その40:泳ぎ目と元栓
「ひより先輩~っ。ごめんなさいっス~。怒んないでくださいっス~。許してほしいっス~」
「べつに怒ってなんかないよっ。許すも何も、怒る理由もないしっ」
半泣きですがるマッコちゃんに対して、ぶすっとした表情でひよりが答える。
「あはは。その表情で怒ってないとか言ってもねー。さっきのお姫様抱っこは不可抗力だからさー。機嫌直しなよー。飛行の特訓中にマッコが下見ちゃってねー。それで……」
「だから、機嫌悪くなんかないってっ」
「説得力ないなー。なんだったら、メグルくんにヘブンズストライク撃っちゃえばいいじゃん。あはは」
ひよりがちらりとこちらを見て拳に力を入れたように見えたので身構えたが、やめたらしい。
「マッコちゃんがリフトの最中に下を見ちゃって落ちたから、メグルさんが支えたんでしょ。それはわかってるんだから、怒ったりしないってば。……って言うか、それをなんでわたしが怒るのっ」
「実際、怒ってるじゃないスか……」
ひよりがジロリと睨む。
「ひっ。怖いっス~」
マッコちゃんがこんちゃんの後ろに隠れる。こんちゃんが、やれやれという表情で俺を見る。
「ま、まぁ、本人が怒ってないって言ってるんだから。怒ってないんだろ? その前に、おかえりー、だよ。ひより、お疲れ様」
「そうだねー。おつかれー。早い帰りだったねー。あはは」
「お、おかえりなさいっス。お疲れ様でしたっス……」
こんちゃんの後ろからマッコちゃんが顔だけ出して言う。
方角石から飛び出したひよりが着地したあと、俺とマッコちゃんも着地したわけだが、その様子をひよりは腕組みをして無表情で見つめていた。そしてお姫様抱っこ状態だったマッコちゃんは、そのひよりを見てすぐさま俺の腕から飛び降りて謝罪を始めたわけだ。マッコちゃんも、そこまで気をつかう必要もないような気がするが。
「しかし、あれだな。ひより、今回はちゃんとその方角石から出てきたじゃないか。いつもは展望台の方から出てきて迷子になってるのに。迷わないようになったのか?」
「あ。そうなんですよ。わたしの転移座標が日和山っていうワードで曖昧になってたみたいだったんで、明確になるようにフラグを設定してみたんです。成功だったみたいでよかったです」
「そ、そうか……。それはよかった」
なんだかよくわからんが、とにかくなんとかしたらしい。これからは神界から戻るときに展望台に出てくることはないんだろうか。それであれば、こちらとしてもありがたい。それに、得意なことを話したのでちょっと機嫌が直ってきた気もする。
「帰りも早かったねー。てっきり、今日一日は神界にいるもんだと思ってたよー。それで、メグルくんの特訓をみっちりやろうと思ってたんだけどねー」
「うん。わたしも明日の朝の便で帰ってくるつもりだったんだけど、報告書はすぐに出せたし、あと、あの……クシャミをしてたら、神様が『早く帰りな』とか言い出して……」
「クシャミで? 風邪でもひいたとかー? 風邪なんか引かないよねー。あはは」
「う、うん……。神様、わたしが早く帰りたがってると思ったみたいで……」
「なんだか、よくわかんないねー。あはは」
「なんだろうね。うふ、うふ」
「それで、早く帰ってきたらいきなり目に入ったのがお姫様抱っこだからねー。あはは」
「うぶっ!」
「こん先輩、なんで蒸し返すんスか~っ。いい流れだったっスのに~」
「あはは。面白い方が好きなもんで。ごめんねー」
「こんちゃん、たまに肝心なところで悪趣味だよな。まぁ、ひよりもいつまでもぶーたれてないだろ?」
「わたしは最初からぶーたれてなんて……。メグルさんはすぐお姫様抱っこするんだな、と思っただけで……」
「あはは。アタシも一回されてるからねー。マッコも今されたしねー。ひよりだけされてないのかー。メグルくん、あとでひよりにしてあげなよー。それで、みんな平等になるからねー」
それを聞いて、こんちゃんの後ろにいるマッコちゃんがビクッとした。そして俺に視線を送る。
(ここに来る前にもお姫様抱っこ状態になったこと、絶対言うんじゃないっスよ!)
という声が聞こえるかのように、視線の意味がよくわかった。
「それと、わたしが早く帰ってきた理由はもうひとつあるんです。それが一番重要なんですけど」
「ん? 一番重要なことを最後に言うのか?」
「実は……鬼が出る兆候があるということで」
「マジか。ホントに重要じゃないかよ。どこだ? 強いやつか?」
「たぶん、弱い鬼です。兆候も微弱なものなので。今は確認できないんです。だから緊急じゃないんですが」
「あの、ロリコン鬼みたいな感じか。あいつも、強くないとはいえ、手こずったけどな」
「今はこんちゃんもマッコちゃんもいるし、メグルさんも強くなってるんで、弱い鬼は問題ないと思いますけどね」
「でもまぁ、相性ってのもあるみたいだしなぁ」
「もちろん油断はできないけどねー。どんなのが出てくるかねー」
「飛ぶようなのが出てきたら、また任せてくださいっス」
「いつどこに出るかはわからないんで、心構えはしておきましょう」
弱い鬼だとしても、いつ出るかわからないっていうのは面倒だよな。まぁ、強い鬼も突然出てくるわけだけれども。
予告だけしていていつ放送されるかわからないテレビ番組なんていうのがあって、それが観たいやつだったら気が休まらないだろうなぁ、という気もしてしまう。
「……それで、メグルさんの特訓というのは効果があったんですか?」
「ん……。まあねー。始まりがちょっと遅れちゃったりしたけどねー。寝坊して、メグルくんに起こされちゃったりして」
「えっ。こんちゃん、寝坊……? まさか、またメグルさんにお姫様抱っこを……」
「あはは。されないよー。今回は地面に落とされちゃったよー。低いところからだったけどねー。メグルくん、ひどいよねー」
「まぁ、媒介石から出てくるときの仕組みというか、出方がわかったからな」
「そうですか。今回はこんちゃん、落としたんですね。うふふ」
「なに笑ってんの。ひよりもひどいなー。ちょっと痛かったんだからねー。あはは」
ひよりとこんちゃんは笑い合っていたが、マッコちゃんは無言で下を向いて脂汗を流していた。そこに、ひよりが問う。
「うふふ。マッコちゃんは遅れなかった?」
「いえ、あ、あ、あの、すこ、少しばかり……」
目が顔の外に出るくらい泳いでいる。
「なんだ。マッコちゃんも遅れたんだ。ダメだよ。時間は守らないとねっ。まぁ、こんちゃんも遅れてるんだから、先輩面もできないけどね。うふふ」
マッコちゃんの顔をじっと見つめながら、ひよりが言う。
「は、は、は、はいぃぃ……」
マッコちゃんの返事を聞いたあと、ひよりが俺を見てにんまりと笑った。なんか怖え。
「ふたりとも遅れたけどねー。その埋め合わせに体操着姿をメグルくんに見せたりしたんだから、チャラだよねー」
「えっ。ふたりとも体操着を……? そこまでの埋め合わせなら、メグルさんも許すしかないですね……」
体操着って、それほどの決意を持って着るものなのか……?
「まぁ、巫女服でいいって言うから、すぐやめちゃったけどねー」
「めぐっち、優しいっス」
「メグルくんは巫女姿のひよりに殴られすぎて、それがクセになっちゃったからっていう説があるけどねー」
「そうなんですかっ?」
「なるかっ。俺には体操着好きとかそういう趣味はないというだけだよ」
「マッコのヘソ出し体操着にも目をくれないんだから、よほど巫女に殴られるのが好きなんだよねー」
「だからそんな趣味はないと言っとるんだ」
ひよりが拳を作っているのを見て、あわてて打ち消した。殴られるの絶対好きじゃないからな。
「まぁ、メグルさんのクセはともかくとして、能力の開発はどうだったんですか?」
「んー。それが、あんまり進展はないんだよなぁ。トリガーを探すというアドバイスはもらったけど、ピンとこなくてな」
「そうですか。まぁ、昨日の今日ですからね。あせらなくてもいいと思いますけど」
「でも、日常生活で水とか飛行とか、突然能力が出たりすると困っちゃうからなぁ」
「宴会で、水芸でもできるといいかもだけどねー。あはは」
「攻撃回避とか、必要なときには出るんスけどねー。出ちゃダメなときに出たら困るっスよねー」
「こんちゃん、茶化しちゃダメだよっ。……必要なときには出てるんですね。うーん……」
ひよりは、しばらく上を向いて考える。
「そうだ。咄嗟のときに最低限のものはもう出てるんだから、出すことは考えないでいいんじゃないですか? むしろ、止めることを考えたほうがいいかもですよ」
「ふむ?」
「つまり、出すためのトリガーじゃなくて、出さないためのトリガーを考えるんです。元栓を締めるみたいなものですね」
「なるほど。出さないという意思を込めたトリガーを引いてるときは、能力が出ないようにするということか。日常生活はその状態で、鬼と戦うときはトリガーを解除してやればいいと」
「ふーん。面白いねー。そういう考え方かー」
「マッコたちには全然思いつかなかったっス。さすが、ひより先輩っス」
「そ、それほどでも……ないけどねっ」
ひよりの鼻が膨らんでいる。機嫌も直ったようでなによりだ。でも、その元栓トリガー、俺にできるんだろうか。
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