第15話

 鏡月はその話を、弟子仲間の狐に聞いた。

「狐?」

「オレの従兄弟が唯一取った女の弟子でな、見た目はどうかは知らんが、匂いまで凝って男になり切っている。あれは、知らん者が見たらバレんだろうな」

 従兄弟、つまり雅の父親の弟子と言う事だ。

「目が覚めて、あいつら一行を見送ってから、一月ほどは山でぶらぶらしていたんだが、飽きてしまってな」

「あんだけ長く寝てたのに、飽きなかったのにか?」

「何を言う、飽きたからこそ、再び眠らなかったんだぞ」

 妙に力を入れて言い切る鏡月に、いい加減な相槌を打ち、蓮は先を促す。

「そういう頼まれごとをされるってことは、どこかに出かけた先で、その狐とやらに会ったのか?」

「そういう事だ」

 博多まで知り合いを訪ねた鏡月はその地に向かい、そこで宿を取ろうとしていた狐と、ばったり会った。

「そいつ、今は京で隠れ住んでいる白狐でな、久し振りに会ったんで、ついつい話し込んでしまった」

 その中で、長く山に籠っている間に、妙な怪談紛いの話を作ってしまった若者が説教される羽目になった。

 その上で、狐は言った。

「まあ、そのおかげで、利にかなった者もいたようですから、これくらいにしておきましょうか」

「……この位となるまでに、どんだけ文句並べたか、忘れてるんじゃなかろうなっ?」

 清酒を煽りながら、悔し気に言う鏡月に、狐は平然としたものだ。

「悪かった話の方が多いんですから、仕方がないでしょう」

 言ってから、ふと尋ねた。

「あなた、この先は上方へ向かうんですか?」

「いや。ここしか知った奴の所在を知らんのだ。お前は、知っているか?」

「あなたが、ここの方と面識があった事すら、初耳です」

 そうだったなと唸る鏡月に、狐は切り出した。

「丁度良かった。私が行くのも、逆に嫌なのではと思うんです。本当の所はどうであれ、私があの子の父を、連れて行ってしまったのですから」

「……ん?」

「これを、ミヅキのいた山の中に、埋めてくれませんか?」

 懐から、布袋を一つ取り出した。

 それを見下ろして、無言で目を見開く若者に、ゆっくりと告げる。

「出来るだけ、こちらの願いとなる思いは詰め込んだつもりです。ミヅキの破片ですから、それだけでもあの子とその住処を守る力にはなるはずです」

「……ミヅキの残した子供が、どうかしたのか?」

 顔を上げて問う鏡月に、狐はある男から聞いたと言う話を、ゆっくりと話し出したのだ。

 村の中には、まだほとんどの家が建っていたが、草むらに覆われ素通りするだけでは分かりにくい。

 その真ん中の土地が、ぽっかりと空いていた。

 流石に国の役人が入ったらしく、焼けた家は綺麗に片付けられていて、その時の様子を伺わせない。

「本当は、その発端の男の狐の息の根を、止めたかったらしい」

 のんびりと、鏡月が言った。

「どうやら、もう少し向こうの村で悪さを先導していた狐が、そいつらしくてな。引導を下した時取り逃がしたセイは、ここで終わりにしたかったらしい」

 だが、頼まれてしまった。

 死を覚悟した、女衆の長に。

「何かが封印されてる感じはねえから、その狐逃げちまってるな」

「ただの、言葉での縛りだったらしいから、楽に解いてもらっただろうな」

 辺りに気を配る蓮の言葉に、鏡月も頷く。

 言葉での縛り……すえが持っていた包丁は、その家の物だった。

 女の口を通した、思い込みと言う名の縛りの一つだ。

 素直な子供が縛られていた狐に気付き、声をかけただけで解けてしまう程度の、簡単なものだったらしい。

「今感じる限りでは、呪いが解けて逃げた、と言う所のようだ。いずれ体勢を整えて、雅を直に付き狙うのではなく、周りから再び攻めていくつもりだろう」

「……そう言えば、昔この村に、性悪狐の話が流れたとか……それが、その叔父狐の仕業だったんでしょうか?」

「だろうな。そいつ、元々は姉貴の気が引きたかったんじゃねえのか? 早々に出て行っちまったから、その娘に鞍替えしたのかも知れねえ」

 山の方へと戻りながらの言葉に、盲目の若者は唸った。

「その辺りが難しいところだな。あの狐、話にもあったが力を誰かに奪われている。その奪った者が雅だとすると、元々執心だったのは寿の方でなかったとする考えもある」

「……出来るのか? ただの半妖が、力のあった男の狐から、力を奪うなんてことを?」

「どういう手を使ったのか、訊いてみたい気もするんだが、お前が訊いてくれるか? まあ、その男の狐は自惚れが過ぎるようだから、そこを突いたのだろうがな」

 のんびりと言いながら山の中に入り、立ち止まった。

 そこは、村人たちが糧となった土が、草木を茂らせた場だ。

「白狐の話ではロンの奴、随分嬉しそうに、ここの村の話をしたそうだ」

 対するエンは、苦い顔になっていたと言う。

 村の女がどう考えを固めたか、知っているからだろう。

 近い場所での出来事にもかかわらず、村の男衆の死と女たちの自刃を、鼻の利く大男ですら、考えなかったらしい。

「今はそうでもないが、相当染み付いていたのだな、血と死の匂いが。それこそ、狼の鼻を狂わせるくらいには」

 気づきはしたが、山狩りの末の焼き討ちとでも、考えたのかも知れない。

 どちらにしても、この村のこの惨状を見て、二人は驚いただろう、

 セイは、問い詰められて話しただろうか。

 この、悔いばかりが多い話を。

 葵が顔を曇らせる横で、蓮は空を仰いだ。

 夜空が見えぬほどに生い茂った木の葉が、先程まで降っていた雨の名残の雫を、時々思い出したように降らせて来る。

 湿った足元にかがみ込み、鏡月は小刀で土を掘り起こした。

 拳一つ入るくらいの大きさの穴を掘ると、懐から布袋の一つを取り出す。

 中身は、ガラス細工に似た、掌に乗るくらいの大きさの丸い珠だった。

 透き通ったそれを掲げ、そっと土の中へ転がす。

 掘った土を戻して埋めた時、空気が震えた。

「……?」

 なぜか、眉を寄せて顔を上げた若者に、大男が声をかけた。

「すごいんですね、それ。埋めただけで、何か呪いじみたものが、出来上がっちまいましたよ」

「……そんなはずはない」

 立ち上がって周囲に顔をめぐらし、鏡月は戸惑い顔になる。

「これは、呪いと言う程強いものではない。そんなことをしたら、雅まではじき出されるかも知れんだろうが」

「……また、面倒臭えのが来たのか?」

 舌打ちした蓮が、うんざりとして言いながら村の方へ目を向け、固まった。

「? 鬼の血の混じった男と、尼僧?」

 村の中の、村長の家があったあたりに、いつの間にかいた者達の気配を探った鏡月も、眉を寄せたまま固まった。

「おい、あれは……」

「ああ、何でこんな時分に……」

 何のことかと葵は声を掛けようとして、別な事に気付いた。

 山から一つの人影が、その村に来た三人に近づいて行った。


 多恵たえは、その言い分を聞いて出来るだけ厳しい顔を作った。

「あなた方は、使いで来られただけのはずだと言うのに、そのようなとんでもないことをしでかしたのですかっ」

 老女ながら、迫力がある。

 それは当然だった。

 一月前に、師匠である先代古谷の御坊が鬼籍に入り、遅ればせながらその責を一心に背負うことになった重みは、鬼気迫る所まで多恵を追い詰めていたのだ。

 師匠を荼毘に付し、身の回りがようやく落ち着いたこの日、京の寺へ申し出ていた話の返事が届いた、のだが。

 使いとしてやってきた僧たちの、妙に落ち着かない仕草が気になり、問い詰めると天井を仰いで何かに毒づきたい気持ちになった。

 多恵が欲しかったのは、村の浄化の許しだ。

 一応京で修業をして、尼僧として戻っては来たが、その位は低い。

 勝手に事を成して目立つのは、避けたかったのだ。

 事情を、全て記したわけではない。

 ただ、不慮の事態で村人不在となった村を、気休めでもいいからお祓いじみたことをして欲しいと、役人から申し出があった旨を書簡では記しただけだ。

「それでなくとも、この件はお国の役人が申し出たものです。あなた方が手柄目的でどうこうすることのできる案件では、ありません」

「も、申し訳ありませぬ。しかし……」

「何ですかっ」

 心を沈めながら返した尼僧に、使いの一人が上目遣いで言う。

「恐れながら、あなたお一人で、あの狐の退治は、荷が重いのではないのでしょうか?」

「……誰が、狐退治すると、言いましたかっっ」

 話がどう伝わったのか、質の悪い狐を退治して、村をまた生き返らせるつもりだと、使いの僧たちは考えていたらしい。

 多恵は仮にもこの地では慕われていた、古谷の御坊の弟子だ。

 その尼僧の手伝いを買って出て、名を売ろうと言う下心が見え隠れする。

 それは誰よりも、今は亡き師匠に失礼な話だった。

 先代の古谷の御坊は、何も化け物退治で名を上げたから、この地で慕われているわけではない。

 上目遣いなのに、上から見下ろされているような言われ方だ。

 気の短い所のある多恵は、一人一人使いの僧たちを見据えた。

 その目は、完全に据わっている。

 弟子が見ていたら、竦み上がること請け合いの迫力だが、その口が開く前に奥から悲鳴が聞こえた。

「セイ様っ、駄目ですっ、そのままそんなところに、お手を入れてはっっ」

 何事かと、そちらを見る使い達の前で多恵は我に返り、わざとらしい笑顔になった。

「確かに返書は受けとりました。どうぞ、お引き取り下さい」

 急に話を治めにかかる尼僧に、僧たちは何かを言いかかったが、多恵はその口を持ち前の気迫で抑え込んだ。

「お引き取り、下さい」

「は、い。では。よろしくお願いいたします」

 礼を尽くして門前まで見送り、家内に戻った尼僧はすぐに奥の間へと急いだ。

 もしもの為の準備と言って、その場に時期的に必要でないはずの火鉢を持ち込んだ若者が、尼僧の弟子の若い僧に手を取られて手当てされている。

 若い僧は、涙目で言いつのる。

「ですから、繕い物は私が承ると申しておりますのに。どうして、そんな細かい事から出来るようになろうと、思われるのですかっ」

 その言葉で、先の悲鳴の理由を察する。

 若者は、今年桜が咲く時期に、この地に舞い戻った。

 その時、何と言う奇跡か、固い義手をつけていたはずの両手が、生え揃っていたのだ。

「トカゲの妖しだった、という訳じゃないと思う」

 真顔で言って挨拶する若者は、更に神々しさを増したのだが、尼僧は何とかその気持ちを顔に出さずに済んだ。

 昔の騒動と去年の事を考えると、長居していただくには崇める行いを慎む方がいいと、考えたためだ。

 その努力のせいか、元々そのつもりだったのか、セイは先代の古谷の御坊を看取って送り出した後も、こうしてこの家に留まってくれている。

 留まって下さるのは嬉しいのだが、たまに使い慣れぬ手先の扱いが、乱暴になるのだ。

「どうされましたか?」

 声をかけると、セイが顔を上げた。

 透き通るような顔と、それに溶け込むような艶のある、真っすぐに伸びた金色の髪。

 これを客人に見せる訳にはいかない、と言うよりもあのような者たちの目に晒す気など、欠片もない。

「大袈裟なんだよ、ただ針で指をついた位で」

 無感情のまま若者が言うと、若い弟子が言い返した。

「でしたら、慌てて火種を、手づかみしないでくださいっ」

「……すまない」

 素直に謝られ、僧が顔を上げて若者を見直した。

「わ、分かって下さったのなら、それでよろしいです」

 とても目に心地よい光景だが、そうのんびりとしている訳にはいかなくなった。

「セイ様。返書が届きました」

 何事もない様に切り出し、返書の内容を話す。

「こちらで良いようにしてよいと。ただ……」

 気になることを、使いの僧たちが伝えてきた。

「山の主らしき者に、あの辺りを通った時に襲われたと。恐らくは逆に仕掛けて、返り討ちになったのでしょうが、娘一人ではなく、五人で……」

 子供が二人と、男二人が一緒だったと言う。

「男の一人は、とても大きな男だったとのことです」

「そういう、手助けしてもらえる伝手があったのなら、良かった」

 僅かに表情を変え、セイが呟いた。

 ここに戻る前、神隠しで知られていた村を通って来た若者とその連れは、その寂れ方に言葉を失くした。

 連れの内二人は、山の主を討って村は全く変わらぬ生活を続けていると思っていたから、その惨状に唖然となった。

 村人がどうなったのかを知る男とその翌朝、何事もなかったかのように、この国の娘に姿を変えて合流してきた二人の娘も、村が完全になくなっているのを見て、呆然としていた。

「逃げる方を、選んだんだな」

 オキが白々しい事を呟き、ロンは苦い顔になった。

「ってことは、山の主は健在なのね。運がいいわねえ」

「今はいないようですね」

 溜息を吐き、辺りを見回しながらゼツが言い、空を仰いだ。

「思い通りにならないことも、たまにはありますね」

 多恵は話の顛末を、師匠の見舞いに来た白狐に聞いた。

 セイたちと入れ違いに、この地を去ったその狐は、オキから詳しい話を聞きだしたらしい。

「あの村の事を、まだ悔いているらしい。だから、出来ればその話には触らないでやってくれ。せめて、話せるようになるまでは」

 去り際の頼みにより、セイたちにはその狐に使いを頼み、かねてより国の役人に頼まれていた話を、寺の最高峰に持って行ってもらった旨を話したのみで、村であった事には触れていなかった。

「……古谷さんの見舞いに来たのなら、ついでに持って来て、置いて行ってくれれば良かったのに」 

 何の含みを持たせなかったため、セイはそんなことを呟きながら首を傾げただけだった。

 だから、山の主に関する話を伝えた時のその表情に、すこしだけほっとした。

「良いお方でしたか?」

「私が知る狐は、大体人がいいんだ」

 腕を更に斬り落とされると言う、不幸に見舞われたセイは、その後宿を取った村で、あっさりと連れの探し人と顔合わせした。

 この国を放浪しながら、その人物を探す積もりだったが、目当ての人物と接触が出来てしまったため、後はただの放浪旅になった。

 壊れた預かりものの装飾品を繕ってもらうため、有名どころの上方へと足を向けたところ、そこで顔見知りの狐と再会したのだ。

 今は静かな、この近くの山に巣食っていた、鬼の討伐をセイに持ち掛けてきた狐だ。

 その時、助けられた幼い子供に交じっていたのがその時十七だった多恵で、助けるはずの子供たちに、邪魔されて逃がしてしまった者が、神隠し村の後ろで画策していた狐だった。

「その子供たちは、それぞれ厳しい寺の預けたらしい。一緒だった狐二人は、知り合いの狐に預けたそうだ」

 その二人の狐の伯母に当たる少々質の悪い狐らしいが、白狐からは血縁には優しいと太鼓判をもらった。

「そうですか。……あの二人の狐は、もしや」

萌葱もえぎ浅葱あさぎ。その伯母の狐に名付けられたそうだ。間違いない、あの山の主の、弟の二人だ」

「……」

 例の狐の思惑が、ここにも見え隠れしている。

 顔を曇らせた多恵が、考え込む。

「あまり強い呪いでは、その山の方にも障りが出るやもしれません。ですが、生半可なものでは、人を介した画策を打破することなどできません」

「そこまで考える事はないだろ。あの山の主は、弱くない」

 そして、例の狐の方は、さほど強くない。

「だから、あの狐が、じかにこの辺りを縄張りにできない様、網を張ってしまえばいい。強い者は引っ掛からない類の物でもいい」

「ですが、それでは、それこそあの頃のような鬼たちが現れたら……」

「あんた達なら、すぐに分かるだろう?」

 あの時のように多すぎる鬼は、封じるだけが精一杯だが一対一なら。

 そう言ってから、セイはこともなげに続けた。

「それも難しい時は、知らせてくれればいいから」

 多恵の目が、真ん丸になった。

「つまり、セイ様。私たちを、これからも気にかけて下さるんですねっ?」

 言った後ろで、弟子たちが手を合わせた。

「有難うございます」

 座ったまま身を引いた若者に構わず、多恵は涙ぐみながら深々と頭を下げた。

「……いつ、始めるんだ?」

 逃げ場を失っているセイが、話を戻した。

 涙を拭いて、気を取り直した尼僧が答える。

「善は急げと申しますゆえ、今夜にでも向かおうと考えております」

「一人じゃないよな」

「勿論、瑪瑙めのうにも声を掛けます」

 その名に頷き、若者は少し躊躇ってから切り出した。

「……邪魔はしないから、私も行っていいか?」

「勿論ですともっ」

 すぐに返事してしまってから、多恵は思い出した。

 大丈夫なのかと口にする前に、セイは僅かに微笑んで頷いた。

「大丈夫だ。ただ、もう少しゆっくりと、あの村を見て回りたい」

 薄れていない思いの、収まる場所を探すために。


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