その16:湊稲荷と回るこま犬

 翌朝。いつものように日和山展望台で深呼吸をしたあと、日和山住吉神社へ向かう。そのために急な坂を下るわけだけれども、眼下にはもう日和山が見えている。

 かつてはあの日和山から海の様子を見たということだけど、今では坂の下、見下されるような位置にあるのだよな。そんなに海岸の砂丘が急成長したんだろうか。なんだか不思議な感じを、この坂を下るたびに感じてしまう。


 などと考えながら歩いていると、すぐに日和山だ。海側の階段を上る。

「あ。おはようございます。メグルさん」

 ひよりはもう方角石の上に座っていた。

「おはよ。相変わらず早いな。護符書くのも大変だったんだろうに」

「えへへ。慣れてますから。メグルさんだっていつも早いじゃないですか」

「んー。まぁ、俺も慣れてるしな。俺は昨日の夜はすぐ寝たし」

「早起きコンビですねっ。ふふ」

「ひよりは年とったら、夜中の二時くらいに起き出して外の掃除してそうだな」

「メグルさんも新聞が来るのを『遅いっ』とか言いながら玄関で待ってそうですね。うふふ」

「わはは。やなジジイだなぁ。そんなジジババが近所にいたら迷惑だろうなぁ」

「えっ。そんな、早起きのジジババが一緒に幸せに暮らして……とか、子どもや孫が何人いて……とか、何妄想してるんですかっ。もうっ」

「いてっ。叩くな。何だよ、妄想って。わけわからんこと言ってないで、行こうぜ」

「あ。湊稲荷神社、行くんでしたね」

「それがメインだろ。護符は持ったよな」

「持ちました。じゃあ、行きましょうか」


 俺たちは街側の階段を下りて、横七番町通へ向かう。

「昨日はこの道をまっすぐ行ったけど、今日はちょっと違うルートを通ってみるか」

「え。迷いませんか?」

「ひよりひとりだったらどんなルートでも迷うだろうけど、俺がいるんだから大丈夫だよ」

「うう。まぁ、わたしはついて行くだけですけど……」

「うん。黙って俺について来い」

「はい。……えへへ」

「何照れてんだ」

「照れてなんかないですよっ。行きましょう」

「なんで先に行こうとするんだよ。方向、まったく違うぞ」

 ひよりの襟をつかんで、方向修正する。今日はまず商店街に入る。


「……こっちから、行けるはずだな」

「あ。土俵。ここ、あけぼの公園ですね」

「ああ。ロリコン鬼がいたところだ。……あいつ、もう出てこないんだろうな」

「封印したんですから、出てこない……はずですよ。出てこられたら困ります」

「ひよりの天敵だったもんなぁ」

「うう……思い出すだけで……」

 ひよりが自分の両肩を抱いて身震いする。俺はそれほどでもなかったけど、ひよりはよっぽど嫌だったんだなぁ。まぁ、無理もないか。


 俺たちはあけぼの公園前の道を横切る。その先の電柱に住所の表示があって「横六番町」と書かれている。

「あれ。ここ、横六番町っていうのか。昨日通った道が横七番町通りだったけど、ここは六番か。ふーん。このまま、一番まで行ったりするのかな」

「どうなんでしょうね」

「こういうのって、面白いよな。地名にもそれぞれ何かしらのいわれがあるわけだからな」

「そうですねぇ」

「あんまり興味ないな? こういう地名とかを把握してると、道に迷わないんだぞ。迷っても、こういう住所表示を見れば自分がどこにいるかわかるんだしな」

「うー。でも迷うんですよぅ」

「まぁそれはしょうがないけど、一応アドバイスだよ。アドバイス」

「参考にします……。迷うけど……」


 そこから少し大きめの道を横切る。ちょっと変則的な交差点になっていて、この辺の地理に不案内な人だと、ひよりじゃなくても迷ってしまうかもしれない。

「ほら。あっちにあるドラッグストアの道が、銭湯へ行くときによく使う道だ」

「ソウデスネ」

「わかってないだろ。まぁこの辺は、銭湯の行き帰りに近くを通ってるんだけどな」

「ソウデスネ」

「まったく……。まぁいいや。あとは、この道を真っすぐ行けば湊稲荷神社の近くに出るはずだ」

「イキマショウ」

「カタコトモードはもういいよ。おまえ、鬼か」

「だって……。こんな方向音痴じゃなかったら、迷惑もかけないのに……。今だって、ホントならひとりで来なきゃなのに……とは思ってるんですけど……」

「だからそれはさ。俺もこんちゃんもいるんだから、そこは頼ればいいんで、気にしないでいいって。こんちゃんだってのぼせて俺におぶらせるし。ひよりじゃないと護符だって作れないんだから。……俺もいらんこと言ったよ。悪かった」

「いえ、そんな……」

「大事なバディなんだから。足りない部分を補いあっていこうぜ」

「そうですねっ。うふふ」

「しかし、ひよりに足りない部分はいっぱいあるけど、俺に足りない部分ってあるかな……」

「言った先から、ひどいっ」

「……無いな……」

「ありますよっ。たとえば、攻撃力ですっ。ヘブンズ……」

「あー、確かに! わかった。わかったから、勘弁してくれ」

「しょうがないですね。勘弁してあげます。うふ。うふふふ」

「まったく。そうやって元気でいればいいんだよ。……ほら、もう湊稲荷神社だ」


 道の突き当りに、玉垣が見える。左に折れれば、神社の入口がある。

 入り口から拝殿までは近くてそれほど広い境内ではないが、まわりには昨日も回したこま犬や石碑や池なんかもあり、神楽殿のような舞台もある。こま犬が有名だが、稲荷神社なのでキツネもいる。このキツネ、正面から見ると笑っているようにも見える。

「さすがにこの早朝だと人もいないか」

「そうですね。でも、それが狙いでもあります」

「ああ。護符設置で儀式だか術式だかしないとだもんな。ここ、日中だと人も多そうだしな」

「はい。ここはわたしの結界外なんで、ちょっと恥ずかしいポーズとか全部見られちゃいますから……」

「うん。俺は隠れてるから、ささっとやっちゃってくれよ」

「誰か来ないか、見張っててくださいねっ」

 ひよりは、この湊稲荷神社用に昨晩書いた導きの護符を向かって左側のこま犬の足元に置いて、中二的という意味で何やら恥ずかしげな呪文のようなものとポーズを繰り広げていく。

 一連の動きが終わり、ひよりがこま犬の足元に頭を埋めると、導きの護符が光って消えていった。


「ふう。終わりました」

「ああ。お疲れさん。左側のこま犬にしたのか」

「どちらでもいいと思うんですけど、一応、女性は左側のこま犬を回すみたいなので」

「こんちゃんも、護符設置したのと逆から出てきたしな。誰かが回してるときに出てきたらビックリするだろうなぁ」

「うふふ。まぁ、マッコちゃんの結界の中だから、ごまかせるでしょうけど。でも、なんでここのこま犬は回るんでしょうね」

「それな。気になって昨日ちょっと調べてみたんだよ。昔な、この辺っていうか、俺たちの日和山の近くらしいけど、船乗りを相手にしていた遊女がいたらしいんだよ。湊町だからな」

「遊女ですか……」

「遊女って何する人? とか聞くなよ?」

「なんとなくわかりますけど……」

「で、船乗りが船に乗って出ていってしまうと、遊女はヒマになっちゃうわけだ。だから、遊女としては船が出ないでほしい」

「そうですね」

「そんなわけで、船を出さないためには船が出にくくなる西風が吹けばいい」

「昔の船は風で動いたんでしょうからねぇ」

「うん。それで、西風が吹くようにお願いしながら、こま犬の向きを西向きに変えちゃうんだそうだ。ということから、こま犬を回してお願いするっていうことになったらしいぞ」

「へー。そういうことなんですか。なるほどー。でも、昔から回ったんですね。こま犬」

「そうだなぁ。昔のやつは回るようにはできてなかったんだろうけど、女性でも動かせるくらいの重さだったのかもな」

「あっ。こま犬さん回して、風を吹かすんだ。それでマッコちゃん、風を操るんですね」

「おまえら、神界でそういう話しないの?」

「能力自体は知ってるんですけど、あんまり……由来とかは……」

「ふーん。そんなもんなのか」

「そんなもんなんです……」

「ま、とにかく導きの護符は設置終了だな」

「はい。マッコちゃん、いつでもこちらへ来れるはずです」

「いつ来るんだろうな。こんちゃんは結構時間経ってから来たしな」

「そうですねぇ。いつでしょうねぇ」

 俺たちはまだ静かな朝の空気の中、日和山に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る