第5話 もう少し自重してほしい

 共用部屋の整頓係という役職に勝手に就任した俺は、宿主たちがいない間に勝手に掃除をしている。

 今は一階のトイレを掃除中。廊下とリビングは各々が時間のある時に掃除をしていたようだが、トイレ掃除は年末くらいしかやってなかったらしい。


 トイレ掃除は下っ端ホストの仕事だったおかげか、俺は余裕で便器の中まで見ていられる。


 ようやく気付いた。役割があるというのは素晴らしいことだと。


「案外ここに住むのも悪くないかもしれない……のかな」


 そんな事を考えてしまうほど、ここでの生活は楽である。


 立場を振りかざす上司がいない。

 軽蔑の目を向ける後輩がいない。

 文句を言う客がいない。

 いるのは鬱陶しいほど世話を焼いてくる宿主だけ。

 口を開けて待っているだけで食事とお金が入ってくるという天国である。


 いかんいかん。それは絶対にダメだ。

 考えを改めろ、ここでの俺は軟禁状態なんだぞ。

 これではペットじゃないか。間違ってないかもしれないけど!


 俺の宿主たちはホストクラブに貢ぎまくっていたらしい。他に好みのホストでも出来たらアウトだし、俺が老いればいつかは見捨てられるだろう。

 若いからこそ、需要があるのだ。

 そもそも俺が働いていたホストクラブで嶺は常連だった。他の3人は少し見たことがある程度だが。その嶺でも俺を指名してくれたことは一度もない。

 つまり俺は妥協点。

 今にも嶺は本当の推しホストを家に連れ込むべく行動してるに違いない。


 俺の数年後のために何としても働き口を見つけなければ。

 

 そんなことを考えてトイレ掃除をしていたら、いつの間にか車のエンジン音を聞き逃していたようだ。


「たっだいまー!」

れい……うるさい……」


 宿主たちが帰ってきた。

 この元気で明るい声は間違いなく嶺だ。もう1人の感情に乏しそうな声は水琴みことさんだろうか。

 出迎えに来いとは言われているが、今はトイレ掃除中。無理だ。汚い。


「いやいや、上にいるかもしれない風流ふうりゅうくんにも聞こえるようにしないと」


「だからってそんなに大きな声を出さなくても……」


「出迎えに来てくれなかったら私寂しさで死んじゃうからね。念には念をいれないと」


 そういえば嶺は出迎えがないと謎の現象が起きて死ぬ人種だった。死なれては大変だ。

 俺は急いでトイレ掃除を終わらせ、手洗いをして玄関へ向かう。


「おかえり、2人ともお疲れ様」


 必殺の営業用スマイルで出迎える。

 これだけはホスト時代も評判が良かった、これだけは。


「風流くん! 会いたかったよ!」

「はいはい、よしよし」

「はわぁぁぁ……癒されるぅ……」


 嶺が抱きついてくる。

 俺は抱きつき返すことはないが、軽く背中や頭をぽんぽんと叩いて返事をする。

 これが嶺の仕事帰りの恒例になりつつある。

 俺のことを好いてくれているのだと伝わって、とてもありがたいのだが、嶺以外の同居人が近くにいる時はあまりやりたくない。


「……っ……ただいまです」


「ああ、水琴さんもおかえり」


 明らかな苦悶の声が、一瞬であるが聞こえてきた。

 家をシェアするほどの親友が、男とべたべたするところなんて見たくないのが本音なんだろう。

 俺も可能ならば見せたくないとは思っているが、嶺が求めてくるのだから仕方がない。


 水琴さんはそのまま俺の横を通り過ぎ、洗面所に向かって歩いていった。


「やっぱり俺、この家に居ていいのかな」


「どうして? ずっと居てもいいよ?」


 嶺はそう言ってくれるが、それは嶺だけの意見だろう。


「少なくとも、水琴さんには歓迎されてないように思うんだが……」


「そうかなぁ? 大歓迎だと思うんだけど」

「ないな」

「ないかなぁ」


 どうやら嶺の目はふし穴のようだ。

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