名前

般若

印出 真美

昔から、自己紹介が嫌いだった。いや、正確には自分の名字が嫌いだった。

「いんで まみ です、みんなからはまーちゃんとか、まみりんって呼ばれてるので気軽にあだ名で呼んでくださ~い」

私の鉄板の自己紹介からの、

「えっ、いんで..さん?珍しい名字だね!いんで、って、どういう字書くの?」

うるさいな、突っ込むなよ。あだ名で呼べって3秒前に言っただろ、名字嫌いなんだよ。ここまで1セット。

「インドみたい笑」

ぶっとばすぞ


こんなときでも根気よくあだ名をおし続ければたいていはやがて快適な「呼ばれ環境」ができあがるが、ちなみに職場ではそうもいかない。名刺交換、電話対応、事務書類。自分の名字をこれでもかと意識させられるのは苦痛といえば苦痛だ。ただ、仕事が忙しければ自分の名字がどうのと考えている暇はないので、まあなんとかやっている。


話が飛んでしまった。今日はバイト先に新人が入るらしく、事務所(といっても店の裏の狭い休憩スペースをそう呼んでいるだけだが)で待っている。

「どんな子かな、つつじ大の学生だって。19歳、男子。わっかいね~。ねえ、イケメンだと思う?」

こういう話題が大好き、ついでにイケメンも大好きなのが同僚の秋穂だ。秋穂とはこの定食屋で働き始めてすぐ仲良くなって以来一番の親友で、何でも話せる間柄。

「わっかいね~って。3つしか変わんないじゃない。そんなおばさんくさいこと言ってるとあっという間におばさんになっちゃうよ」

「はははは」


しかし、たしかにわたしももう数年で「まーちゃん」「まみりん」という歳でもなくなってしまう。年取っても使えるあだ名を考えて早いこと浸透させなきゃな。どうやって名字じゃない呼ばせ方をするかは私にとっては一大事なのだ。そういえば最近SNSで、結婚するとたいてい妻の方が名字を変えるという慣習は不公平だし、特にフリーランスにとっては名字が大事なアイデンティティで云々、という話を見た。苦しむ人が減るのであればぜひ夫婦別姓が選択できる社会になればいいと思うが、個人的には名字が変わるのは大歓迎だった。


「だいたい、イケメンでもどうすんの、面食い秋穂サマには何ヶ月か前に捕まえたイケメン彼氏がいるじゃん」

「まみりんはわかってないなあ。いつも使ってる口紅とかあっても可愛いのあったら見ちゃうでしょ~?」

買っちゃう、じゃなくて見ちゃう、っていうところが、細かいけど秋穂の好きなところだ。


そうこうしているうちに事務所の引き戸があき、店長と茶髪の青年が入ってきた。隣で秋穂が目を輝かせているのがわかる。なるほど、整ったお顔立ちですね。

「今日から入る竹内くんね」

私の極度の名前コンプレックスからくる偏見だが、名前までシュッとしててかっこいい。


はい、恒例の自己紹介タイム。

「印出真美です、みんなからはまーちゃんとか、まみりんって呼ばれてます、わたしもつつじ大だったんだよ、よろしくね」

「よろしくお願いします!あ、年上、ですよね..?まーちゃんさん?でいいですか?」


なんっっっていい子!!思わず目がキラキラしてしまう。キラキラを通り越してうるっときてしまいそうだ。

「ちゃんにさんはまどろっこしいでしょ~~」隣で秋穂がにやにやしている。

「じゃあ...まみさん、でいいですか?」

「いいじゃん!ねえ?」

「うん!じゃあ!!それで!まみさんで!」


竹内くんの初出勤日は何事もなく終わり、初出勤で疲れているだろうということで締め作業は店長の温情で免除され、いつもどおり店長と秋穂と私の三人で店の掃除をする。私達にとっては新人が入ってきたという以外はいつものバイトの日なわけだが、彼にとっては知らない場所で知らない人と働くバイト初日、大変だったことだろう。青年よ、よく頑張ったな、うん。

「や~~びっくりした!店長!あんなイケメンどっから捕まえてきたの~」秋穂のおしゃべりが咎められないのは口が動いても全然手が止まらないからだろう。

「瀧本くんの紹介でね。」

瀧本というのはつい数ヶ月前までここでバイトしていて、大学卒業後さる大企業に就職していった私と秋穂の同期である。なるほど、確かにサークルもバイトも掛け持ちしていたみたいだし、顔が広いんだろう。ということは...

「ってことはたっきーのサークルの後輩とか?」

「そうそう、ラクロスの後輩なんだって」

「は~~背高いし運動できそうだもんねえ。まみりんいつもイケメンには興味ありませんって顔してるくせに、目きらきらさせて」

「違うよ、きらきらじゃなくて、感動のうるうる。まみさんだって。は~~いい子。秋穂のほうが、獲物を狙う目してたじゃん」


「はいはい。終わったならタイムカード切って。明日もよろしくね」

「はーい、お疲れさまでした~」


少し遅くなっちゃった、なんてことない帰り道。でもなんだろう、この「ちょっといいことあった感」。まみさん、だって。まみさん。真美、に「さん」をつけただけなのになんでこんなにくすぐったくて、素敵な気持ちなんだろう。竹内くん、明日もシフト入っているんだろうか。入ってるといいな。イケメンだからとかじゃないよ、断じて。まみさん、って呼ばれて、またふわふわくすぐったい気分を味わいたいだけ。



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名前 般若 @rinBianchi

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