第9話 生還

「えっと、あなたは……ああ!」

 部屋に入ってきた男の顔を見た瞬間、急速に記憶がよみがえってきた。つまり、さっきまでの記憶は悪夢で、忘却の彼方に飛んでた悪夢みたいな記憶が現実ってことか。ややこしい!


「私はここの看守ですよ。お忘れですか?」

「ごめん、思い出した。夢を見てたせいで、記憶がごっちゃになってたみたい」

「そうですか。楽しい夢でしたか?」

「いや、全然。それに多分、ただの夢じゃなくて実際の記憶だと思う」

「記憶というと、千年前の?」

「うん」

「なるほど。ちなみに、丸峰さんはどういう経緯で千年後の刑務所に来ることになったのですか? こんなことは、ムーン・ヘルの歴史でも初めてですよ」

「あたしにも分かんないの」

 あたしは、現時点で分かってること——というより分かってないことをざっくりと説明した。


「っていうか、あなた看守なのに知らないの?」

「残念ながら存じません。私は看守ですから」

「……話がメビウスの輪みたいにつながってんじゃん」

「ああ、つまりですね、看守の仕事は送られてきた囚人の管理だけなのです。なので、囚人の名前、生年月日、罪名、刑期しか知らされないのです」

「なるほど……」

 つまり、あたしが例の端末で見たのと同じ情報しか知らないってことね。そういうことなら、まあしょうがないか。


「ただ、ひとつだけ、ヒントになるかもしれないことを知ってますよ」

「え? なになに?」

「丸峰さんは普通と違って、麻酔が効いた状態で送られてきました。一時間ぐらいで覚めるから、と。なので、直前まで地球で手術を受けていたと思われます」

「手術……」


 改めて身体を見てみたけど、傷らしきものはどこにも見当たらない。ビッチさんに褒められた通り、スベスベだ。この時代の医療技術だと、傷跡なんて完璧に消せるのかな。それとも……。


「っていうかさ、なんであたしはまた全裸になってるわけ?」

「首の治療のために脱がす必要があったからです」

「でも、終わったんなら着せといてくれてもいいんじゃない?」

「ご心配なく。私には性欲というものがありませんので、いやらしい目で見たりはいたしません」

「いや、別にそんな心配はしてないけどさ」

 だって機械だし。


「そうですか。それは光栄です。ただ、表情の変更は可能なので、こんな風にいやらしい目をすることはできますよ」

「いや、しなくていいから! キモいキモい!」

 何、そのCGみたいな無駄機能。ホラー映画かよ。軽くトラウマになりそうなんだけど。


 そうだ、トラウマといえば……。


「ねえ、ミラって死んじゃったんだよね?」

「はい、ジョボビッチさんは亡くなってましたね」

 だよね……。いくらこの時代でも、首があんな風にちぎれちゃったらさすがに無理だよね。あの凄惨な光景は一生脳裏に焼きついて離れそうにない。


「丸峰さんは首の複雑骨折だけでしたので、治療マシンで対応可能でした」

「そうなんだ……」

「ああいう状態のことを、昔の日本語では『首の皮一枚でつながる』と言うんでしたっけ?」

「違うと思う」

「そうですか。まあ、いずれにしてもテクノロジーが発達した今となっては死語ですけどね。死にまつわる言葉だけに」

「いや、死にまつわる言葉じゃないんだけど……とりあえず、治療してくれてありがとうございます」

「お礼には及びません。生きることが皆さんの義務ですから」


 ん? そういえば、ビッチさんも似たようなことを言ってたっけ。現代人(過去人?)の感覚だと、囚人をそこまでして生かすメリットがない気がするけど、どうなんだろ? 根本的な価値観が違うのかな?


「さて、そろそろ戻りましょうか。服はそちらにかかってますので」

「はーい。ちなみに、あたし、どのくらいここにいたの?」

「二時間ですね」

「え、短か!」

「これでも、神経の修復に時間がかかった方ですよ」

 いやいや、短すぎでしょー。そもそも、首の複雑骨折が治ること自体、結構すごいことなんじゃない?


 立ち上がってみたけど、何の違和感も痛みもない。さっきまで瀕死の重傷を負ってたなんて、自分でも信じられないぐらいだ。


 例のごとく一瞬で服を着てから、看守の後について廊下に出た。そして歩きながら、さっきふと思いついた疑問を看守にぶつけてみる。


「ねえねえ、あたしって本物のあたしなのかな?」

「どういう意味ですか? 丸峰さんは丸峰さんでしょう?」

「えっと、つまりね、本物のあたしは千年前に死んじゃったけど、この時代の誰かがあたしの遺伝子を手に入れてクローンを作ったって可能性はないのかな?」


 誰かがあたしのクローンを作って、麻酔で眠らせたまま罪状をでっち上げてここに送り込んだとしたら、目的は分かんないけど一応辻褄は合う。でも、この仮説はあっさりと否定された。


「その可能性はありませんね」

「どうして?」

「丸峰さんが千年前の記憶をお持ちだからですよ。クローンといっても所詮は別人ですからね。人間の記憶は、現代の技術でも書き換えたり他人に移植したりすることはできないんです」

「なるほどー」


 よかった! ってことは、ここにいるのは正真正銘、本物のあたしってことになる。少なくとも、誰かに勝手に作られた代用品や複製品レプリカではないわけだ。


 でも、裏を返せば、正真正銘本物のあたしが千年後の刑務所に入ってるってことになるわけで……うん、どっちがましなのかよく分かんないや。


 ——お、部屋に着いたっぽい。ドアが自動的に開いて看守が先に入っていく。


 と、ここで重大なことに気づいてしまった。


 クレアちゃんって結局どうなったの? もしかして、このままだとクレアちゃんと二人っきりになっちゃうんじゃない? やばいじゃん! 今度こそ殺されるかもしれないじゃん!


 クレアちゃんと勝負しても勝てるわけがない。かといって、ここから逃げ出すのはもっと不可能だ。外、宇宙だし。


 うぅ、仕方ない……。あたしは覚悟を決めて、恐る恐る部屋に足を踏み入れた。


「おう、おかえり」


 ……え? どういうこと?

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