死に喘ぐ。

 乾かぬ汗を拭い、足の筋肉を酷使する。


「はあっ……はあっ……!」


 秀一は今から1時間以上前にランニングをスタートさせ、現在の走行距離は10キロ目前である。

 なぜ秀一がそんな長距離を必死に走るのかと言うと、彼には目標があるからだ。


 ──それは、クラスのみんなを見返すこと。


 秀一は県内有数の名門校でトップクラスの成績を収めているが、しかし運動神経が壊滅的である。

 そのせいでよく「運動音痴」とクラスメイトからいじられていた。


 これではいけないと思い至り、秀一は一ヶ月前からランニングを毎日行っている。

 少し慣れてきたので、今日は10キロに初挑戦しているのだ。


 しかし今は、8月の夕立直後。

 公園には大量の水たまりが残っており、夕方ではあるものの直射日光はまだまだ強い。

 そうなってくると必然的に、気温や湿度がとても高くなる。

 不快指数MAXマックスだ。


(それでもっ……俺はっ……)


 走り続ける。

 なぜなら身体をいじめ抜くことこそが、肉体改造への近道だと信じてやまないからだ。

 秀一は、言うなれば修行僧なのだ。


 石畳からの輻射熱や湿気を一身に浴びながら、地面を強く蹴る。

 そのたびに靴ずれや筋肉の酷使によって、足が痛くなる。


(あ、れ……?)


 突如、目の前の景色が歪み、チカチカし始めた。

 筋肉が緩み脚がもつれ、そのまま石畳に倒れ込む。


 石畳は水で濡れているため、火傷するほど熱くはないが、生ぬるくて気持ちが悪い。

 足を擦りむいてしまったのか、ヒリヒリする。


(お、おかしいな……)


 何度も立ち上がろうとするが、筋肉が言うことを聞かない。

 頭痛や吐き気がする。


 これは明らかに熱中症の症状だ。

 気温・湿度がともに高い状態で無理な運動をしたせいで大量の汗をかき、脱水症状を起こしている。


「──しゅーくん、大丈夫!?」


 異変に気づいた少女が、秀一のもとに近づいてくる。

 彼女の名前は末広すえひろ宮子みやこ、家が隣同士の幼馴染だ。


 秀一と同じ高校2年だが、身体つきや顔つきはとても幼くて可愛い。

 だがその一方で、腰まで伸ばされた黒髪が綺麗で、妖艶さも感じる。


 どうして宮子がこの公園にいるのか、その理由は分からない。

 恐らく散歩でもしていたのだろう。

 炎天下の中ご苦労なことだ。


 ……まあ、軽度の熱中症になってしまった秀一が言えたことでないが。


「どうしちゃったの!?」

「ね、熱中症ねっ、ちゅーしよう……」

「ええっ!? 今ここで!?」


 「今ここで」というのはどういう意味だろうか。

 何故か身悶えしている宮子に、秀一は問われてしまう。


 宮子はしばらく考える素振りを見せた後、目を細め、うっとりとした表情を見せた。


「うん、いいよ……」

「えっ……何が……?」

「さっき転んじゃったのは、わたしの気を引くためなんだよね……? 心配しちゃったけど、許してあげる……」


 宮子にギュッと抱きしめられる。

 わけがわからないまま、小さくて可愛らしい唇が迫ってきた。


「ちゅ……ん……」

(え、ええええええええっ!?)


 秀一は宮子に唇を奪われ、驚きを隠せずにいる。

 どうして熱中症の真っ只中で幼馴染にキスをされたのか、まったく理解できずにいる。


(宮子……宮子みやこ! みやこ……)


 だが秀一は驚きよりも、宮子の愛情を強く感じている。

 唇の柔らかさに心がとろけ、甘い香りに酔いしれ、心が満たされていく。

 あまりの快感に、意識がだんだん遠のいていく。


「えへへ……キスしたのって、いつぶりだろうね……?」


 宮子の惚けきった表情を見て、秀一は昇天しかける。

 本物の天使っているんだ、と思ってしまうほどだった。


 だが鋼の意思をもって、気を張り続ける。

 ここで眠ってしまえば、間違いなく死んでしまう。


「俺を木陰に連れてってくれ……スポドリ買ってきてくれ……頼む……」

「もう、しゅーくんは甘えん坊さんだね……よしよし──でもわかった、言われたとおりにするね?」


 宮子は何故か猫撫で声で子供扱いをした後、秀一の肩を支えて木陰に向かった。



◇ ◇ ◇



 それから数十分後……


「ええええええええええええええっ!? しゅーくん、熱中症だったの!?」


 どうやら今頃気づいたらしい。

 少し快復した秀一がことのあらましを伝えると、宮子は顔を真っ赤にしながら叫んだ。


 木陰とスポドリ、もっと言うならばこの高温多湿な環境があれば、「熱中症」というワードが出てくるのは容易いはずだが……


「ご、ごめんねっ! ──どうして気づかなかったんだろう……しゅーくんが目の前で倒れて、それで焦っちゃって、『ちゅーしよう』って言われてドキドキしちゃって、キスしちゃて、それでそれで──」

「ち、ちょっと待て宮子! 俺、お前にキスを要求したのか!?」

「したよ! 覚えてないの!?」


 秀一には、そんな覚えはない。

 確かに宮子のことは大好きだが、それはあくまで”likeライク”であって”loveラヴ”ではなかった。


 宮子とは同じ高校に通っているが、学校一可愛いと思っている。

 健全な男子として、性欲を感じることは普通にあった。


 しかしキスを要求するほどの勇気なんて、秀一にはなかったはずだ。

 熱で頭が溶けたのだろうか。


 ふと、宮子がなにかに気づいたのか、顔を両手で覆い始める。


「──あっ……あああああああああっ……恥ずかしいいいいいいいいいいいいっ……バカバカバカっ……!」

「ど、どうしたんだ!?」

「わたし、早とちりしちゃったんだ……──しゅーくんは熱中症なわけなんでしょ……?」

「ああ、宮子のおかげで良くなってきたけどな。本当にありがとう。見つけてくれたのが、お前で良かった」

「えへへ……じゃなくって! たぶんさっき、しゅーくんは『熱中症』って言ったんだと思う! それをわたしが『ねっ、ちゅーしよう?』って聞き間違ったんだよ! うわあんっ……」


 「熱中症」と口にしていたのを、秀一は思い出す。

 確かに宮子の言う通り、「熱中症」という単語の発音は、キスをせがむ時の文言のそれとよく似ている。

 イントネーションは違うが。


(でも、なんで宮子は俺にキスしてくれんただろう?)


 「ねっ、ちゅーしよう?」と頼まれても、それを断ることは出来たはずだ。

 宮子は従順で優柔不断なところはあるが、それでもキスを軽々しくするような子ではない。

 ……子供の頃は遊びでたくさんキスしていたけど、流石にそれも小学校高学年の頃には卒業しているし、秀一以外とはしていないはず。


 秀一には、キスをしてくれた理由を宮子本人から聞き出す勇気はなかった。

 今の関係性を崩したくなかったからだ。

 万が一「友達でいよう? ……ね?」なんて言われたら、ショックで一週間は寝込むに違いない。


「しゅーくん……わたしのこと、嫌いになっちゃった……?」

「な、なるわけ……ないだろ……」

「キスされて……嫌じゃなかった……?」

「恥ずかしい……けど嫌じゃない。小学校の時に散々やってきたことだし、な」


 目に涙を溜めていた宮子は、「よかったあ……」と嬉しそうに笑う。

 頬を伝う雫に日光が反射し、秀一は美しさを感じた。


「と、とにかくだな! もうそろそろ帰るぞ!」

「うん! えへへ……」


 秀一と宮子は、公園をあとにした。



◇ ◇ ◇



「──決めた。俺は宮子に、もう一度キスしてもらう」


 自宅に戻った秀一は夕食をとった後、自室で謎の決意を固める。


 「さっさと告白しろよ」とのは免れないが、今はまだその時期ではない。

 婉曲的なキスの誘いに宮子が応じるかどうか、それを確かめるのが先だ。


 あくまで「婉曲的」というのがミソだ。

 直接的な表現を使ってしまうと、後で言い逃れが出来ない。


 そして「自分からキスしない」というのもポイントだ。

 宮子の意思を尊重するためである。


(────俺は、キス魔王……)


 名門校の優等生たらしめている頭脳を、今こそフル回転させるときだ。

 たとえ周りに「ヘタレ」だと蔑まれようとも、「変態」だと罵られようとも、これだけは譲れない。


 宮子の好意を安全確実に確認するため。

 そしてキスの快感をもう一度味わうため。


「──今日は徹夜で、キスされる方法を考えよう」


 実は明日の朝、宮子と会う約束をしている。

 宮子いわく「ちゃんと元気になったか心配なので、お見舞いしたい」とのことだった。

 秀一のオールナイト宣言はまさに本末転倒もいいところだが、そんなことを気にしていては「キス魔王」の名が廃れるというものだ。


 明日の勝負に向けて、秀一は思考を加速させる。

 紙とペンを取り出し、思いついたことをひたすら書き留めていく。


 秀一はアイディア出しに有効な「ブレインストーミング」を、たった一人で行っているのだ。

 優等生たる彼は生産性を上げるために、普段からこうした行いをしている。


 ──そして、時は流れていった。

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