ヘッジホッグス

 ――こんなはずでは、なかったんだがな。


 まだ仄暗い夜明け前の闇のなかで、ハイネルはポツリと呟く。


 領地を持たない没落した男爵家の嫡男。家督を継いだところで未来などない。遠縁を頼って王都に出ると、老いた伯爵の派閥に潜り込むことができた。

 母からは家門を維持することが使命と叩き込まれてきたけれども。そんなものは王都に着く前にもう、塵芥ごみと同じ価値しかないのだと散々に思い知らされた。だから、守るべきは死にかけの男爵家などではない。


 自分だけだ。


 貴族として生き残るためには何でもした。高位の者にはかしずへりくだり、犬として駆け回って必死に縁を繋いだ。長年の献身が認められ、老伯爵の子飼いとして管理を任されたのが北東辺境のエーデルバーデン。それは伯爵が、かつて政敵を陥れて粛清させ、奪い取った町だ。

 ようやく叶った出世の機会だ。浮かれていたハイネルには見えていなかった。伯爵が既に王都での権勢を喪いかけていたことも。派閥の後継によって、伯爵が何もかも奪われ表舞台から転落してゆくことも。

 見せしめのため、まずその飼い犬に汚名が着せられ始末されることもだ。


◇ ◇


 ハイネルは騎兵たちの先頭に立って、ゲミュートリッヒに向かう。

 夜陰に紛れてもなお、不安は消えない。城塞の如くそびえ立った外壁の威容はハッキリとわかった。寂れ朽ちかけた田舎町と聞いていた事前情報とは、完全に違っていた。情報が間違っていたか、意図的に隠蔽されたか。いずれにせよ、もう後戻りはできない。


 巨大な溜め池を大きく回り込んで、町の北側にある小さな木陰で止まる。ここから先、門までの四百メートル四半哩に掛けて遮蔽はない。


「歩兵十名で接近、魔導破城槌を門に叩き込め」

「……はい」


 事前に伝えた通りの作戦。再確認するのはむしろ、背後に控えた督戦兵みはりに聞かせるためだ。逃げたら殺される。逃げなくても、きっと死ぬ。


「残りの歩兵十二は弓で援護、魔導師は大楯を持って防壁を張れ。二名は前衛に、二名は後衛にだ。先制攻撃の後、後衛も突撃する。魔導師は接近して、外壁の上に魔導爆裂球を投げ込め」

「「は」」


 やつらが魔道具を持ち出す前に、死に物狂いで戦力を削ってやる。

 死を覚悟している自分に気付いて、ハイネルは笑う。

 ここで生きようと死のうと、それはこれまで生きてきた人生の結果だ。


「突撃」


 静かに腕を振ると、前衛の歩兵たちが駆け出していった。勇気からじゃない。城壁の真下まで辿り着けば弓兵による攻撃からは逃れられるという一縷の望みからだ。その後に城門を破城槌で砕けば新たな危険の幕開けだが……それはそれだ。

 戦場に立つ兵士は、いまの一瞬だけを恐れる。将来を不安に思うほどに長い希望を抱かない。


「……せぇのッ」


 パシンと、青白い光が放たれた。城壁の上。何かが落ちてくる。魔力光が充填された魔導爆裂球だと気付いたときには、破城槌の上でそれが跳ねていた。


「「‼︎」」


 まだ空中にあるそれを、十人の歩兵たちが揃って見る。もうどうにもならないとわかっていながらも、どうにかしようと手を離して逃げ掛ける。


「退、避ッ……」


 炸裂した爆風が兵士たちを薙ぎ倒す。金属かなもの以外に効力は薄いと聞いてはいたが、同じことだ。前線で立つ兵士は誰もが甲冑を身に纏い腰にも武器を佩いている。

 灼熱の業火は剣や甲冑を一瞬で溶かして吹き飛ばし、肉体までを焼き尽くす。

 悲鳴を上げる間もなく前衛は全滅した。


「弓兵、放てッ!」

「「応!」」


 長弓の一斉射が外壁の亜人を目掛けて放たれるものの、それが届くより早く弓兵たち十二名は震え踊って崩れ落ちる。パチパチと弾ける妙な音が、壁の上から聞こえてくる。瞬く光と鏃を弾いたであろう魔力光も。

 そして気付けば、ハイネルは馬上から転げ落ちていた。

 回る視界のなかで最後に見たのは、馬首を返して逃げ帰ろうとした督戦兵みはりの男たちが亜人の鏃に背を食い破られる姿だった。


◇ ◇


「……くッ」


 周囲が少しずつ明るくなって、転がった死体が見え始める。どれも甲冑には無数の孔が穿うがたれ、何本もの矢が突き立てられていた。生きている者がいるのかどうか、ハイネルにはわからない。

 こんな僻地で、泥まみれの道の上で、あれほど蔑み虐げてきた半獣どもの手によって殺されることになるとは。


「思っても……みなかった……か?」


 大嘘だ。そんなことは、わかっていた。最初から。自分の管理下にあったエーデルバーデンが陥落したと聞いたとき、もう王国に生き延びられる道など残っていないことを理解していた。

 笑うと身体が揺れて、口から血が溢れた。腹からも胸からも。震えるたびに冷えた血糊が甲冑の隙間から垂れ流されてゆく。

 それでも逃げなかったのは。まだ幼い弟たちがいたから。ハイネル家の後継者として、騎士爵まで落ちた家門を立て直す可能性を捨てたくなかったからだ。

 朝の日差しが亜人の城塞を照らす。そこに並んでいるであろう者たちに一矢報いようと、ハイネルは魔力の残滓を必死に掻き集める。せめて、擦り傷でも残さないことには死んでも死に切れない……


 その魔力に呼応して、傍らで青白い光が放たれる。両目と喉に矢を突き立てられて死んでいる魔導師。それが抱えていた魔導爆裂球を、自分の魔力で起動させたのだとわかった。

 ハイネルの唇に、自然と笑いが浮かんだ。最後の最後まで、自分は無思慮で、無様な、無能なのだと思い知る。


「王にのろいあれ! 王国にわざわいあれ!」


 甲冑ごと爆散する刹那、ハイネルは信じてもいない神に祈った。

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