失われるリンク

「……消えた? どういうことだ」


 衛兵隊長ケイルマンからの報告に、サーエルバン領主モルゴーズは小さく罵り声を上げた。

 夜陰に紛れて領主館に現れたケイルマンは、こちらの怒気に怯むどころか小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「文字通りの意味です、領主サマ。王国が送り込んできた密偵とその護衛は、痕跡ひとつ残さずサーエルバンから消えました」


 奴らが町に入ったのは二日前。だが、どの城門からも出た記録はない。最後に目撃されたのは今日の昼だ。中央広場で、衛兵隊副長を含む町の住人たちが何十人と見ている。


 その後、彼らの連れてきた王国屈指の古兵、“剣王”メフェルとゲミュートリッヒの半獣との間で戦闘が起きた。

 天と地ほどの実力差と思われたメフェルだが、返り討ちに遭って呆気なく死亡。衛兵隊と前後して商業区の裏通りに向かったはずの密偵たちふたりは、そのまま消息を絶った。


 ゲミュートリッヒの半獣どもに捕らえられたか、頼りにしていたメフェルが殺されたのを見て逃げたか。

 狭い田舎町のなかで、余所者が誰にも知られず身を隠せる場所などない。

 生存の可能性はないだろう。おそらく、このまま死体さえも出てはこない。


「いずれにせよ貴様の失態だ。聖教会からの処罰は避けられんと思え」

「いいえ、領主サマ。いまさら、そんな都合のいい話は通りませんよ」


 揶揄を含んだ声で、ケイルマンが言う。かつてはアイルヘルン屈指の強者として名が轟いていたが、酒食に溺れたいまは心身ともに緩んで見る影もない。


「どのみち教会の首輪は嵌ってるんです。あなたも、わかっているでしょう? 我々は、道連れなんですよ。上がるときも、落ちるときも」

「……貴様、それは脅しのつもりか」

「ただの事実です。もう報告書は見たんでしょう?」


 モルゴーズは小さく唸る。魔道具と思われる武器で射抜かれ、剣を抜いたまま横たわる死体。メフェル側が一方的に襲い掛かったとされる証言に、メフェル自身の身分は明かせない状況。どれも半獣側に有利なものばかりだ。

 おまけに半獣側は、サーエルバン有数の商人サーベイからの身元保証があった。

 魔道具に関しても、没収するには根拠が薄い。その段階では、モルゴーズもあまり意味があるとも思っていなかったが。邪魔なのであれば、殺せばいいと簡単に考えていた。


「時間が経つごとに、こちらから手出しはできなくなってきます。こんな小さな町では、領主や衛兵隊の行動など筒抜けですからね?」

「……黙れ」


 聖教会司教ロワンからの指示により、衛兵隊の捜査は中止させた。メフェルの死体は教会に引き取らせ、その後の対処はロワンの指示を待つことになっていたのだが……


「モルゴーズ様、ロワン猊下より使いの方が、こちらを」


 ようやくか。

 モルゴーズは入ってきた使用人から手紙を受け取る。ケイルマンがわずかな逡巡を見せたのに不信を抱いたものの、それどころではないと思い直す。

 教会の力添えで領主になったモルゴーズにとって、司教ロワンの命令は絶対だ。聖教会の最上位である教皇を除き、この国でロワンの決定に異を唱えられる者などいない。現教皇は既に高齢で、公務を果たせなくなり始めていた。最古参の司教として、ロワンがその座に就くことは半ば決定事項となっている。


 約束された地位を脅かすものがあるとするならば、ロワンの司教区となったアイルヘルン西方に蔓延はびこる異端者・不信心者の多さだけ。

 自分たち教会強硬派にとって“人とも呼べぬ半獣ども”がのうのうと暮らしているだけでも腹立たしいというのに、それが最も多いのが自らの教区だとなればとうてい許しがたいだろう。

 ロワン率いる聖教会の強硬派は、亜人の居住圏に対して圧力と排斥に乗り出したのだ。目的のためには手段を選ばず、滅びを呼ぶという“召喚の儀”まで行なったという。

 呆れたことに、ロワンはアイルヘルンの敵国である王国とさえ手を結んだ。亜人の多い王国北部領主たちは“敵の敵”であるとして、公然と支援を行うことさえ約束した。


「……なッ」


 そのロワンからの手紙を開いたモルゴーズは、ビクリと身を震わす。そこには、死体発見の報が記されていた。剣王メフェルのを受け取ったという話かと思えば、予想したような内容ではなかった。


“教会の地下霊廟に、白昼堂々と侵入した者がいる。置かれていたのは王国密偵と護衛、及び衛兵隊長と思われる死体。至急、対処のこと”


「……何の、冗談だ、これは……」


 モルゴーズは、前に立つ男へと視線を向ける。

 衛兵隊長ケイルマン――としか思えないは、ニヤリと昏い目で笑みを浮かべた。


「どうしました、領主サマ。化け物でも、見たような顔じゃないですか」

「……貴様、は……何者だ。……何が、目的で……」


 ニヤニヤ笑いはケイルマンの顔いっぱいに広がり、いまでは人間とはとても思えないほどに歪み始めている。


「ああ、にも、訊かれましたね。“貴様は、何者か”と。“何が、目的だ”と」


 半獣どもの、仲間か。モルゴーズは化け物を見るような目で、ケイルマンに似た何かを見据える。

 偽装や変装などという生易しい代物ではない。認識阻害や錯視といった魔法的技術でもない。領主の執務室は魔法を行使できないよう呪符や宝具や魔道具で幾重にも守られているはずなのだ。


「……この、異端者ども……ケイルマンを、……喰ったのか!」

「そんなことは、しませんよ。借りただけです。身体は、きちんとお返ししました」


 近付いてきたケイルマンが手を伸ばしてきた。

 その指先に触れられたと同時に、悪寒と倦怠感が押し寄せてくる。何かを奪われたような。なにかに入り込まれたような。

 そうだ。こいつが、異変の根源。何人もの手駒が行方不明になった元凶だ。


「心配することなど、なにもありません。先に行ったみんなが、待っていますよ。そして、あなたも……」


 愛おしげに響く、柔らかな声。その顔はグニャリと形状を変え、銀髪の娘に変わる。


大英帝国にパス・ビヨンド・旅立つザ・ブリテン

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