第3話 ナイアルラトホテップ その二
というわけで、翌日、さっそくI市の空港から国内線に乗って、東京へ旅立った。飛行機ならほんの一時間弱だ。さすがに急ぎの場合は、いつもの軽自動車というわけにいかない。
「青蘭。おれ、東京って初めてなんだ。すごいビルの数だね。緑が少ないなぁ。みんな早足で歩いてくし、殺伐としてる」
田舎から遊びにきた観光客丸出しで、ビル街を歩いていく。タクシーをおりてからほんの数分だが、すでに迷いそうだ。
「青蘭は来たことあるの?」
「何度か。でも、東京は低級悪魔の匂いが多すぎて、好きじゃないんです」
「うん。まあ、匂うね。いっぱい住んでるな」
M市で祓い屋を開業しても、右手をかざすだけで、たいていの霊は浄化してしまうから、またたくまに県内の依頼を制覇してしまうだろう。しかし、ここなら一日に数十件の悪魔を退治してまわったとしても、依頼がつきることなどないように思える。
「君たち、この番地ならこっちだよ」と、なぜか道案内してくれるのは、フレデリック神父だ。
あいかわらず、龍郎と青蘭を見張っているようで、空港へ行くと、さきに来て待っていた。
神父だけならまだいいのだが、今回はオマケにもう一人いる。
黒川だ。
とうぶん仕事で行けないと連絡を入れたのがマズかった。電話口でさんざんゴネられて、気づけばいっしょに来ることになっていた。
「青蘭ちゃん。可愛いなぁ。黒いスーツもボーイッシュでいいね」
なんて言うので、龍郎はイラッときて言い返した。
「黒川さん。もう気づいてますよね? 青蘭、男なんですけど?」
「芸術に性別は関係ない。むしろ希少価値高いじゃないか。おれ的には大歓迎だよ?」
「…………」
なんでこう、まわりに変人奇人ばかりが増えてしまうのだろうか。大学までは一般人として普通の友達にかこまれ、平凡に暮らしていたのに。
「とにかく、おれたち仕事なんで、ジャマをするなら、さきにホテルへ行っててもらえますか?」
「ジャマはしない。青蘭ちゃんのお仕事を見学させてもらう。肖像画を描くためには、その人の内面も知らないとね」
もっともらしいことを言ってついてこようとするので、
「でも、そんな大きなキャリーケースをひきずって大変じゃないですか?」
龍郎は黒川がころがしている最大級のキャリーケースを指した。海外に二週間以上滞在するときのサイズ感だ。
「これか。おれの命より大事なものが入ってるんだ。気にしないでくれ」
ひきさがる気配がない。
しょうがなく、ゾロゾロと四人で移動していく。
どこもかしこも似たようなビルばっかりで自分の現在地がまったくわからなかったが、どうにか辿りついたようだ。細長いテナントビルを示して、青蘭が言った。
「ここみたいですね。事務所の入口で島崎弁護士が待ってるって。十時半の約束だから、ちょっとすぎてしまったな」
大きなビルとビルのあいだに、槍のように建つ六階建ての遠慮がちなテナントビルに入っていく。ホール——と言うほどでもないエレベーターの昇降口にふみこんだとたん、龍郎はよどんだ気配を感じた。何かいる。
「青蘭……」
「うん。いるね。悪魔だ」
「ああ」
ただの悪魔の感じではなかった。
もっと強い力を持つ者。
ことによると魔王か邪神かもしれない。
「君たち、悪魔とかなんとか何を言ってるんだ? もしかして見えちゃう系とか、そういうのだったかな?」
黒川が茶化してくるが、龍郎も青蘭も無言だ。
やはり、この場に黒川をつれてきたのはまちがいだった。ムリヤリにでもホテルに行かせておけばよかった。フレデリック神父はエクソシストだ。邪神にも何度か遭遇したことがある。最低でも自身は守れる。が、黒川はそういうわけにいかない。彼の身に危険がおよぶかもしれない。
とにかく、さっさと書類を手に入れて、このビルを出てしまうべきだ。あとでひきかえして出なおしてくるにしても、ネックとなる黒川だけはこの場から遠ざけておかなければ。
「青蘭。事務所は何階なの?」
「二階だと聞いてます」
「郵便受けは……鍵つきか」
「鍵は事務所の引き出しに入ってるそうですよ」
ホールの一画がステンレス製の郵便受けになっている。佐竹法律事務所と記された郵便受けは見つけたものの、残念ながら鍵がかかっていて、そのまま手紙だけ持って逃げだすことはできなかった。
やはり、事務所まで行くしかない。
会社務めの人間にとっては中途半端な時間のせいか、ホールには他に人影はない。エレベーターのボタンを押すと、すぐにドアがひらいた。
四人で乗りこみ、二階へあがる。
(けっこう近いな。匂い)
ただ、都内のすべての場所に充満している下級悪魔の匂いのせいで、出元がつかめない。
チンと軽い音を立てて、エレベーターが止まった。
用心深く廊下を見ながら外に出た。
左手はエレベーターのすぐよこに階段があり、ジグザグに上下に続いている。右手にはエレベーターに対して直角に長い廊下があった。外から見たとき間口はせまかったが、奥に長い造りのようだ。廊下の片側にドアがいくつかならんでいた。
龍郎たちが廊下の角から奥をのぞくと、つきあたりにスーツを着た男が立っていた。龍郎たちを見て手招きする。あれが佐竹弁護士の代理人である島崎弁護士らしい。
十数メートル直進するあいだに四つドアがあった。その一番奥が佐竹法律事務所だ。島崎弁護士というのは三十代で、ピシッと髪をなでつけメガネをかけた生真面目そうな男だ。
「初めまして。サー・マスコーヴィル・八重咲。私は佐竹の朋輩で彼の留守中、事務所を預かっている島崎と申します」と言って手をさしだしてくるのはいいが、龍郎に対してだ。
初めましてと言っているから、これまで一度も雇いぬしの青蘭に会ったことがないのだろう。年齢と性別から龍郎がそれだと判断したのだ。
「失礼。おれは違います。八重咲青蘭はこっち。おれは彼の助手にすぎません」
「えっ? でも、こちらは女性……」
「僕は男だ。いいから、早くガストンから送ってきた書類を見たいんだ」
青蘭が言うと、島崎は胸の内ポケットから鍵をとりだした。それで事務所を解錠する。さすがは弁護士。冷静だ。
「留守を預かっているとは言え、ふだんは別の法律事務所で働いていまして、郵便物の回収などのために週に一度立ちよるだけです。私もまだ問題の書類を見ていません」
「じゃあ、とってきてください。事務所で待ってるから」
せまい事務所だ。部屋のぬしがほとんど留守だから、広い部屋は必要ないのだろう。六畳ていどの室内にデスクや書棚、ミニチュアな感じの応接セットが置かれているので、ほとんど歩くスペースがない。
昼間だが日照権が侵害されている。室内は薄暗い。
龍郎たちは事務所に入り、島崎弁護士だけが階下へおりていく。
「電気のスイッチ、これかな?」
「東京って家賃高いんですね。僕、けっこう佐竹にサラリー払ってるつもりだったけど、こんなウサギ小屋しか借りられないのか」
「いくらで雇ってるの?」
「一千万」
「年収一千万ならいいほうだと思うけど」
「月給だよ」
「だよね……」
「あっ、佐竹の給料も払えなくなるんだ」
そんなことを話していたときだ。
龍郎の点灯した照明が、すっと消えた。停電だろうか?
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