第1話 絶望するパンドラ その六



 研究室に行き調べてみると、穂村は言った。青蘭が少年期をすごした診療所のなかに研究室はある。場所は九州周辺の孤島だ。


「九州まで行くんですか?」

「うん。何、本体で行くから問題ないとも」

「本体って、どこにあるんです?」

「魔界だよ。当然だろう」

「魔界から移動できるんですか?」

「地球上の封印されていない土地なら、どこへでも」

「……便利ですね」

「じゃあ、行ってくる」


 そう言ったせつな、穂村はソファー型の座椅子の上に、ゴロンとよこになった。目を閉じたと思うと、ぐうぐうと寝息を立てている。


「えっ? ちょっと、先生? おーい。穂村竜星」


 フルネームで呼ぶものの返事がない。

 どうやら、人間の肉体をこの場に置いていったらしい。座椅子を占領したままだ。


「しょうがないな。今夜はおひらきということにしましょう」


 龍郎は神父にむけて言った。が、神父はまだ考えこんでいた。


「フレデリックさん?」


 かさねて声をかける。

 ようやく、神父は我に返った。


「ああ。何か?」

「穂村先生がこのとおりなので、今夜はおひらきにしましょう」

「ああ。帰るよ」


 だが、そう言ったあと、神父は長いこと青蘭を見つめていた。ほうっと、ため息をつく。


 今度は龍郎のほうが問いかけてみる。


「何か?」

「……カレンさんと青蘭が同じ魂の持ちぬしなら、星流が愛したのは青蘭だったんだな。感慨深い」


 なるほど。そう言われると、そうだ。

 外見が変わっただけで、根源的に星流が愛したのは青蘭——というより、アスモデウスだったのだろう。

 かつてのバディで恋人だった二人の惹かれたのが、じつは同一人物だった。

 それは神父にとっては格段に皮肉な事実ではないだろうか。


「おやすみ。青蘭。また会おう」


 神父は龍郎を無視して、青蘭の耳元にささやくようにして帰っていった。

 龍郎は憤慨ふんがいした。


「あの人、だんだん図々しくなってこないか? ねえ、青蘭?」


 龍郎は恋人の意思を確認しておきたくて話しかけたのだが、青蘭は沈みこんでいた。


「青蘭? まだ気にしてるの?」


 幸いにして、清美はカエルと狼の従者をつれて、食器のあとかたづけに行った。居間には龍郎と青蘭の二人きりだ。


「それとも兄がいるってことがショックだった? ねえ? 言ってくれないとわからないよ」


 両肩に手をかけて、美しいおもてをのぞきこんだ。青蘭は目に涙をためている。


「だって……お金がなくなるよ」

「うん。でも、おれがこれまで青蘭にもらった給料だけでも、二人が一生、働かずに食っていけるだけあるよ?」


 すると、青蘭の瞳からボロボロ涙がこぼれおちてくる。


「龍郎さんにすてられちゃう」

「えっ? なんで?」

「お金がない僕なんて、なんの価値もないよ」


 龍郎の腕のなかで泣きじゃくる青蘭を見て、龍郎は嘆息した。

 まだそんなことを言ってるのか。

 たとえ青蘭が無一文でも、どんな姿をしていても、愛していると言ったのに。


「青蘭。おれは青蘭の財産を愛してるわけじゃないよ?」

「うん」

「だからね。お金なんて、日々を暮らしていけるだけあれば充分だから」

「うん」


 うなずいているが、理解しているふうが感じられない。

 最初の恋人に利用されてお金を持ち逃げされたことが、青蘭はいまだにトラウマになっているのだ。

 こんなに根深いとは想像もしていなかった。とっくに克服していると思っていたのに。

 これは万言をついやしても、龍郎の思いは伝わらない気がした。とりあえず別の手段を講ずるべきか。


「……わかった。じゃあ、青蘭が自力で稼ぐことができるようになればいいんだ。そしたら、遺産がなくなっても安心だろ?」

「僕……働くことなんてできません」

「できるよ。青蘭には特技があるじゃないか」

「どんな?」

「青蘭はおれを助手として雇ったんだ。忘れてないか? 青蘭は探偵だ。オカルト専門の」

「そんなのただの趣味です」

「だから、ちゃんと探偵の仕事をしよう。これまでの経験から言っても、世の中には意外と霊障に悩まされてる人がいる。思ってるより稼げるんじゃないかな」

「ふうん?」


 青蘭はお気に入りの一角獣のぬいぐるみを抱きしめながら考えこんだ。

 やがて、決心がついたようだ。


「わかった。今さら低級な悪魔なんか倒したって、僕にはなんのメリットもないんですけど、龍郎さんのお給料を稼がなくちゃね。どうせ、佐竹から連絡があるまではヒマだし」


 というわけで、とつぜん探偵業にいそしむこととなった。

 これまでも体裁上の会社は設立してあった。龍郎や清美にサラリーを払うための名義上の会社だ。じっさいには活動していなかったが、急遽、清美にホームページを作ってもらい、依頼を募集した。


 龍郎は青蘭を励ますつもりで言っただけなので、依頼がまったく来なくても別段、困らない。

 本気で青蘭を働かせるつもりなんでなかったのだが、これが意外にも人気だった。一晩で数十件もの依頼が殺到したのだ。


 翌朝。


「龍郎さん。青蘭さん。依頼ですよ。どれを請け負いますか? 今なら選びほうだいですよぉ」


 八時に清美に起こされて、龍郎は呆然とした。


「選びほうだい? なんで? そんなにたくさん依頼が来るもんなんですか?」

「そりゃ来ますよ。わたしのホームページ作りがいいですから」

「…………」


 どんなホームページだろうと思い、のぞくと、こんなキャッチフレーズが。



『悪霊退散! 超絶美形所長とイケメン助手が、姫君あなたをオバケから救います』



 龍郎は絶句した。

 清美の感性に任せたのが間違いだった……。




 了



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