第9話 パンドラの箱 その六



 ルリムは何やら怒った顔をしていた。


「信じられない! 龍郎。このあたしを召喚するなんて、あんた、ずいぶんえらくなったじゃないの。ずっと、あたしのこと放置してたくせに、何様のつもり?」

「あ、ごめん。ひさしぶりだね。ルリム」


 龍郎があやまると、ルリムはふくれっつらをしながら手を出してくる。


「えっ? 何?」

「供物よ。供物。悪魔の力を借りたいんでしょ? まずは捧げものをしなさいよ」

「えーと……」


 龍郎が困っていると、いつのまに居間から出ていっていたのか、清美が戻ってきて、ルリムの前にお汁粉のお椀を置いた。


「何よ? これ」

「お汁粉です。ぜんざいとも言います。ルリムさん、人間世界に分身がいるのに食べたことないんですか?」

「違うわよ。あたしはザクロの実が欲しいんだけど」


 鬼子母神か——とツッコミたかったが、龍郎は黙っておいた。

 そういえば、以前、ルリムの分身の一人だった瑠璃の住んでいた家にはザクロの木があった。個人的な嗜好なのかもしれない。


「うち、ザクロないんで、お汁粉で勘弁してください。ぜんざいだって、大昔は神さまへの献上品だったって話ですよ。神在、じんざい……ぜんざいって訛ったって説があります」

「まあいいわ。よこしなさい」


 文句を言っていたくせに、一口すすると、ルリムの顔がほころんだ。やはり清美のスイーツには悪魔を虜にする何かが含まれている。


「ちょっと、ヤダ。何これ、美味しいじゃない。甘ーい。おかわりないの?」と、つかのま女子の一面を見せる。


 龍郎はおかしくなってふきだした。

 やっぱり変わってない。

 ルリムはクトゥルフの邪神ではあるものの、なぜか、ちょっと人間っぽい。そのへんにいる普通の可愛い女の子のような気がしてならないのだ。


 清美とも自然に言いあってる。


「すいません。おかわりはありません。さっき、穂村先生が四杯も食べちゃったんで」

「四杯? コイツはあなたたちに力を貸したの? なんの見返りにそれだけの供物を受けとったの?」


 キッと目をそばだてるので、あわてて龍郎はなだめた。


「穂村先生はおれたちの相談役なんだ。知恵を貸してもらってる」

「なるほどね。宇宙の万物の智を知りつくした魔王ですものね」


 やはり、ひとめで正体がわかるらしい。


「力ではあたしのほうが上だろうけど、奸計を得意とするフォラスを敵にまわすのは利口とは言えない。供物の件は許しましょう」

「いやいや、奸計だなんて、めっそうもない。私は正直でまっとうな魔王にすぎんよ」


 ホホホ、ハハハとお愛想笑いがとびかう。悪魔の社交辞令を目の前で見物できた。そのよこで、なんの貢献もしてないカエルの妖怪が黙って汁粉をすすっている。なかなかシュールな光景だ。


「ところで、ルリム。君を呼びだしたのは、お願いがあるからなんだ」


 龍郎は本題を切りだした。

 ルリムは汁粉の椀を置いた。すっかりカラだ。


「でしょうね。なんなの?」


 龍郎は事情を説明して、

「——というわけで、アルバートの作った結界のなかへ行きたい。そのために君に力を貸してもらいたい」


 頼みこむと、ルリムはニヤリと笑った。獲物を追いつめたときの肉食獣の顔だ。


「いいけど、わかってるわよね? 悪魔との取引きには代償が必要なのよ」

「……以前、君が女王になるために力を貸したじゃないか?」

「あれは冥界から恋人の魂をとりもどすことに助勢したからチャラになったじゃない?」


 まあ、そう言われるだろうことは見越していた。


「じゃあ、どうしたらいいんだ?」


 ルリムは笑みを深くする。


「わたしが欲しいものをもらう。わたしが欲しいものは、次の三つ。このうちのどれかをもらうわ」

「その三つって?」とたずねたが、三つのうち二つはなんとなく予想がついた。


「一つ、快楽の玉。二つ、苦痛の玉」


 ここまでは予想どおりだ。

 龍郎たちの持ちもののなかで、悪魔の欲しがるものはそれ以外にない。

 だが、最後の一つは見当がつかなかった。


 ルリムは楽しそうに告げる。


「三つめは、龍郎。あなたよ」

「えっ? おれ?」


 まさか、食べるんだろうか。

 頭から丸かじりか?

 そう考えて、龍郎は一人ゾッとしたのだが——


「そう。龍郎。あなたよ。あなたにルリム・シャイコースの王になってもらう」

「えっ……?」


 それは、つまり、逆プロポーズ……か?


 よく考えたら、ルリムは以前から龍郎に迫っていた。しかし、それは恋人のいる相手から男を奪うのが趣味だからのようだった。まさか、本気で人間にすぎない龍郎を邪神が好きになるわけがないだろう。


「えーと……前から言ってるけど、おれには青蘭が……」

「そんなの関係ないから!」

「でも……浮気したら青蘭に殺される」

「ふうん。じゃあ、快楽の玉か苦痛の玉をくれればいいわよ?」

「快楽の玉はアルバートに奪われた。それに、あれはおれのものじゃない。青蘭のものだ。おれが決めるわけにはいかない」

「なら、苦痛の玉ね」

「それも困る。悪魔を退治する力がないと、青蘭を守れない」


 ルリムの目が軽蔑的に龍郎をながめる。


「じゃあ、わたしの力は必要ないのね? 帰る」

「いや、待って。待って。君には助けてもらいたいよ? 条件が厳しいなって」

「三択もあるのよ? あなただから特別に優しくしてあげてるんだけど?」

「うーん……」


 決めかねる。

 どれも大事なものだ。

 しかし、快楽の玉がなくても青蘭は生きていけるかもしれない。

 そうなれば、以前のように悪魔からつけ狙われることもなくなるし、龍郎も悪魔退治しなくてすむ。

 つまり、快楽の玉がなければ、苦痛の玉もいらないのだ。


 二つの心臓を重ねたい、今度こそ一つになるのだと言っていた青蘭は納得しないかもしれないが……。


 すると、業を煮やしたようすで、ルリムが言った。


「じゃあ、答えは保留でいいわよ? とにかく、その三択のなかでどれかをわたしにくれること。その約束で協力してあげる」


 それ以上は譲らないという目をしている。

 今はさきのことより、青蘭を助けることだ。

 快楽の玉も苦痛の玉も、龍郎自身の自由意思も大切なものではあるが、このままずっと青蘭がもとに戻らなければ、いずれは死んでしまう。以前、青蘭が似た症状になったとき、アンドロマリウスが言っていた。青蘭の体は実験で造られたものだから、魂があまりにも長期間離れていると、次の転生に入ってしまうと。それは困る。


「……わかった。その条件で頼む」


 苦しい選択だがしかたない。


 ニマニマとルリムが笑っている。

「龍郎。その言葉、撤回はできないわよ。悪魔との契約は絶対に守らないといけない。もしも約束をやぶったら、あなたの命でつぐなってもらうから」


 なんだか、答えをまちがったような気がするものの、もう訂正はできなかった。

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