第23話 お母さん
気づいたときには、そこは病室で、あきらがベッドの側に座っていた。
一星くんの失踪の話を聞いて、あきらに電話しようとしたら、携帯の電池が切れていた。充電しなくちゃと思ったのに、私は付けっ放しのエアコンとテレビの前でゴロンと横たわったままだった。いろいろなことが、「もういいや」と思えた。
あきらが私のアパートに入って来たとき、ドアに鍵はかかっていなくて、私は意識がなかったらしい。ただ眠っていただけのつもりだったけれど、脱水症状だったと聞いた。点滴をしてもらって病院に一泊し、あきらはいったん家に帰ってから翌日お見舞いにやってきた。
私の食欲があまりないので、あきらが、サッカー部に差し入れでもするんじゃないかと思うくらい大きいタッパーに、おにぎりをたくさん入れて持ってきてくれた。海苔で巻いてあるシャケとおかか。それから海苔なしのワカメご飯。梅干しは私が嫌いなので入っていない。
あきらは「ごめんね」と言って泣いた。あきらに助けてもらったのに、なぜ謝られるのかわからない。おにぎりを差し出されて「食欲がない。」と言ったら、まるで殴られたみたいに痛そうな顔をするので、仕方なくワカメのおにぎりを一口かじった。
「美華が食べた。」と言ってあきらはまた泣いた。泣いて欲しくないから、おにぎりを食べたのに。しょうがないので、かじったおにぎりはちゃんと飲み込んだ。
母が病室にやってきた。去年のお正月に帰省したきり会っていなかった母は、私と同じくらい髪を短く切っていて、少し驚いた。
「大丈夫?」と聞かれて「うん。」と答える。
「しばらく、家に帰りなさい。」優しい声で母が言う。精神的に回復するまで、休学して母の住む家でゆっくり休養したらいい、という申し出に、私は悪くないなと思う。あの街に帰って死んだように暮らしているうちに、きっと、いろいろ大丈夫になるのだ。
はーい。私は昔のように返事をしようと口を開く。
「嫌です。」代わりに、そんな声が聞こえた。あきらだった。母も私も驚いてあきらを見る。
「美華はこんなかたちで、あの街に帰っちゃダメなんです。」あきらは続ける。
「美華は、必ず画家として成功して、あの街に戻ります。その前にも時々、帰省します。でも、今はダメです。」
あきらは母をじっと見つめている。犬とか猫とか、健気でいたいけな動物を彷彿とさせるくらい、とても一生懸命に。挑戦するような目ではなくて、お願いするような目だ。
「私がちゃんと面倒を見ます。お母さんにも毎日連絡します。だから、もう少し美華をここにいさせてもらえませんか?」
母は何も言わずに、戸惑った目を私に向けた。今度は、あきらが私をじっと見る。やっぱりお願いをするような目で。そんな目で見られて、他になんと言えばいいのだろう。
「お母さん。私、もうちょっとこっちにいるよ。いろいろやることあるし。」と私が言うと、二人とも目を見開いた。
母が小さなため息をつく。
「友達できたのね。」と母が言う。
ああ、そうか。私はなんてバカだったんだろう。もちろん、ずっと母は知っていたに決まっている。今の今まで、私の友達の顔を一人だって見たことがなかったんだから。
「お父さんと離婚したのよ。」と母が言う。「ケーキ持ってきたのよ。」と同じような調子で。
「働くことにしたの。まだ就活中だけど。家はね、もらえたから。いつでも帰ってきていいのよ。」
母はバッグからメモ帳とペンを取り出して、自分の携帯電話の番号を書くと、メモ帳を一枚破ってあきらに渡した。
「お願いします。美華は当てにならないから。」
あきらはメモを受け取ると会釈した。
「じゃあ、元気でね。お友達にあんまり迷惑かけちゃだめよ。」
「うん。」と言って私は笑った。母も笑顔を作った。なんだか、初めて母とちゃんと会話をしたような気がした。
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