第16話

 瑪瑙は、もう少し遅かったら、狩られる方に成長していたかもしれない鬼だった。

 年も、その時で多恵より一つ上であと一歩の覚悟がないまま、弱い立場の幼い鬼や狐たちを守り続けていた。

 多恵と共に助け出された後、瑪瑙はこの地に残り、生きる道を決めた娘を守り続けている。

 修行に出た時にも、この地に尼僧として舞い戻った時も、瑪瑙は陰で脅威を払ってくれた。

「で、今は、村のまとめ役、か」

 セイの足元で、あくびをかみ殺しながら四つ足で歩く黒い塊が、大男を見上げた。

 この国では珍しい、毛の長い黒猫だ。

「まあ、まとめ役ではあるが、流石に表にはもう出れない。何人か後継は選んであるが、あんたたちと今後も付き合いを続けるのなら、もう少し教え込んでおかんとな」

「だから、どうしてあんたらは、大袈裟な話にするんだ?」 

 鬼にしては顔つきも目つきも温和な大男は、そのうんざりとした顔に思わず吹き出す。

「あんたが、大きなことをやってるくせに、小さい事と偽ろうとするからだろ」

 どういう意味だと、眉を寄せるセイを見上げ、足下の黒猫が大男に言う。

「悩ませるな。何を言い出すか分かったもんじゃないから」

「あんたら周りが、そういう風に甘やかすから、こう言う奴になるんじゃないのか?」

「そんなわけあるか。こいつはな、元々こんな奴なんだ」

 真面目な二人の会話は聞き流し、セイは辺りを見回した。

 草は生い茂り、家の姿はほとんど見えなくなっていた。

 焼けた家があったであろう所も、草が茂ってしまっていて、火事の痕跡は見つけにくくなっていた。

「しかし、一棟焼く火事だと言うのに、他の家は無事だったのか。どんな手妻を使った?」

「雨が多い時期だったし、風もなかった。後は、周りの家にまで、火が移らないようにしてただけだ」

 その、だけ、が難しいと言うのに、セイはこともなげ気に答え、溜息を吐いた。

「……では、そろそろ、お勤めに移らせていただきます」

 多恵がそんな若者を優しく見つめ、静かに告げた。

 ごく簡単な、呪いの準備を終えると、そっと手を合わせる。

 僧が唱える読経ではなく、古谷の御坊から受け継いだ呪いの言葉だ。

 歌うように、滔々と唱えられる言葉を耳に、セイも瑪瑙も手を合わせて黙祷した。

 夜の澄んだ風が、僅かに張り詰めるのを肌で感じ目を開くと、若者は黙ったまま辺りを見回した。

「私は、我儘だ」

 不意に、いつもの声音で呟くセイに、言い返そうとする尼僧に首を振り、更に言う。

「ここで亡くなった人たちも、山の主も、私は助けたかった。もう少し、私の口が達者なら、あの人たちを説得できたのだろうか。子供を手にかけた人の目を覚まさせるにしても、別なやり方はなかったのか……ずっと、考えてた」

 考え始めると、あの夜に至るまでの自分が取った動きや、言った言葉まで気になって来る。

「私は、まだまだ未熟だ。物事の先を見ようと目を凝らせても、悪い方へと向かうのを止める力がない」

 求められるままにあの群衆の中に舞い戻ったのも、そう考えてのことだった。

 そして、この村でその力不足が骨身にしみた。

 周りの者の手を借りようにも、説得する言葉を見つけられない。

「村の男たちは、もう抜け出さない所まで落ちていたから、山の主とどちらを助けるかと言う所は、躊躇わなかったんだけど」

 それは、初めに追いすがられた時に気付いた。

 男衆の目は、自分たちの着物や、まがい物の大小の刀を物色していた。

 その日の昼に出会った、村の話を餌にかどわかしを目論んだ、盗賊たちのように。

 考えてみれば村の男たちを虐殺した者も、その指示を下したセイ自身も所詮は同じ穴の狢であり、果たして偉そうに罰を下せる立場なのかと、国元へ知らせて罰してもらった方が良かったのではと、これも悔いることの一つだった。

「いいえ、それは、違います」

 セイの考えに首を振った多恵は、その村の男衆の事は知らないが、聞いた限りでは国元での裁きを受けさせてはならぬ事態だった。

「よくお考え下さい。あの村へ嫁を出す村はありませんでしたが、何年か前まではあの村の娘を貰った者もおりました。噂が広まるにつれ、それもなくなっておりましたが、嫁いだ娘たちは、健在のはずでございます」

「……うちの若いのも、この村から嫁を貰った。気立てのいい嫁だぞ」

 村が罰を受ければ、同じように罰を受ける事はないだろうが、嫁入り先での扱いが間違いなく変わる。

「姑との仲が元々悪かったら、それこそ格好の的だ。出戻る家もないんじゃあ、女の先は知れてる」

「そうか……」

 色恋の駆け引きや、その他の恋沙汰には、全く頭がついて行かないが、こういう分かりやすい話は、よく分かる。

 セイは頷いて、少しだけ安堵した。

「じゃあ、私は、大きなことを言った割に、村を潰してしまう方へと持って行ってしまった事を、山の主に謝ればいいだけか?」

 若者は背後を振り向きながら、多恵に尋ねていた。

 答える前に、そこに歩み寄る人影に気付く。

「……」

 体を伸ばしてその背丈のある娘を見上げた黒猫が、草色の目を見張った。

「今晩は、元気そうだね」

 セイに優しく微笑んで、狐が挨拶した。

「お陰様で。あんたの方は? 弟も元気なのか?」

「ああ、この通り」

 狐は微笑んだまま、若者のすぐ後ろを指さした。

「隙ありっっ」

 幼い声が叫び、セイが振り返る前に、事は終わっていた。

「こいつをそんなもので殴っても、獲物の方が壊れるだけだぞ」

 浪人姿の男が、男の子供を地面に押し付けながら、呆れた声で言う。

「き、貴様、どこから湧いたっ?」

「さっきからいたが」

 言いながらオキは、子供の手からつっかえ棒を奪い取った。

「というか、こんなもの、あんたの家にあるのか?」

 何でもないように、瑪瑙が気になることを訊くと、狐は苦笑しながら答えた。

「さっき無人の家から拝借したんだよ。一発殴る位は、いいかなって」

「構わないけど……」

 娘の言い分に、セイは真顔で答えた。

「そんな棒切れじゃあ、すぐに折れる」

「こいつ、頭が固いからな。恐ろしく」

 頑固、と言う意味ではないオキの言い分に、狐は困ったように笑った。

「そうなのか。じゃあ、私は何に思いをぶつければいいんだろうね。守ろうと思っていたものを、殆んどあなた達に奪われてしまった、この行き場のない思いを?」

「別な物で、ぶつけたらどうだ?」

 優しく、しかし当てこするように問われたが、セイはすぐに答えた。

「そんな棒じゃなく、刃物や鈍器が、残っているはずだ」

「……話を聞くと言う、考えにはならないのか、あなたは?」

「話だけで、いいのか?」

 思わず言ってしまったのは、瑪瑙だ。

 鋭く睨まれて首を竦めるが、悪びれる様子はない。

「……あれから、何度か、術師の襲撃を受けた。村の民を襲った性悪狐、そう悪し様に言われて、それでも何とか撃退してきたけれど、もう限界だ」

「だろうと思ったから、この人に呪いをかけてもらったんだ」

「ここに戻った時、お坊さんにも襲われたよ。不意を突かれて、危うく戒まで……」

 その場の来訪者たちが、全員目を瞬いた。

「何だよ」

「いや、そう言えば……お前、言ってたか?」

 オキが夜空を仰ぎながら、セイに声をかけた。

 若者も、考えながら答える。

「聞いてないから、言ってないはずだ」

「お前なあ、それは、礼儀でもあるんじゃないのか? この狐には世話になったんだろ?」

 呆れた男の申し出に頷き、セイは狐に声をかけた。

「申し遅れてた、私は、セイと名乗っている。あんたは?」

 今更? と目を見開く狐の前で、若者は真顔だ。

「……雅だ。この子は戒」

「そうか、戒ってこの子か……」

 瑪瑙が頷きながら、多恵を伺うと、案の定怒りに震えていた。

「あの者ども、このように幼い子を、術の餌食に?」

「だが、良かったな、こうしてみると、無事みたいじゃないか」

 鬼が、取り繕うように言いながら、尼僧の怒りをほぐそうと試みている。

「ええ。旅で知り合った方が、お強い方で、助かったんだ」

「男の二人連れか。一人は大きい男だったらしいな」

「……ああ、そうですよね、ああいう手合いは、何事も、大袈裟に話したがるから」

 瑪瑙が重ねて問うと、雅と名乗った狐は優しい笑顔で頷いた。

「大きなお侍さんも、いたよ。私と道連れになった方に、丁度追いついてきたのが、ここだったんだ」

 言って、ある方角へ目を向けた。

「ほら、あの方」

 振り向いた先で、何かが振動を立てて走って来ていた。

「げっ」

 思わず身を引き、逃げ腰になるオキと、その迫力に目を見張った多恵を、背後に守る緊張気味の瑪瑙の前で、その振動の主は叫びながらセイに抱き着いた。

「セイっっ、お前、生きてたのかっっ。良かったなあ、こんなにでかくなって……」

 吹っ飛ばされそうな勢いでの大男の襲来に、雅は流石に及び腰になったが、セイは目を見開いて、自分を頭の上まで抱え上げて喜ぶ男を見た。

「葵さん?」

「おう、久し振りだなあ」

 満面の笑顔に、若者も顔を緩ませた。

「あんたは、相変わらずなんだな」

「お前も、笑うとめんこいとこは、変わってねえ」

 葵は、嬉しそうにその笑顔を見ているが、周りで見ている者たちには、衝撃的だった。

「……葵、頼むからこいつに、そんな顔をさせるなっ。と言うか、お前、何でこんな所で迷ってる? 蓮と一緒じゃないのか?」

 滅多に見れない極上の笑顔に当てられそうになり、オキが大男に話しかけると、葵はようやく周りの者に気付いた。

「オキ、お前も、あれ以来、変わってねえようだな」

「まあな。お前、江戸に出たんじゃなかったのか?」

「そうなんだ、聞いてくれよ」

 葵は眉を寄せて、愚痴り出した。

「蓮の奴、お江戸のお殿様と大喧嘩しちまってな、江戸から逃げちまったんだ」

「蓮が?」

 抱えられたままの姿勢で、セイが目を丸くする。

「おう、しかも、オレが知ったのは出て行った二日後だぜ。あいつ、お偉いお方に顔が利くんだよ。その内のお一人が、蓮の事を教えてくれてな、探して連れ戻すようにと、仰せつかったんだ」

「……無謀な方も、いたもんだな」

「だろ、本当に、何度夜中に、道を確かめたか……」

 遠目がとても効く葵は、夜中に高い位置から道を見下ろし、何とかこの近くまで辿り着いたらしい。

「で、見つかったのか?」

「おう。その人と、旅の道連れになって、ここまで来てた所で、追いついたんだ」

 セイの動きが、止まった。

 見下ろしていた葵の顔から、大男が走ってきた方へと目を向ける。

 そこに、もう二つの人影があった。

「あの人、オレが迷って途方に暮れてた時に、話しかけてくれてな、一緒に、蓮を探してくれたんだ」

 そんな紹介を聞き流しながら、近づいてくる二人を見守っていたセイが、葵を再び見下ろした。

「……蓮って、あんなに小さかったっけ?」

 大男が返す前に、その言葉を聞いた蓮が動いた。

 同時に、セイも大男の腕から離れ、その拳を避ける。

「……久し振りに会った旧知の者に、最初に言う言葉が、それかっ」

「仕方ないだろっ。思わず出たんだからっ」

「仕方ないだあ? なら、これも仕方ねえなあ、お前の目線が高すぎて、顔が良く見えねえんだ。ちょっくらその足、切り落とさせろ」

 怖い笑顔で、小柄な若者は刀に手を置く。

「ふざけるなよ、折角あんたより大きくなれたのに、そんなことされてたまるかっ」

 二人とも、真剣な言い合いだ。

 追いついた鏡月がその二人を前に、呟いた。

「何だ、意外にあっさりとすんだな」

「……子供が、増えた」

 雅も気が抜けた声で呟く中、オキが笑いながら二人に茶々を入れ、葵がおろおろと二人の間に入って、喧嘩を止めようとしている。

 そんな中、尼僧と大男の一人と戒が、子供じみた喧嘩をしているセイを見たまま、固まっていた。

「……どちらがいいんだろう。悪い虫をつけないために笑わせないのと、始終笑っているようにして、周りに見慣れさせるのと」

「前者だと、ああいう具合だな。奴ら、育て方を間違っているのではないか?」

「……育て始めから、あんな感じだ」

 オキが、聞きとがめて二人を振り返った。

 その目はよく見ると、いつの間にか消えた黒猫と、同じ深い草色だ。

「お前、狐と人間との間にできた娘、だったな」

「ええ」

 まじまじと見つめるオキに、居心地悪くなる雅の代わりに、鏡月が続けた

「ミヅキの娘だ」

「そうか……だから、あいつは……」

 一連の話を聞き、顔を曇らせた白狐の様子を思い出し、男は溜息を吐いた。

りつの奴、気になっているくせに、古谷の坊主の、見舞いだけして帰ったんだな」

「ん? あいつ、その尼僧の所に、行ったのか」

「正しくは、その師匠だった男に、だがな。去年は、まだ元気だったが、この冬にがくりと来て、寝たきりになったらしい。最期まで頭はしっかりしていて、セイと話もしたがな」

 鏡月は曖昧に頷いてから、首を傾げた。

「ん? では、オレは、頼まれ損じゃないのか?」

「何の話だ?」

「律は、セイとも、こちらで会ったのだろう?」

 オキが苦い顔になった。

「いや、行き違いになった。オレたちが戻った頃には、すでに去った後だった」

「お前ら、喧嘩でもしたのか?」

 目を剝く若者に、男はしばし詰まってから答えた。

「喧嘩じゃない。斬りかかられはしたが」

「……何をやったんだ、浮気か?」

 そういう、色気のある話ではない。

 だが久し振りに会った白狐に、後ろめたい気持ちはあった。

 どう話すかの心の準備と言うものが、まだできていなかったオキは、白狐の律が姿を見せた途端、本来の姿に戻って、やり過ごそうとしてしまったのだ。

「本来のって……さっきの姿の方が、あなたなのか?」

 まだ固まったままの三人に呆れていた雅が、つい意外に思って訊いてしまった。

「ああ。化けると言うより、この姿は貰ったと言った方がいい。……ランと言う、昔の主に」

 鏡月が、得心が言ったと頷いた。

「オレがお前と会った時、ついつい斬りかかってしまったから、話す方を先にしようと考えたんだな?」

 オキと昔の主ランの匂いは、まだ混ざっている。

 だからこそ律の方は気づき、その見え透いたやり過ごし方に怒りを覚えたようで、会った途端に斬りかかった。

「お前と言い律と言い、こちらの話を聞いてから斬りかかることを覚えたらどうだ?」

「オレはともかく、あいつの方は違うだろう。自分を騙そうとする伴侶など、斬り刻んでしまった方がいいと思ったのだろうな」

「……伴侶? 狐と、猫が?」

 目を瞬いている娘を置き去りに、オキは苦い顔のまま鏡月に言い返す。

「斬り刻んでしまうより、話を聞いてくれと言いたいんだがっ?」

「それは、律本人に言え。仲直りはして来たのか?」

「当たり前だっ。だから、行き違いで帰られて、意外だったんだ」

 だが、得心はいった。

 ミヅキの娘の様子を見に行こうと出て来たはいいが、やはり後ろめたかったのだろう。

 素通りかもしくは別な道を通って古谷の家に行き、老僧が病に倒れていたのを知り見舞った後、そんな気弱な動きをしたことを知られる前に、自分達と行き違いに帰ってしまったのだ。

「後ろめたいって、どうしてでしょう?」

「ああ……」

 当然の問いに、鏡月が夜空を仰ぎながら答えた。

「お前たちを差し置いて、ミヅキの死を見届けたから、だろう」

 黙ったまま盲目の若者を見る雅に、オキも静かに言う。

「ああいう人だから、静かに死ぬことは出来なかったが、あの人らしい死にざまだった」

「……その話もまとめて、聞きたいことが、沢山あるんですけど」

「そうか」

 鏡月は頷き、オキに頷きかけた。

「……分かった。まずは、この村を出るか」

 男は言いながら、不意に両手を打った。

 夜に響く乾いた音が、固まったままだった三人の我を、取り戻させる。

「いつまで呆けてる気だ。こいつと長い目での付き合いを考えるなら、慣れろ」

「そんな苦行が、課せられてしまうのですね。精進いたします」

 我に返って、力強く頷く多恵を筆頭に、村を出るべく歩き出す。

 セイと蓮も、言い争いながら歩き出し、葵も慌てて続く。

 長い夜が、明けようとしていた。

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