その35:回らない首
それからしばらく、俺とこんちゃんとマッコちゃんの三人は日和山山頂のベンチで話をしていた。ときおり、ひよりがカフェの中からこちらを見ていたが、今日はお客も多くて忙しく働いてるようだ。
「ひより先輩、忙しそうっスねー」
「まぁ、忙しさにもムラはあるらしいけどな。ヒマなときはヒマなようだし」
「マッコの湊稲荷とアタシの開運稲荷は社務所があるからアタシたちはそっちの仕事をするけど、ここには社務所ないからねー。でもひよりも楽しそうでよかったねー」
「うん。ひよりは他のバイトを探すこともできないからなぁ。方向音痴のおかげで」
「ひより先輩は強いし優秀だしで尊敬してるんっスけど、弱点はそこだけっスよねー。あと、小さいところっスか」
「マッコちゃんは大きいからなぁ」
「いや、マッコだってそんなに……。あっ、身長とか手足の長さの話っスよ? めぐっちはやっぱりえっちなんスね!」
「あはは。メグルくんはナチュラルにセクハラしてくるからねー。ひよりが怒るんだよねー」
「うーん。俺自身は、ハラスメントとかディスってるとか、そういうつもりはないんだけどな」
「それは逆にたちが悪いっスね」
「そうかもねー。でも、それでもひよりはメグルくんに懐いてるからねー。懐いてるっていうか、まー、アレだけどねー。あはは」
「一応、バディだからな」
「そうだねー。バディだねー。あはは」
そんなこんなで夕方になり、ひよりのバイトの時間も終わりのようだ。最後の客が出ていってしばらくすると、日給の入った封筒を手に、ほくほくした顔でひよりが階段を上ってきた。
「おう。ひより、お疲れ様」
「おつかれー」
「お疲れ様っス!」
「うふふ。お待たせしました。働きました」
「そのお金で、ひよりがバナナオムレットおごってくれるんだもんねー。あはは」
「う。そうでした……。大丈夫です。どんとこい、です」
「あざーっス!」
「それじゃ、もう行くか? 売り切れちゃうといやだしな」
「そうだねー。足りないとケンカになって、バトルが始まっちゃうかもだしねー。あはは」
「負けないっスよ!」
本気で戦ったら、誰が勝つんだろうな。まぁ、巻き込まれてエライ目にあうのはたぶん俺だから、バトルにならないでほしいもんだが。
「一応、外を歩くから巫女姿じゃない方がいいね。チェンジしとこうか」
「アタシはもうセーラ服だから、これでいいねー。誰かのせいで着替えたからねー」
「それじゃ、マッコもチェンジするっス。コスチュームチェンジ! セーラー服!」
「あっ。まだダメだよっ。マッコちゃん! メグルさんがいるんだからっ」
しかしもうマッコちゃんの周囲が輝き始め、変化が始まっていたので、ひよりが俺の頭をつかみ、ゴキッと無理やり後ろの方へ捻じ曲げた。
「……なぁ。コスチュームチェンジって、そんなに見ちゃダメなものなのか?」
首を左に九十度曲げた状態で、俺は尋ねた。
「あの……。一応、一瞬だけ一糸まとわぬような形になるので……」
「光の中だから、実際は見えないんだけどねー。あはは」
「でもやっぱり、男の人に見せるわけには……」
「まぁ、俺だっていつもそのときは後ろ向いてるわけだし、今だって前もって言ってもらえればさ……」
「すんませんっス。いきなりやっちゃったっス」
セーラー服姿のマッコちゃんが謝ってくる。首が曲がらないので、身体全体を動かして、マッコちゃんを見てみる。
「……ほぅ。それがマッコちゃんのセーラー服か。袖のエンブレムには『中』か。ひよりと同じ、中学生バージョンってやつだよな。……しかし、着る人によって全然違う印象に見えるもんだなぁ」
「何が言いたいんですかっ! ちゃんと見てくださいっ! マッコちゃんのもわたしのも、同じ型の服ですよっ!」
ゴキキッ。
マッコちゃんの方を見ていた俺の首を、コスチュームチェンジを終えていたひよりが強引に自分の方に向ける。その日、俺の首は右に九十度曲がった状態で固定された。
俺たちは街側の階段を下り、商店街に向かう。首が曲がった状態で階段を下りるというのは、意外と難しいものだということを学んだ。
商店街入口近くの和洋菓子店で、バナナオムレットを買う。ちょうど四つあったので、全部買い。なんか、いつもいい数残っててありがたい。常に右を向いている俺を見て、お店の人はちょっと不審そうな顔をしたが。
そのまま商店街を進み、あけぼの公園へ。ここでバナナオムレット会をする。まぁ、単に公園でバナナオムレットを食べるというだけの話だが。
「ここがあけぼの公園っスか。ここにも鬼が出たんっスよね」
「そうらしいねー。そのときはアタシもまだいなかったんだけどねー。ほら、あそこにある子鬼の像が、媒介石だったんだってさ」
こんちゃんとマッコちゃんは、子鬼の像を見に行った。
「あの……。ごめんなさい。首、思いっきり曲げちゃって」
「いやまぁ、後輩のことを思ってやったんだから、怒りゃしないけどさ」
「なら、そんなに睨まないでくださいぃっ」
「睨んでるわけじゃないよっ。首が回らないんだから、座ったら右しか見れないんだよっ。食い物だって、食いづらいことこの上ないしっ」
俺は、ベンチで右隣に座っているひよりに言った。
「そ、それじゃあ……、これ、食べてください……」
ひよりが手に持ったバナナオムレットを俺の顔の前に出してくる。まぁ、これなら食えるか……。俺は口を開けて、ひよりが差し出すバナナオムレットを口にする。
最近は買ってもこんちゃんやひよりにやってたからあんまり食べてなかったけど、食べればやっぱりうまいな。などと思っていると。
「あー。またちょっと目を離すとイチャついてるしー。あーんして、とか言ってたー?」
「こん先輩、二人の世界を邪魔しちゃ悪いっスよー」
「ひぁっ!」
戻ってきた二人の声に驚いたひよりは、バナナオムレットを俺の顔に押し付けてクリームまみれにした。
「あー。もったいないなー。メグルくんの顔、クリームだらけになってるよー。ひより、なめてキレイにしてやればー?」
「え、あの、それは……でも……」
「俺には手があるんだから、大丈夫だよっ。自分で拭けるから」
「そ、そうですよね……って、なめるわけないじゃないっ、こんちゃん! なに言ってんのっ」
「あはは。でも一瞬考えちゃうんだからねー」
「うう……」
「でも、拭いただけじゃねー。早いとこ食べて、お風呂行ってキレイにしようか。お風呂お風呂」
「もう行くっスか? ちょっと味わわせてくださいっス。……おいしいっスねー。先輩方がハマるのもわかるっス」
「あはは。でしょー? でも神様には太るとか言われちゃうんだけどねー」
「う……。そうっスか。でもマッコはスタイル維持には気をつけてるから大丈夫っス」
「ひよりもあんまり体型には出ないっぽいしねー。危険なのはアタシだけかー。あはは」
「わたしも、太ったりはするんだけど……」
「でも見た目じゃわからないからねー。うん、食べた分はお風呂行って汗を流して減らそうかー」
「いや、風呂じゃなくて適切な運動しないと減らないと思うぞ」
「細かいことは言いっこなしだよー。メグルくんは細かいなー。とにかくお風呂だよー。あはは」
そのあとは、いつもの銭湯へ行く。こんちゃん、暑がりなのに風呂好きだからなぁ。
当たり前だが、銭湯では俺は彼女たちと離れ、一人になる。一人になれる時間は他にもあるが、一緒にいながら一人だけ別行動というのは、なんだか特別な時間のような気がする。楽しいような、不安なような気がして、それがなんだか面白いのだ。
そんな時間を過ごし、曲がらない首に苦労しながらクリームまみれになった顔を洗って、風呂を出る。温まって、首も少し良くなったような気もする。
「ふにゃー。今日もいいお湯だったねー」
「こんちゃん、そんなこと言ってる余裕あるんなら、立って歩いてよっ」
「こん先輩、相変わらずなんスねー」
いつものように、こんちゃんを担いでひよりが出てくる。今日はマッコちゃんもいるが、ひよりがひとりで担いでいるほうが安定するらしい。
「メグルさん、今日もこんちゃんをお願いします」
「ああ。いいぞ。首がまだ完全に回らないけどな」
「めぐっちがこん先輩をおぶっていくんスか? なんなら、マッコがウォークで送るっスけど」
「ふにゃー。マッコは湊稲荷、すぐ近くでしょー? また戻ってくるのも大変だから、いいよー。アタシはメグルくんに送ってもらうよー」
「マッコは全然大丈夫っスけど……」
「いや、暗い中を女子ひとりで戻ってくるのは危ないし、俺がおぶって行くからいいよ。マッコちゃんは強いから心配ないだろうけど、ヘンな気を起こす地上人がいたら、そいつの方が危ないからな」
「そうだね。マッコちゃんは目立つし、危険を生み出さないことが大事だね」
「みなさんがそう言うなら、そうするっス」
「うん。それじゃすぐ近くだし、湊稲荷も経由して帰るか」
「あ。それなら、湊稲荷まではマッコウォークでこん先輩をお送りするっス」
「そうか。じゃ、それはお願いするか」
「らじゃっス!」
こんちゃんはマッコちゃんにもたれかかるような形になって、ふたり一緒に移動する。これなら、こんちゃんに負担はないんだろう。湊稲荷が開運稲荷の近くなら、全部これでいいんだけどなぁ。
首をさすりつつそんなことを思いながら、ひよりと並んでふたりのあとを歩いていった。
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