第9話 手紙
柏木さんへ
叔父さんの家に住むことになった。この街を出て、働く。
お前も、卒業したらこの街を出たほうがいい。
元気でな。
松岡
*
あの夜、家から10メートルくらい離れたところで、松岡くんの背中から降ろしてもらった。
「お母さんに会ったら、面倒なことになるから。」と言って、私はそこで別れた。スタスタ帰っていく松岡くんの背中に「ありがとう」と言った。松岡くんは振り返らずに帰った。
家に帰ると、泣いて目を腫らした母が父と一緒に待っていた。母が父を呼んだのだろう。母に泣きながら追及され、私は「彼氏と公園でお酒を飲んでいたら、見知らぬ男に絡まれて強姦されそうになった。彼氏が男と殴り合いになって助けてくれた。」という筋書きを話した。
辻褄の合わない私の話を、父も母もあっさりと信じた。「危ないことをするんじゃない」と叱られ、「かわいそうに」と慰めてくれた。私も実はちゃんと愛されてるのかな、と思ったけど、だから嬉しいという感情は湧いてこなかった。ただ、ものすごく疲れていた。
「顔の腫れがひくまでは休むように。」と言われ、私は学校を一週間休んだ。母が学校に「インフルエンザです。」と伝えていた。
久しぶりに学校へ行くと、下駄箱に手紙が入っていた。ノートの切れ端を無造作に折りたたんだだけの手紙を見て、直感的に松岡くんかなと思った。屋上に行って読んだ。たった数行の短い文面が松岡くんらしくて、少し笑った。
もうここには二度と来ないのだろうと理解した。手紙には、松岡くんの新しい住所や連絡先は書いていなかった。きっとまた会うこともないのだろう。確信に近いその考えに、私は足の裏がすぅっと冷たくなるような感覚を覚えた。
(王子様に振られたら白雪姫はどうするのだろう。)と変なことを疑問に思った。「めでたし、めでたし。」と呟いて唇を噛んだ。心にぽっかり穴が空くというのは、こういう気持ちなのだとしみじみ知った。
「ちきしょう。」と私は言って青い空を睨んだ。私をバカにしているみたいな、雲一つない快晴だった。暖かく心地良い風が吹いていた。(絶対に、この街を出てやる。)と思った。私は屋上のフェンスを力任せに掴んだ。ガシャン、と派手な音がして手のひらに鈍い痛みを感じる。そのまま、指が白くなるまでフェンスを握る。「ちきしょう。ちきしょう。ちきしょう。」と繰り返し、「人を殺しそうな目」で空を睨み続けた。涙が盛り上がって視界が歪んでも、ずっとそうしていた。
*
私は、母に「美大に行きたい。」と告げた。母は応援すると言ってくれた。吉田先生に、「実技の指導をしてください。」と頭を下げに行った。先生はあっさり快諾してくれ、相変らずひどいことを言いながらも、意外と熱心に指導をしてくれるようになった。
いじめはあれからも相変わらず続いたけれど、殴られたりレイプされるよりはマシだった。晴れた日は屋上に行って、私は松岡くんからの手紙を読んだ。(この街を出るんだ。)と思えば平気だった。
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