第3話 ナイアルラトホテップ

第3話 ナイアルラトホテップ その一



 仕事を終えて自宅に帰ってきたものの、青蘭は文句タラタラだ。


「なんで報酬を受けとらなかったんですか? タダ働きじゃないですか。こんなんじゃ、龍郎さんのお給料が払えないよ! ま……まさか、龍郎さん。ほんとは僕をすてるつもりなんじゃ……」

「いや、違うから。だって、手術費用にあと一千万も稼がないといけないんだよ? 今の鹿原さんには千円でも二千円でも惜しいんだ。十年後に請求に行けばいいじゃないか」

「そんなの覚えてられないです!」


 ユニを抱きしめて泣きだすので、なだめるのが大変だった。


「青蘭。明日からまた働けばいいから。ていうかさ。おれはお金なんていらないよ? 青蘭がいてくれたら、それでいいんだ」

「うん。わかってる」


 わかってないから言ってるのに、困ったものだ。どう言えば伝わるのだろうか?


 すると、厨房から清美が夕食を運んできた。今日はソウメンだ。さすがにゆでるだけのソウメンは、清美でも失敗しないらしい。金糸卵が炒り卵になってはいたが。


「はいはい。じゃあ、青蘭さん。企業からお金をふんだくっちゃうっていうのは、どうでしょう?」


 ソウメンの器を各自の前に置きながら、清美は告げる。


「企業って、なんですか?」

 龍郎がたずねると、こんな答えが返ってきた。

光矢こうし製薬ってとこから依頼が来てますよ」

「製薬会社?」

「そうです。企業からなら、いっぱい謝礼をもらえますよ!」

「そっか。百万? 二百万? もっととれるかな?」

「できますですよ。はい」


 なんて、青蘭に期待させるだけさせといて、いざ、依頼の書きこみを見ると、それは企業からではなかった。


「清美さん。これ、光矢製薬からじゃなく、光矢製薬勤務のオフィスレディーからだよ」

「えっ? そうでした?」

「天野やよいさんって人が依頼ぬしだ。勤めさきのようすがおかしいから調べてほしいって」

「ああ……失礼しました」


 青蘭はむくれた。

「企業じゃないならやんない」

「青蘭。企業からなんて、そうそうお祓いの依頼来ないよ。そういうとこは神社に頼むんじゃないのかな? まあ、どっちみち、この依頼人、近場じゃないからムリだね」


 住所は都道府県だけ必須で書いてもらうようになっている。任意で市までだ。

 天野やよいという人物は、東京の製薬会社に勤めているらしい。

 たいていは県内か遠くても、となりの県からの依頼だが、たまにポツポツと遠方の住所も目についた。


「東京じゃ出張費用もかかるし、今回はやめとこう。それより、青蘭。十分でサッと祓える簡単な依頼を一日十件こなしたら、それだけで三十万になるよ」

「そうか。そうしましょう。一日三十万なら十日で三百万。月に……ど、どうしよう! 九百万しか稼げない! 龍郎さんのお給料が払えない!」

「青蘭。とうぶん、給料はすえおきでいいんだよ?」

「そんなのダメです。僕の愛を注入しないと」

「うーん。根深いなぁ」


 これだけさわいでいるのに、座椅子によこたわる穂村はいっこうに起きてこない。うつぶせで直立不動になっているので死体みたいだ。留守番の清美によれば、たまにフラッと立ちあがり、トイレに行ってから水を飲むのだが、そのまま寝てしまうのだとか。本体で活動しているせいだろう。こんなんだからガリガリなんじゃないかと思う。


「とにかく、しばらくは県内の依頼をたくさん受けよう。そのうち評判が高くなれば、企業やお金持ちからの依頼が増えて、一件で百万くらい稼げるようになるさ」


 励ますと、やっと青蘭の機嫌がなおった。とうとつに根本的な財産問題を語りだす。


「そう言えば、佐竹のやつ、まだ日本についてないのかな? 早く詳しいことが知りたいんだけど」

「裁判になるんだろ?」

「たぶんね」

「……おじいさんの遺産って数兆円だったよね?」

「売却したのはホテルの経営権や大半の不動産だから、それくらい。まだ株や一部の土地は残ってる。それも全部売ったら十兆は超えるんじゃないかな」


 龍郎は思いきって言ってみる。

「あのさ。半分くらい、あげてもいいんじゃないかな?」


 青蘭が一瞬、凍りついた。


「せ……青蘭?」

「ダメッ! 絶対ダメ!」

「えっ? ダメなの? 半分でも使いきれないよ?」

「僕の半分は龍郎さんのものだから!」

「…………」


 財産なんていらないと、どうしても理解してもらえない。説得はムリかもしれない。

 しかし、それも青蘭の愛情の深さが原因のようだ。嬉しいような悲しいような複雑な気分を味わう。


「佐竹に電話かけてみる」


 青蘭はスマホを出して、第二秘書を呼びだした。どうにかつながったが、数分話したあと、青蘭は考えこんだ。


「……わかった。じゃあ、僕がおまえの事務所に行ってやる。鍵は? 島崎弁護士? そいつから受けとればいいんだな?」


 不機嫌に電話を切る。


「青蘭? どうしたの?」

「ハリケーンの影響で飛行機が飛ばないらしいです。明日も欠航だって。僕が向かったほうが早そうだから、行くことにしました」

「第二秘書の事務所へ?」

「うん」

「それ、どこにあるの?」

「東京。文京区だって。オフィスビルのなかにあるらしいんだ」

「東京か」


 さっきの製薬会社のレディも東京在住だという。

 これはもう、依頼を受けるしかないのではないだろうか?


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