燃え上がる憤怒
「ナルエルが、消えた?」
領主オルークファから吹き上がる怒気に、ふたりのエルフが揃って顔色を変える。
彼らは魔道具学部の学部長と、商業ギルド長。学術都市タキステナでは上位十人に入る有力者だが、オルークファの前では小生意気な青二才でしかない。魔導師としての実力も、政治的手腕も、権力も情報収集能力も。富も名声も含めて、敵わないばかりか自らの立ち位置も領主に依存している状態だったのだから。
「ざ、残念ながら、現在、彼女は、こ、こちらの管理下に、なく」
「言い訳は要らん! すぐに連れ戻せ!」
学部長はビクッと身を強張らせるものの、黙っていては問題の責任を被らされると理解しているのだろう。果敢に反論を試みる。どのみち無傷ではいられないのだ。最後まで足掻く。
領主館の執務室に呼ばれた場合、それが朗報であることはない。叱責か譴責か更迭命令かだ。例外は何人かいるものの、その例外はその後たいがい姿を消している。
「え、衛兵からの報告によれば、ナルエルは領主様との面談後、南西方向に駆け出していったとのことです」
「南西方向」
オルークファは苦々しげに吐き出す。その先にはゲミュートリッヒがある。そして罪人の魔導師ソクルと猟兵部隊を殲滅した者たちがいる。
学部長が頭を下げて、デスクに畳まれたローブを置く。その上に、貧相な
そのふたつがなければ、タキステナでは魔導師として認められない。学籍を証明できず、学舎や研究棟のみならず、商業施設にも入れない。
だが、逆に言えば。ナルエルが道端にそれを置き去りにしたのは。
もうそれが必要ないという意思表示なのだ。
「領主様は、何があったかご存知なのでは……」
「下がれ」
学部長だけを見て、オルークファは短く告げる。驚きと安堵と困惑を
「塩の動きは」
ほぼ唯一の大規模産地であるタキステナが塩の出荷を絞った結果は、すぐに出るはずだった。経済的にも、政治的にも、軍事的にもだ。しかし、まだ目立った報告がオルークファまで上がっていない。
「値上がりは短期間で落ち着き、地域によってはむしろ下がっています」
「ありえんな。岩塩坑が発見されたという報告はない」
アイルヘルンは未だ海に面した領地を持たない。タキステナの塩湖から産出するものを除けば、山間で採れる少量で低質の岩塩だけだ。質はともかく量は足りず、アイルヘルンに暮らす者たちの生殺与奪の権はタキステナが、引いてはオルークファが握っているはずだった。
「こちらを」
商業ギルド長が差し出したのは、四角く白い紙の小袋。指で開くと、なかに入っていたのはサラサラとした純白の粒。鑑定魔法を使うまでもなく、良質の塩だとわかる。
小袋に書かれた文字は見慣れぬもので、鑑定に掛けても奇妙な記号に化けて読めない。鑑定を弾かれるなど、オルークファには初めての経験だった。
「これをどこで」
「サーエルバンとゲミュートリッヒ、それとマカの一部で流通している精製塩です。値はタキステナ産の半分ほど」
オルークファは表情を変えないまま、密かに歯を食いしばる。
南西部の半獣どもが、こちらを潰しに掛かっていることは明白だった。軍事的に圧倒され、政治的に翻弄され、経済的に侵略される。そんな未来は、絶対に受け入れられない。
「サーエルバンとゲミュートリッヒに流れる小麦を止めろ」
「オルークファ様、それは」
「命令だ」
あまりに一方的で高圧的な物言いに、さすがの商業ギルド長も眉をひそめる。
本来いち領主でしかないオルークファに、商業ギルドへの命令権限はない。これまで従わざるを得なかった聖教会の後ろ盾も、聖都消失で喪われている。オルークファが殺そうと思えばこの場で捻り潰せるだけの実力差はあるものの、それは露見せずにはいられないだろう。
事前にギルド内で面談の予定は通知してあるし、念のために階下で使用人も待たせてある。
「小麦、大麦、
サーエルバンでは購入額が緩やかに減りつつあるとの報告を聞いて、オルークファはゾッとするような笑みを浮かべる。
「そうか。わかった」
「ご理解、いただけましたか」
その日、タキステナの商業ギルドが何者かに襲われ、放火により焼失した。死者行方不明者は二十七名。
現場では、襲撃者のものと思われる焼け焦げたローブと
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