飢えと渇きと
朝食が終わると、俺とヘイゼルはナルエルを連れてゲミュートリッヒを回る。町の案内と、住人たちへの顔合わせを兼ねてのものだ。
通りを
「おはよう」
「おはようございます」
「おお、今日は早いなミーチャ。ヘイゼルは、いつも早いようじゃがな」
うん。俺は寝坊しがちだからな。働きたくないでござる。
「ナルエルのお披露目か?」
「まあね。昨日の今日だし、軽くみんなに紹介しとこうかなと」
「よろしく、お願いします」
頭を下げるナルエルに、あれこれと世話を焼くドワーフ組。特にパーミルさんは、既に噂で彼女を知っていた。どうやらタキステナでも並ぶ者のない天才魔導師で、凄腕の魔道具師らしい。
「まさか“
「前にも隊長から聞いたけど、モーダンって? もしかしてナルエルって、名のあるドワーフだとか?」
俺のリアクションにナルエルは困った顔で笑う。
「違う。馬鹿にしてきた連中をひとりずつヘコませて回ったら、そう呼ばれるようになっただけ」
「それを名のある職人というんじゃ。改めてよろしく頼むぞ!」
爺さんたちは嬉しそうに笑い、いつでも工房に来いと大歓迎してくれた。
少し迷うそぶりを見せたナルエルは、伏せ目がちに言葉を選ぶ。
「……ドワーフの血は、半分だけ」
キョトンとした爺さんたちは、揃って首を捻る。考えているというよりも、何を言われているのかピンときてないようだ。
ナルエルの言葉が足りないのもあるし、たぶん爺さんたちがそういう観点で物を考えたことがないのもある。
「血は流れとりゃええ」
「?」
「お前が何者か。それについて、わしらが興味があるのは腕と人柄だけじゃ。その他のことは、
単純明快なドワーフ技術陣の返答に、ナルエルはパァッと幸せそうな微笑みを浮かべる。
今日は先延ばしにしていた
見せても良いかという顔で爺ちゃんたち確認されたので、頷いておく。もし隠したいなら、最初から町に入れない。
「嬢ちゃん、ちょっと見てみるか?」
「ぜひ!」
喰い気味に答えたナルエルは、でっかい倉庫になっている工房内を案内された瞬間ポカーンとした顔で固まってしまった。
小さめの体育館ほどのスペースには、装輪装甲車のサラセンと、砲塔のない戦車みたいなラム・カンガルー、牽引トラックのモーリスC8が二台に、牽引式の25ポンド砲が一門。小さな2ポンド砲が三門。どれも武器弾薬は外した状態で綺麗に並べられている。
日頃の整理整頓と維持管理はさすがドワーフの職人気質で、どれも新品のような輝きを放っていた。
「ああ」
ドワーフ娘の顔に、至福の笑みが浮かぶ。フリーズ状態から回復すると、興奮状態で倉庫内を駆け回る。車体に触れながら覗き込んでは歓声を上げ、触れて、叩いて、撫でさする。
狂喜乱舞というのは、ああいうのを指すんだろうな。キョロキョロしながらブツブツ言ってるのは、ドワーフの爺ちゃんたちが作業中によくやる癖だ。そうやって頭のなかの考えをまとめて、整理整頓しながら記憶に刻み込む。泳ぎまくっているように見えるナルエルの目は、視界に入るもの全てを猛スピードで観察していた。キラキラしつつ鋭い視線。何もかも分析して記録して理解したい、という感情がありありと伝わってくる。
「あの金属板の組成がわからないのだけど強度と比較して一割ほど軽量なのと関係あるのそれに側面と前面でいや違う角度ごとに厚みを変えている理由と不思議な形状に複数の素材を張り合わせた理由は何か七つほど思いつくのにどれも疑問点があって」
ものっそい早口で爺ちゃんたちに質問し始めた。半分くらいは質問というより独り言に近い考察だ。
それはドワーフにとって奇矯な行動でもなんでもないのだろう。パーミルさんもマドフ爺ちゃんもコーエルさんもごく自然に受け入れ、短い言葉で答えや感想を伝えている。
うん。完全に“同胞を見る顔”だ。それはともかく、一時間二時間では終わらんぞ、これ。
「まさか顔見せ一件目でスタックするとは思わなかった」
「選択を誤りましたね」
たしかにそうだ。俺とヘイゼルは顔を見合わせて苦笑するしかない。
ナルエルとドワーフ技術陣は、完全に同類だった。サラセン装甲車の機能と構造について話していたかと思ったら、そのまま足回りを分解し始めた。
いきなりかよ。むしろ俺が途中で止めなかったら、完全分解まで進んでいた。
「ミーチャ、中途半端は良くないぞ? やるなら完璧にじゃ」
「そう。分解しよう?」
爺ちゃんたちと同じワクワクした目で、こちらを見るナルエル。
やめろ。サラセンは、いざというとき必要な虎の子なんだ。むしろ足回りを早く直してくれ。
「構造を知るために分解するなら、こっちにして」
「「「おお……っ⁉︎」」」
前に買っておいた軍用バイクを身代わりに差し出す。アームストロングMT500というイギリス製のオフロードバイクだ。
これならエンジンも車体も構造は単純だし、直近で使う用事もない。失敗してもダメージが少ない。
分解神に捧げる生贄のようなものだな。
ナルエルとドワーフたちは納得してくれたらしく、今回サラセンの修理は足回りのみとなった。
そうと決まれば驚くほどの手際の良さで分解して清掃し、補修部品を組み上げてゆく。途中で駆動系と緩衝系の構造を調べながら、悩んだり驚いたり感心したりと実に楽しそうだ。
昼を回った頃、サラセンは無事に使用可能な状態になった。俺とヘイゼルは必要な部品や機材を調達しながら軽作業に手を貸しただけだ。
「おつかれニャー」
「昼食を、持って来タぞ」
お茶の用意をしたエルミがやってきた。隣にはサンドウィッチの乗った大皿を持ったマチルダ。気が効くな。
でもなんでかその後ろに、スープの入った鍋を抱えたティカ隊長。
「なんで隊長まで手伝ってくれてんの。助かるけどさ」
「ついでだ」
「では、みなさんご飯にしましょうか」
「「「おー」」」
ヘイゼルが声を掛けると、エンジニアチームが返事をして手を洗いに行く。ナルエル、もう完全に馴染んでるな。ドワーフ組に混じると後ろ姿では見分けがつかなくなりそうな感じ。
倉庫の端にある大テーブルで、昼飯を食べる。午後から作業をするドワーフと獣人の若手スタッフも加わって、なかなかの大所帯。みんな食欲は旺盛なので、クマパンさんとこで追加を調達してきた。
ナルエルは、いま触れたばかりのサラセンの構造について爺ちゃんや若手たちと話している。正直、話の内容はサッパリわからんけど、楽しそうに目を輝かせているから、それで良い。
ティカ隊長も、どこかホッとした顔でナルエルを見る。
「お前なら、上手くやってけそうだな」
「うん!」
住人たちと馴染めるかを気にしてくれていたようだ。
衛兵隊長がそういう性格だからか、それとも開拓村としての出発点がそうさせたのか。この町は行き倒れそうな者、移住を希望する者は基本的に無条件で受け入れる。そして、良くも悪くも無防備のまま内懐に入れてしまうのだ。それは素晴らしいことだが、同時にどうしようもなく危ういようにも思う。
性善説というのとは、なんとなく違う気もする。強者の余裕という方が、まだ近い。
「衛兵隊長」
「ん? どうした、気になることでもあるのか」
改まった態度で向き直るナルエルに、ティカ隊長は怪訝そうな顔になった。
「わたしが、この町でしてはいけないことを、教えて」
「他人に迷惑を掛けない。町に被害を与えない。あとは、その場にいる住人に訊け。そいつが良いと言えば良い。ダメと言ったらダメだ」
おそらく訊きたかったのは、“町のセキュリティを管理する衛兵隊長として、新入りに触れられたくないものは何か”だろう。ナルエルの言葉が足りないせいで、いまいち通じてないようだ。
ティカ隊長もざっくばらん過ぎて、道徳の話みたいになってる。
しばらく話してナルエルの意図を汲み取ったティカ隊長だが、返答は簡潔だった。
「そんなものはない」
それを聞いて、ナルエルは驚いたような困ったような顔になる。たぶん、戸惑っているのだろう。
「タキステナでは、細かく分かれていた。種族、年齢、階級、経験、資格、収入、外見、それにコネクションで」
「ああ。それが正しいとまでは思わんが、人口が何千にもなる街なら、無理もない部分もあるな」
「では、この町の保安対策は」
それな。セキュリティがガバガバなのは見てすぐわかる。人口が百もいない町なら本来それで問題ないのだろうが、この町は規模と人口のわりに守るべきものが恐ろしく多いのだ。
その歪さは俺とヘイゼルが持ち込んだ、いわば災難によるものなので責任も少しは感じている。
「保安対策なら、ここと」
ティカ隊長はナルエルの胸を指し、そのまま自分の目を指した。
「ここにある」
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