その36:銭湯帰りの上書き
銭湯から湊稲荷神社までは、二、三分もあれば着くくらいの距離だ。
少し大きめの道路も横切るが、交通量も少ないのですぐに渡ることができる。この緩やかに大きく曲がる道路は、早川堀と呼ばれる堀だったらしい。歩道には堀を模した水場もある。
西大畑公園にもそんな水場があったけれども、そういう復元的なものを作るというのは、かつて堀が張り巡らされていた新潟の記憶からなのかもしれない。
新潟は水と柳の都なんて呼ばれることもあるのだそうだ。柳都大橋とか柳都中学校なんていうのもあるな。そういえば。
俺たちは湊稲荷神社に到着する。マッコちゃんとはここでお別れだ。
「それじゃあ、マッコはここで失礼するっス。こん先輩のことは、めぐっちにお願いするっス」
「うん。いつもやってることだからな。首は動きにくいけど大丈夫だ。それで、えーと、明日はどうする?」
「明日、なにかあるんですか?」
「ああ、ひよりは聞いてなかったっけか。俺の新規能力の特訓だよ。こんちゃんの顔に水かけたりしちゃったからな。暴発しないように、制御というか、抑えることができるかっていうことだな」
「そうですか。明日のわたしがいない間に、そんなお楽しみを……」
「いや、別に楽しいわけじゃないんだが」
「ふにゃー。ひよりのいない明日、アタシとマッコでメグルくんを鍛えあげてあげるから、安心して神界へ行っといでー」
「特訓の場所っスけど……そうっスね、できたら、日和山でできるといいかもしれないっスね」
「あー。そうだねー。スペース的に、開運稲荷や湊稲荷よりもやりやすいかもねー。ひよりー、お願いできるー? ふにゃー」
「ひよりがいなくても、日和山使って大丈夫なのか?」
「……そうですね。結界の設定を不在継続モードにすれば大丈夫ですけど……」
「それじゃ、そうしよー。明日、お昼から日和山でねー。ふにゃー」
「了解っス! 明日、お昼に日和山行くっス。めぐっちも来てくださいっス。っていうか、めぐっち主役っス!」
「ん。わかった。明日の昼、日和山な」
「それじゃ、マッコは初日から活躍して疲れたんで、寝るっス。おやすみなさいっス」
「ああ。お疲れ様。おやすみ」
「ゆっくり寝て疲れ癒やしてね。おやすみなさい」
「おやすみー。明日ねー。ふにゃー」
手を振るマッコちゃんに手を振り返して、俺たちは開運稲荷へ向かう。こんちゃんは俺の背中に。いままで通りのパターンだ。ただ、俺は首が痛くて正面を向きにくいので、首を四十五度ほど右に曲げて横目で前を見ながら歩かないといけないのだけど。こんちゃんは、俺の左側の肩に自分の頭を置いている。
「あー。やっぱりメグルくんの背中は安心感があるねー。極楽極楽」
「俺の背中は温泉か。マッコちゃんのウォークの方が楽だったんじゃないか?」
「あれもいいんだけどねー。すべてをまかせきる安心感がねー。メグルくんの背中の比じゃないんだよねー」
「もう。こんちゃん、メグルさんに甘えすぎだよっ。自分で歩かないと……」
「怒んないでよー。ひよりー。ちょっとくらい貸してくれてもいいじゃなーい」
「べ、べつにメグルさんはわたしのものじゃないけど……」
「そうかー。なら、アタシの頭、こっちに置いても大丈夫だよねー。んふー」
こんちゃんが、自分の頭を俺の右肩の方に動かしてくる。俺は首が回せないので、顔と顔が接近する。
「お、おい。ちょっと……」
「んふー。同じ姿勢でいると、疲れるんだよー」
「こんちゃんっ! メグルさんも、頭左に向けてくださいっ」
「いや、それができないからさ……」
「んふふー。顔が接近して、アタシのばいん感も肩甲骨で感じて、どうかなー」
「こんちゃんっ! それ以上は……!」
「んー。ばいん感か……。肩甲骨って言うより、背骨で感じるかな。これ、お腹……?」
バッと、こんちゃんが上半身を俺の背中から離した。
「あ……。メグルくん、も、もう大丈夫だから、下ろしてくれる? 下ろしてー」
「いやー、でもなぁ、まだのぼせてるんじゃないのか?」
「そうだよー。こんちゃん、もっとメグルさんの背中で、お腹のばいん感を感じてもらいなよ。きししし」
なんか、ひよりが邪悪な笑い声をあげてるな。
「いや、ホントに。もう大丈夫なんで。下ろして。お願いー」
こんちゃんは強引に俺の背中から下りた。そして、はぁはぁと息を弾ませながら、自分のお腹をさすっている。
「メグルくん……。ホントにお腹、感じた……?」
「どうだったかな。背中ってそんなに敏感なわけじゃないからな」
「うー。そんな、わかるほどお腹出てないじゃない。だましたねー?」
「こんちゃん。お腹出てるかもって不安になるのは、運動不足を自覚してるからだよっ。普段から運動して自信を持ってれば、だまされたりしないんだよっ」
「うー。ひよりに説教されたー。なんかくやしー。……でも事実だからしょうがないねー。あはは」
そこからこんちゃんは普通に歩き始めた。
「こんちゃん、これからは銭湯帰りも歩くんなら、俺の背中タクシーはお役御免かな……」
「メグルさんっ。それが寂しいんですかっ? ばいん感を感じられなくなるからっ?」
「いや別にそういうわけじゃ……」
「あはは。お風呂あとにのぼせるのは変わりないからねー。これからもお願いするよー。それに、アタシのあとに『上書き』とか言ってメグルくんにおぶさる、誰かさんの楽しみを奪いたくないしねー」
「えっ。なんで知ってるのっ。……じゃなくて、なに言ってるのっ」
「あはは。ひよりのことはなんでもお見通しだよー。長い付き合いなんだからねー」
「おまえら、やり合ったり補い合ったり、ホント親友なんだな」
「それは、そうですよっ。でもそんなことハッキリ言われると、恥ずかしいですっ」
「あはは。まあねー。最近はちょっとメグルくんにとられてるけどねー。だからちょっと、ちょっかいかけたくなるんだよねー。……なんかアタシも恥ずかしくなってきたよー。それじゃ、ダイエットも兼ねてここから走ろうかねー」
「あと百メートルくらいしかないだろうが」
「ダイエットならもっと走らないとダメだよっ」
「あはは。走った気になるというのが大事なんだよー」
俺たちは開運稲荷に向かう最後の百メートルだけ走った。
「メグルくん、それじゃ、明日ねー。ひより、報告よろしくねー。おやすみー」
「うん。行ってくるよ。おやすみー」
「ん。明日の昼、よろしく。おやすみ」
こんちゃんはこんこんさまのところで手を振る。俺とひよりはそのまま日和山に戻る。
「いやー。今日はいろいろあったな。朝、マッコちゃんを迎えるだけかと思ってたんだけど」
「そうですね。鶴鬼さんが出てきたのが予想外でした」
「あいつの能力も俺が取り込んじゃったみたいだしな」
「それがちょっと気になるんですよね……。邪の部分が増えてきてるみたいで……」
「まぁ、それは考えてもしょうがないみたいだから、せっかくの能力を使えるようにってことで。明日はこんちゃんとマッコちゃんが特訓してくれるっていうことだしな」
「今はそれがベストだとは思うんですけど、でも……」
「その辺は、優秀な巫女のひよりがなんとかしてくれるだろうと思ってるからな。よろしくな」
「はい……。わたしもいろいろ調べるのを続けます」
「ん。ひよりは、明日は神界へ行くわけだよな。また夜を明かして見送ろうか?」
「いえ、わたし今夜は報告書も書かないといけないので。メグルさんは家でゆっくりしてください」
「そうか。朝、間に合うようなら見送りには来るけどな」
「うふふ。ありがとうございます。でも、無理はしないでください」
「大丈夫だよ。昼前にも、ちょっと寝ちゃってたみたいだしな」
「あ。そういえばわたしも……。あのベンチの、メグルさんの隣で……」
「ひよりの寝顔は、あんまり見られなかったけどなぁ。もっと見とけばよかった」
「そんなことっ。恥ずかしいですよっ」
「俺はさんざん見られてるからなぁ。寝顔っていうか、気絶顔を。ヘブンズストライクを食らってな」
「だって、いつもヘンなこと言うから……」
「顔どころか、シャツを捲くりあげられて半裸を凝視されてるしなぁ」
「裸じゃなくて、固着紋を見てるんですからねっ」
「わかってるけど、傍から見たらどう見えるか……」
「結界の中で、誰からも見えてないですからっ」
「誰にも見られないところであんなことを……」
「もうっ。そんなことばっかり言ってっ。あ、そういえば、ヘブンズクラッシュがまだでしたねっ」
「すみません。それだけは勘弁してください」
俺は本日三度目の土下座をした。
「さて。それじゃあ、俺は帰るか。会えたら、また明日な。会えなかったら、まぁ、いってらっしゃい、だな。おやすみ」
「はい……。あの……」
「ん……。ああ、おんぶひよりをやるか。こんちゃんは『上書き』とか言ってたな。何のことやら」
「さあ、なんでしょうね。……いいですか? まだ、首痛いですか?」
「ん……。まだだな。一晩寝れば治ると思うけどな。……いいぞ」
俺はしゃがんでひよりに背中を向ける。ひよりは俺の背中に乗ってくる。
「……子守唄でも歌ってやろうか?」
「いりませんよっ。子どもじゃないんですからっ」
「大人はおんぶされようとしないと思うが」
「いいじゃないですか……。こっちも上書きです……」
ひよりは俺の右肩の方に自分の頭を置いて、小さな声で何か言ったようだった。
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