STEP6:恋人の暴走

「宇美野くん! 花咲どこ? ね! あんたらもグルなんでしょ?」


 般若みたいな顔をした莉子が視界に飛び込んできて、俺は力なく椅子に腰を下ろした。

 ずかずかと店に入ってきた彼女は、冬木先輩の胸を突き飛ばして俺の目の前にやってくると周りを見回した。


「お前か! ヤリマンのクソビッチがわたしの宇美野くんに触らないで」


 夜ちゃんの胸ぐらを掴もうとした莉子の手首を冬木先輩がそっと掴んで間に体を割り込ませた。


「ここで暴れておまわりさんを呼ばれたら困るのは君なんじゃないかなー」


「うっさい! 誰? ねえ、宇美野くん、なんで? わたしじゃだめなの?」


 秋山先輩にも噛みつくように怒鳴ると、莉子は俺の肩に両手を置いて顔を近付けてくる。

 縋ってくるメンヘラっていうのはすごいな。さっきまで怒ってたのに急にここまで泣けるのか。これ次回作のプロットに使えないかな。


「莉子じゃダメとかじゃなくてさ……」


「それなら! この女を」


「はいはい。とりあえず店から出ようか君たち」


 少し不機嫌そうな秋山先輩が立ち上がるのを、冬木先輩が手で制する。確かにお店のカウンターで揉めるのは迷惑になると思うけどどうすれば……。

 夜さんは冬木先輩の背中で隠れているから、いきなり殴られたりはしなそうだ。

 座り直すついでに、テーブルの隅にあるグラスを後ろの方へ下げた秋山先輩が、冬木先輩を見て怠そうに溜息を吐いたのが見える。

 ひええ……すみません先輩たち……と心の中で謝っていると、冬木先輩が莉子の腕を掴んで店の外へ行こうとしている。

 俺も慌てて席を立って、二人と共に出口へ向かう。


「俺が外で見ておくから、秋さんと夜ちゃんは呑んでてよ」


「面白いことあったらムービー撮っといて」


 あ、これ観戦モードだ。もしかしてわかってた? わかってた? こわ。

 夜さんもにこやかに手を振っている。

 クソ! 人の修羅場をなんだと思ってるんだ! と思うけど、正直ガチで怒られるとか引かれるよりは心が楽になる。

 酔っているせいもあって、少しおかしなテンションになってた俺は、小さく秋山先輩と夜さんに敬礼をしてから店の外へ出た。

 むわっとする湿気と暑さが肌にまとわりついてくる。

 じわっと肌から滲む汗が不快で、服をパタパタと引っ張って風を体に送りながら、少し先に店の軒下で待っている莉子と冬木先輩の元へ近付いた。


 ああ、この服も彼女が選んでくれたんだよなと思う程度の感傷は、僕にだってあるんですよ。


「あのさ、莉子、せめて俺の知り合いについてネガティブなことを言うのはさあ」


 思ったように別れの言葉が出てこない。

 とりあえず、やめて欲しいことを伝えてみよう。まだやり直せるかもしれない。

 両目から大粒の涙を流している彼女は、俺が着ているシャツを小さな手で握りしめる。


「花咲ミキ@パイパンパレードなんでバカみたいな名前の女の悪口を言うのがなんでダメなの? だって馴れ馴れしいんだもん! わたしは彼女だよ? 宇美野くんと結婚したくて毎日がんばってるよ! なのにあんな努力もしてない女が宇美野くんと親しそうにしてるの耐えられないよ」


「そもそも、あそこにいた女の人はミキさんじゃないから! 話を聞けよ」


「そうやってわたしのことはどうでもいいって後回しにするんだ! ねえなにがだめなの? なんでも治すから言ってよ。初めての彼氏なんだよ? 宇美野くんに捨てられたらわたし死んじゃう」


 あのゾウアイコンがいるじゃねえかって思ってしまい、つい舌打ちをしてしまう。

 その音が聞こえてしまったのか、莉子は俺の服から手を離して数歩後退りをする。

 車道に出ないように、莉子の背中を冬木先輩がそっと前に押し出したのをみて妙に冷静な気持ちになってくる。


 いつもそうだ。周りを見ないで暴走して、泣いて俺の時間を奪っていく。


「だからさ、直すって言って全然直ってないじゃん。そうやって死ぬとかいうのやめろよっていったよね? 次やったら別れる」


「そうやってわたしを操作する為に脅迫するのやめてよ」


「は? 俺はいつでも本気だけど? 俺のこと他人を脅すようなやつだと思ってたって事?」


 金切り声に近い大声に耳が痛くなる。なんなんだこいつ。

 つい先日までは可愛いと思ってた。今は原石でかなりやらかすことも多いけど、しっかり磨けば俺の親に紹介しても顔をしかめられないような綺麗なダイヤモンドみたいな女の子になると思ってたんだ。

 それで、運命のラッキーガールと結婚して、子供を育てて二人でやっていけると思ってた。

 彼女の親から助けてあげて、今ズタズタの心もがんばって俺が癒やしてあげてようと思ってた。

 彼女が興味を持っていた小説も書かせてみたら思ってたよりも面白かったから、自分の原稿の時間を削ってまでアドバイスをして、本も貸した。 


「ククク……どっちが脅迫してるんだか」


 冬木先輩が笑いを堪えながらぼそっと呟いた。あー楽しんでますね……。アリーナ席で見る他人の修羅場は楽しいか? 後で絶対になにか奢って貰おう。


「だってずっと一緒だよって言ってくれたもん! 結婚するんでしょ? わたしは宇美野くんのお嫁さんになるってみんなにも言ってるし、親から逃がしてくれるって言ってたの信じたのに本気で別れるって言ってたの?」


「一緒にいたいとは確かに言ったし、結婚もしたかったよ。でも、それは莉子が死ぬ死ぬ詐欺をしたり、俺の友達を悪く言わないってのが大前提だよ」


「死ぬ死ぬ詐欺とかあの夜ってクソ男がツイートしてたことじゃん! あんなメンヘラと別れたやつのメンヘラ論を鵜呑みにしないでよ! 本当に死んじゃうからね?」


「だからさ、俺の知り合いを悪く言うのやめろって。あと、自分の命を盾にして命令をしてくるなって俺言ったじゃん」


 莉子が俺の腕に手を伸ばす。それを振り払うと、彼女は更に大粒の涙をこぼしはじめた。

 泣き顔は見慣れているつもりだけど、少しだけまだ心が痛む。

 でも、原稿の邪魔をする上に、やめろと言ってることを即座に破られる相手とは限界だな。そう思った。


「宇美野くんって……思ったより人の心が無いんだ……」


 鼻をすすりながら、小さな声で漏らしたその言葉で俺の頭の中にある何かがプツリと音を立てて切れた気がした。すっと気持ちが冷めていく。


「別れる。もう俺と君は無関係」


「やだ! だって宇美野くん、花咲ミキと一緒だもん! そうじゃなくてもあの女がいるなら絶対に帰らない」


 背中を向ける俺の服の裾へ莉子が手を伸ばしたけど無視して前に進む。

 小さな悲鳴に驚いて思わず振り向いたけど、前のめりになって倒れそうになった莉子の肩を冬木先輩が掴んで支えていた。


「はい。未成年はとりあえず家に帰ろうね」


「ふざけんな誰だよてめー! わたしは彼氏と大切な話をしてるのに! なんなの? 夜だなてめー! ふざけたこと宇美野くんに吹き込みやがって」


「はいはい。俺がパイパンパレードだよーやべーヘイトアカウントでーす。じゃ、この子は俺が駅まで送っていくから宇美野は店に戻って飲んでていいよ」


「はい。ありがとうございます」


 冬木先輩に甘えることにしよう。多分、暴れているメンヘラの取り扱いについてはプロ級なので任せても刺されるとかそういうのはないと思う。

 これ以上彼女の話を聞いてたら、ムカついて頭がおかしくなりそうだった。

 遠くで莉子が俺を罵倒してる声が聞こえるけど、蝉の鳴き声だと思うことにして、振り返らないまま店の中へ戻った。

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