お腹一杯の最悪な話

「おはよう。龍弥りゅうやくん、良く寝たね」

「……」

「やだなぁ、そんな目で見ないでよ。やましいことなんか何もしちゃいないさ」

 トループ薬草園、小さな部屋の、土で出来たベッドの上。目を覚ますと、整った青年の顔が目の前にあった。どうやら気を失っていたらしい。思い出されるのは唐突なキス。あの小島からここに来るまでに何があったか。貞操の危機を感じてじゅんを睨みつける龍弥だが、直ぐにその目線は別のところに向けられる。匂いがする。焼いた肉の匂いだ。身体を起こして顔を上げる。賑やかな話し声で分かる。子どもたちとガーデナーがこの部屋の二階で食事を摂っているようだった。

「おおい、みんな、起きたよ」

 純が声を飛ばすと、ばたばたと足音がする。降りて来たのは、ミネルヴァとファーガルの金髪少年少女コンビ、それに少し遅れて、身長一七〇センチのラテン系の少女、クローシェだった。食事のせいか、全員の顔に出会ってから一番の喜色が浮かんでいる。二階階段の手摺からこちらを見下ろすガーデナーの顔色も、心なしか良くなっている。

 久し振りの長時間の睡眠。飛び込んで来た二人組を抱き留めると、龍弥の腹が大きく鳴った。絶食の限界だ。目覚めたはいいが、これ以上身体に力が入らない。その様子を見たクローシェが顔を上げたことを合図に、一人の女性がゆっくりとプラスチック容器を加工した皿を持って降りて来た。

「……ありがとな、色々と。それと、悪かった」

 純と子どもたちが再び上階の食事に戻ると、土のベッドの隣に座ったガーデナーはそう切り出した。超常性を失いかけた彼女が言うことには、龍弥が気を失うように眠っていたのは丸一日ほどであり、目の前の肉は純が沖合に生息していた名前の良く分からない魚から剥ぎ取ってきたものらしい。

 新種かもしれないね、赤身がやたら多いけど、焼いたら動物肉みたいに食べられるかも。純のそんな台詞をくすんだ瞳の女性は付け加える。約二週間、臨界的な力の放出によって泥を失い、ろくに喋る体力も戻っていなかったガーデナーの声はがさついていた。彼女自身もそれを認めて咳ばらいをし、沈んだ声で続ける。

「てめえの仲間たちを、助けてやれなくて」

 その言葉は、何より感情に満ちていた。ガーデナーが語ったことは、榎木園已愛えきぞのいあに聞いたのと同じだった。彼女を含めた数人のガーネットキマイラたちは交渉のために太平洋を横断している最中に奇跡艦きせきかんとぶつかったらしい。『追われる限り、逃げられる』。追いかけてくる敵と一時的に距離を離す能力を持ったガーデナーだけが、襲い来る氷の兵器たちから逃れることができた。それから、龍弥が怪物染みた力で鋼の船と戦い、海底で已愛と話をしている間に、彼女は満身創痍で子どもたちと合流し、同じ兵器との戦闘を始めたという。そして彼らの能力の行使に、氷で力を制限されていた龍弥は気付かなかった。気付かなかったせいで、全員を護り切れなかった。

「こっちこそ、ごめん……カノートが、あんなことになって」

「いや、違う。何も悪くねえよ」

 それは一瞬だったという。あの夜、凍れる海岸。『一秒先の出来事を予知し続ける』という能力の少年は、奇跡艦からの砲撃が水平線に瞬いた直後、隣にいた疲労困憊のガーデナーを突き飛ばした。弾ける血しぶき。結果的に、跳弾した氷の砲弾の断片がえぐり取ったのは泥を失いつつあるガーネットキマイラの彼女ではなく小柄な少年の左腕になった。冷たく、張り詰めた空気がうごめく。撃ち返し。血を吹き出して倒れたカノートを取り込んで赤い怪物になった純による初めの砲撃で、戦艦の砲塔は海面に叩き込まれた。

「なんつーか……ほんと、どうしようもねえよな、クソ」

 悪態を吐く。その頬には深く涙の痕が刻まれていたが、これ以上加えて流れて来る様子はなかった。紋章権能生体もんしょうけんのうせいたいソース、枯死した向日葵。あの夜に一度、彼女の全ては枯れ果てた。口を開くだけの気力が戻って来るのに二週間。ガーネットキマイラの治癒の泥。それが戻るまで、どれくらいになるのだろうか。

 龍弥には何も言えなかった。ガーデナーの持つ悲しみを、現状のどうしようもなさを、言いつくろうには言葉が足りなかった。それが当たり前の二〇年を過ごして怪物になった彼の本当のところだったが、それでも、黙ったままでいようとは思っていなかった。

「――いま、前向きな言葉は聞きたくねえんだ。最悪な話しようぜ」

「あぁ、付き合うよ」

 ガーデナーに合わせて、口を開く。語るのは、この世界がどれほど醜く、どうしようもないかについて。あらゆるものの、粗末さ、虚しさ、無価値さ、矮小さについて。生まれてからここまで、二人合わせて四五年に満たない人生の中で得た絶望は、ほとんどここ最近のものが主だったが、言葉にすれば長く、薬草園の一階を満たした。嫌い、憎み、呆れ、軽蔑する。負の言葉が澱になって積み重なる。しかし、その会話は、熱量をそのままに彼ら二人に活力を与えた。

 加減よく焼かれ、舌で溶ける大きな肉の味。久し振りに摂った十分な食事のせいもあって、罵声に力が乗り、悪態に知性が混ざっていく。やがて、あと何かあったっけな、とガーデナーが口にしたころには、二人の顔にはいままでよりずっとまともな生気が宿っていた。

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