STEP3:恋人の失態


「俺なりに、躾はしたつもりなんですよ」


 ジョッキを傾ける手が止まらない。

 先輩達が先に飲んでいたので、合流してすぐにビールを頼んだ。今日のお通しは山芋のわさび漬けかーと、ちょっとした幸せを噛みしめないとやっていられない。


「ヘイトばっかりの病気アカウントだからなー俺は」


 冬木先輩がスマホを確認しながらケラケラと笑う。彼女の相手でもしてるのだろうか。この人の彼女もなかなか強烈だって聞いてるけど、何度も浮気がバレても許してあげているのを見ると、お似合いのカップルなのかもしれない。


「普段はでもいい子なんですよ。顔も可愛いし、こう……手足も長くてすらっとしてて」


「宇美野くん、そういえば先々週は彼女と喧嘩したのかな?」


「は? あ、ああ。多分しました。彼女、料理がすごい苦手で、揚げ物をするって言ったあとによくわかんないけど熱した油をプラスチックのザルに注ごうとしてたんですよね。それで怒ったら拗ねちゃって」


「面倒くさくなってとりあえず帰らせたんだろ~?」


 隣にいる冬木先輩が、肩を組んで顔を近付けてくる。

 僕を、冬木先輩みたいな薄情者と一緒にしないで欲しい。僕は人の心は少ないかもしれないけど、彼女に帰れとかそういうことは言ったことは無いし……と自信満々に首を横に振った。


「いや、帰るって言ったから止めなかっただけですけど。っていうか、なんで喧嘩したってわかったんですか?」


 めちゃくちゃ良い笑顔で笑った冬木先輩が何かを言う前に、秋山先輩が隣からスマホを差し出してきた。

 画面には莉子のアカウントが映っている。


「これこれ」


「うわーーーーーーーーーーーー」


 思わず大きな声を上げてしまってから、慌てて両手で口を押さえてその場にうつ伏せる。

 ジョッキに腕が当たったけど、ギリギリ倒れなくてホッとしながら頭を抱えた。

 秋山先輩が差し出したスマホの画面には『彼氏が冷たい。料理を作りたかっただけなのに。人生初のリスカでもするか?』と書かれていた。


「ひひひひ……やば」


 お腹を押さえながら笑っている冬木先輩を睨もうと顔を上げたけど、冬木先輩は席を立っていた。

 店の入り口に立っている冬木先輩が片手をあげて誰かに手招きをしてる。


「こっちこっち! 道わかったみたいでよかったよ」


 店の扉を押さえている冬木先輩の隣を通ってきたのは、可愛らしい見た目の女の人だった。

 前下がりショートボブでオリーブアッシュの髪……めっちゃ尖ってる見た目の人だな……。モノトーンでうまくまとめたゆるめの服を着た女の人が俺の隣に座る。


 え? という顔をしていると、女の人の横に冬木先輩が何も問題ないみたいな顔をして座った。


「どうも。夜です」


「あ、あ? え? は?」


「はじめまして。犬アイコンの秋です」


 俺を置いてきぼりにしないで。

 言葉が出てこなくて、口をパクパクさせていると、夜さんがふっと目を細めて笑った。

 ええー。夜さんって元カノの話ばっかりしてるから男の人だと思ってたー。嘘でしょ。


「いやあ、お疲れみたいですね。あ、私ビールお願いします」


 俺に笑いかけた夜さんは、感じよく微笑んでカウンター越しにビールを注文した。

 あの蛇アイコンでメンヘラへの怨嗟を語ってる人と、目の前にいる夜さんのイメージが重ならないまま混乱していると、秋山先輩はさっきまで俺に見せていたスマホの画面を夜さんにも見せた。


「あー! それ! おもしろくて私も見てるんですよね。見てくださいよコレ」


 あ。これは冬木先輩のタイムラインの治安。

 赤にピンクのインクが飛び散っている派手なスマホケースとは似つかわしくないスクショが並んだカメラロールを開いた夜さんは、慣れた様子で画像を探し出すと拡大させながら俺たちに画面を見せる。


『彼氏に絡んでる女はみんな死ねば良いのに』

『LINEは返さないに女にリプとかいいねする彼氏……わたしは愛されてないのでは』

『やっぱり生でえっちしないと捨てられちゃうのかなー』



 顔が熱くなるのがわかる。

 カーッとなって思わずジョッキに残ったビールを飲み干して、拳を握りしめる。


「いやいやいやいや、思想は自由だとして、それをこういう場所に書くか? この前変なことを書くなってちゃんと5時間くらいかけて仕事で疲れてるのに話し合って約束したのに?」


「はい、宇美野くんはお水を飲もうねー」


 秋山さんから冷たい水が入ったグラスを頬に当てられて、自分が感情の赴くままに言葉を発していたことを自覚する。

 水を一気飲み干して、グラスをテーブルに置いた俺は、目の前にある唐揚げを一口食べた。

 おいしい。カリカリしてて身はジューシー。美味しいものを食べると少しだけ心が癒やされる。誰か助けてくれ。


 とりあえず心を落ち着かせるために、食べ物を撮影してSNSに投稿した。

 はー。

 溜息を吐いていると、夜さんも写真を撮影しているのが見えた。そういえば冬木先輩もさっき写真を撮影してたなー。


「あ」


 スマホを触っていた冬木先輩が、一瞬止まって俺を見る。

 それからすぐにめちゃくちゃいい笑顔になった。こういうときの冬木先輩はろくなことをしない。

 秋山先輩も何かを察したのかスマホを見て、それから眉を僅かにしかめる。


「今日は、俺がここ払うわ」


「え? いいんですか?やったー! あざっす!」


 素直に歓喜の声を上げたのは俺だけだった。夜さんと秋山先輩はなんだか半笑いで俺と冬木先輩を交互に見ている。


「いや、面白そうなので私はいいんですけどね」


 夜さんがそう言って自分のスマホに目を落として何度か画面をタップする。

 首を傾げながらみんなの様子を見ていると、スマホが震えた。莉子と出たのでスワイプして見なかったことにする。


「あーあ」


 俺が眉間に皺を寄せたのを秋山先輩が見ていたらしい。冬木先輩を見て咎めてるような表情はしているものの、少しだけその声に笑いが含まれている気がする。

 俺だけがもしかしてなにもわかってない?

 え?


 焦る俺の気持ちと呼応しているようにスマホは何度も何度も着信を知らせるために震えている。

 どうせ莉子からだから見なくてもいいだろう。スワイプで彼女からの連絡を見ない振りをしながら俺はSNSを開いた。


「あ、冬木先輩も画像アップしたんですね。これ美味しいですよね」


「うん、俺ね、宇美野くんのそういうところすごい好きだよ」


 すごく楽しそうな冬木先輩。これはなにかあるな? と経験上わかるものの、具体的になにがあるのかまではわからない。


「いやあ、多分さ、宇美野くんの彼女、俺と君の浮気を疑ってるみたいなんだよね」

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