第14話

 エンは、山に入っていく村の男衆の前にゆっくりと立ちはだかった。

「どうしたのだ? そのように物騒ないでたちで?」

 やんわりとした問いに、村長は緊迫した顔を緩めた。

「これはこれは、お武家様。それはこちらが問うべきことでございます。このような所に、まだ留まっておられるとは。他の方々も、この山に?」

「いや。私一人だ。少々気にかかることがあって、舞い戻ったところだ」

「さようで」

 やんわりと頷く村長の目は、目の前に立つ男が丸腰であることを確かめた。

「今夜のうちに、山の主様にご挨拶をと思い立ち、こうして参ったところです」

「成程、大事が一つ収束し、気を抜いたところを襲えば、いくら力のある狐でも退治できるであろうと、そう言う考えか。道理だな」

 その上、男衆の殆んどは、田畑仕事や荒事の力仕事に慣れた者達だ。

 伝承通りの女狐ならば、力でどうとでもできると踏んだのだろう。

「知っておるか? 獣の多くは、夜の方が動きが早い。返り討ちになるやも」

 心配しているように聞こえる穏やかな言い分に、村長は笑いながら返す。

「ご心配には及びませぬ。多くの獣は、火に弱い。狐もその類にございましょう」

 悪びれる様子がない答えに、エンは思わずため息をついた。

「なるほどな、それが、お主たちの答えか」

 コトに化けていた妖しは、丸め込みが上手いらしい。

 ロンやゼツが言うように、儀式で得る物が村を潤していたのなら、伝承の真など知ったところで、変わることはないだろう。

 本当に住まっている山の主を退治して、コトをその後に据えた方が、村の懐を豊かに出来るだろうと考えるのも、仕方がない事だ。

「つまり、旅人を手にかけることは、続ける気なのだな?」

「……」

 男たちはざわついたが、村長はやんわりと答えた。

「何の、お話でございましょうか?」

「まだ、とぼけられるとは、大したものだな。私の連れの一人を、あのように傷つけたのは、お主たちであろう?」

 穏やかな声は、聞く者に余裕を与える。

「そうであっても、あの方自身が許して下すった。あなたが、この上お怒りになる事では……」

「私は、あの者とは主従の間柄だ」

 静かな声で言葉を遮る男に、村長はやはり余裕で返す。

「主の命に従わぬのは、お武家としていかがなものでございましょうか?」

 余裕の色を崩さない村の男に、エンは小さく微笑んだ。

「武家に、見えていたか?」

 この国に入って武家の者にも会ったが、どう考えても自分達には程遠い。

「我々を、同じ侍として見るのは、武家の方々に失礼であろう。形は似せて言葉使いも真似ているが、それで真の侍に見えていたはずはない。だからこそ、あの者を贄に選んだのであろう?」

「世の中には、破天荒な方がおられる。お侍とは言え、お家柄を捨てるお方も。そのような方々は、お武家の間では鼻つまみ者だ。それなのに主従とは面白い方々でございますな」

 やんわりと、しかし明らかに見下した言い分に、エンはまた微笑んだ。

「だから、主従の間柄が、武家だけだと、何故にそう思っておるのだ? お主たちの村も、商家も、主従の間柄が成り立って居る。我々も、その間柄が成り立っておるだけだ。どれの生業も我々とは結び付かぬがな」

 穏やかなままの笑顔が、更に深くなる。

「だが、私とあの者には、また別な間柄もある。あの者の祖父には恩があり、あの者自身は弟も同然だ。お主らの所業を責めるには、よい理由であろう?」

 村長の顔が、強張った。

 目の前に立つ男の笑顔に、曇りはない。

 だが、その曇りのない笑顔は、言葉の意を考えると不自然だった。

 若い男と目配せし、徐々に男を取り囲む。

「済んだ話を蒸し返されましても、こちらとしては困ってしまいます」

「おかしな事を言う」

 やんわりとした言葉にも、村の男衆に取り囲まれていく事にも全く頓着を見せず、エンは返した。

「その済んだ話を蒸し返して、山狩りに向かっておるのは、そちらであろうに」

「済んではおりませぬぞ。我らは、村を守るために戦う所存でここにおります、あなた方にとやかく言われる事では……」

「ああ、もうやめよう。……あなた達は、村を守るためと言うが、男衆がいなくても、村の民は増やせるだろう?」

 男は不意に村長の言葉を遮り、穏やかながらも柔らかい言葉で返した。

「何をおっしゃるっ、男がおらねば、村を栄えさせるなど……」

 目を剝く村人に、エンは首を振った。

「いやいや、どんな土地でもそうなのだが、男と言う生き物は勘違いしているな。村を栄えさせるためには、子を産み育て、その土地を守る者を作り出す女子の方が大事だ。種など、畑が充分にあればいくらでも植えられるし、育って行くものだ。ましてや、あんた達は、人の道を大幅に外れた行いをしている。そんな者の血を残さずとも、それこそ旅の男に種だけもらえば、いくらでも村は栄える」

 顔を真っ赤にした村長に、男は笑顔で言い切った。

「自意識が高すぎるだけの、大馬鹿者ですね」

「この……」

 思わず怒鳴りかけた声を、場違いな笑い声がかき消した。

 呑気ともいえるやんわりとした、女の笑い声だ。

「エンってば、容赦ねえな」

「と言うか、忘れてない? あなたも、その男の一人だって」

 ぎょっとして振り返った先に、娘が二人立っていた。

 どちらも年頃の若い小柄な娘だが、松明を掲げてそれを見た若い衆の一人が、息を呑む。

 変わった色合いの娘たちだったのだ。

 一人は、明るい栗毛色、もう一人は真っ白な髪を結い上げていた。

「あれ、二人とも、元の場所に、戻ったんじゃなかったんですか?」

 目を丸くしたエンの呼びかけに、栗毛色の女の方が答えた。

「ロンも気まぐれだよな。急に呼んだと思ったら、戻っていいなんてさ。文句の一つも言ってやろうと、セイに会いに行ったんだ」

「……会ったんですか?」

 二人が現れたのは、まだ村長の家が静まり返っていた時で、ロンはこっそりと外で話をして戻って来た。

 その後会うとすれば、山に入って休むために自分達と離れた時位しかない。

 男の想像に二人は頷き、白い髪の娘が言った。

「あの子、眠ってなんかいないわ。ここではない場所で、村を伺ってる。私たちに、ここは頼むって、言ってくれたんだけど……」

「お前もいるとは。どういう風の吹き回しだ?」

 栗毛色の娘の問いかけに、エンは穏やかに答えた。

「ここの狐は、セイに火を貸してくれた。心配してくれたんだ。その恩位は返したいだろ?」

 これが望んだ結果なのなら、仇で返しているようなものだが。

 笑いが苦笑になってしまう男と、娘の場違いな会話の隙に、村人たちは我に返っていた。

 この場にやってきた娘が、只の村娘であるとは思えない。

 退治すべき存在と、近くの若い衆が静かに鍬を振り上げた。

 その先には白髪の娘がいたが、避ける余裕もない。

 栗毛色の娘もエンも、声を上げることもせずその様子を見守った。

「……嬉しいわ。セイがああいう風にされたのは腹が立つけど、そのおかげだものね、うちの子たちが飢えをしのげるのは」

 柔らかく笑う娘の背で、風が揺れた。

 その風が、形をとって鍬を振り下ろした若い衆に襲い掛かる。

 絶叫する男を、村の衆は固まって見下ろすしかなかった。

 風と思ったそれは、小さな塊となって男の至る所に食いついていた。

「この……やめろっっ」

 肉を噛み切って更に食いついているのを見て、たまらず鋤を振り回し娘に殴りかかる若い衆の行く手を、いつの間にか近づいたエンが阻んだ。

「どけっっ」

 勢いのままに襲い掛かる若い衆の手首を、男は笑顔のまま捕え言った。

「大丈夫ですよ。すぐに同じところで、会えますから」

 そのまま掌に力を入れ、続ける。

「そんなに急がなくても、ほら」

 若い衆は、自分の手首が、その男の掌で握りつぶされるのを見た。

 激痛と恐怖で舌が凍り、ようやく絶叫と言う形で声が出る前に、エンの手はその若い衆の頭を攫んでいた。

「地獄への道は、意外に近いですから、同じくらいで皆さん、合流できますよ」

 恐怖が、その場を凍りつかせた。

 次の瞬間、蜘蛛の子を散らすように村の若い衆達が逃げ出すが、そちらには栗毛色の娘が待ち受け、狙わずとも獲物を切り刻んでいく。

「落ち着けっっ、相手は三人だぞっ。数で行けば我らが有利だっ」

 誰かが叫び、半ば落ち着いた村の衆達が、揃って襲い掛かったが、三人を喜ばせただけに終わる。

 悲鳴と絶叫、血の匂いが濃くなる中で、死にゆく村人たちと襲い掛かる旅人たちの間を縫って、村長は山から逃れた。

 それを見たエンが、彼らしからぬ様子で舌打ちし、後を追おうとして気づいた。

 最後の獲物を亡き者にして、顔を上げた娘二人も気づいた。

 背丈のある綺麗な娘が、呆然と立ち尽くしていた。

「……あなたが、山の主?」

 白い髪の娘が、やんわりと問うが、それが聞こえなかったのか、その娘はエンを見据えた。

「あなた方が、仕組んだことなのに、どうして……」

「その件は、謝ります」

 一瞬、呆然としてしまったエンが、ゆっくりと頭を下げた。

「連れたちは、あなたまでがあの子を害したと断じて、このような画策をしましたが、あなたには罪はない」

「そう言われて喜べるかっ、これは、やりすぎだろうっ」

「御免なさいね」

 白髪の娘が、栗毛髪の娘と顔を見合わせた後、少し神妙な顔で言った。

「私たちの風習なの」

「ふ、風習?」

 何を言いだすと言う顔の狐に、栗毛髪の娘が頭を掻きながら言った。

「獲物は、なるだけ早く土に返せる形にまで、刻めって」

「……あなたたちは、何者だっ?」

 当然のその問い掛けに、三人が顔を見合わせた。

 互いに答える事を押し付け合っていたが、エンが溜息を吐いて答えた。

「俗に言う、盗賊、です」

「と……」

「ああ、でも、金とかそういう物は、時々しか持って行かないよ」

 慌てて栗毛髪が首を振るが、狐の方はどうでもいい言い訳だった。

「この人たちは、いわゆる同業者だったけど、こんなこと、いつもはしないのよ」

「……いつもは、どんな悪事を働いてるんだっ?」

 とんでもない悪人が、命の恩人となるこの事態に、狐は全く意味のないことを尋ねてしまう。

「どんなって……こんな感じですね。すみません、いつもとあまり変わりません」

「ふざけるな、私は、この地が安泰になって、村の人たちが幸せに暮らせれば、それでよかったんだっ」

「……あのな、私たちもそうだから言うんだけど」

 言い捨てる娘に、栗毛髪がまた頭を掻きながら言った。

「一度、大勢で何か一つの事を成し遂げると、中々その甘味を忘れる事なんか、できないぞ。お前が死んでもこいつら、同じことするよ。国元にも、ばれてなかったみたいだし」

「そ、んなこと、分からないじゃないかっ」

「そうね、ただ儀式の礼に則っていただけなら、分からなかったと思うけど……」

 白髪の娘が、そこで言葉を切って狐の顔を覗きこむ。

「知っていたんでしょ? この人たちが、今迄儀式の為と言いながら、雨のこの時期にやっていたことを?」

「……その儀式の為、と言う名目がなくなれば、きっと……」

「それを、セイも願っていましたよ」

 二人の娘、ジュリとメルが来たのは二つの予想の内、最悪な予想の方の後始末のためだ。

 ああいう事の治め方で目を覚まし、まっとうに田畑を耕して村の活気を取り戻す方へ向かってくれるのなら、怒っているとはいえ二人は姿を見せなかっただろう。

 だが、ふたを開ければ夜の内の山狩り。

 これは、既に引き戻せない程に、人道を外れてしまっている事に他ならない。

「こういう手合いは、雨の時期だけではなく、年中旅人を襲うようになります。それでも、あなたの命と引き換えに、この人たちを助ければよかったと?」

「……」

「まあ、我々は、こういう風に言い訳を考えて動くわけですが」

 何も言い返せず、黙って顔を伏せてしまった狐を見下ろし、エンは真面目に言った。

「恨むのなら、構いません。命を狙われるのも仕方ないと思っています。ですが、分かってやって下さい。この人数の村の男衆より、あなたの命の方が、あの子にとっては重く感じたんです。憎むと言う形で、生きてくれるのなら、喜んでその刃を受けます」

 顔を伏せたまま立ち尽くす狐に、男は静かに頭を下げて踵を返した。

「……一人逃がした」

「大丈夫よ。この村の村長さんでしょ? あの人の家には、まだ、質の悪いのが残っているんですってね。それが気になって、寝たふりしたらしいわよ」

 ジュリがやんわりと答え、エンの足を止めさせる。

「何だって?」

「こちらも、どういう終わりになるか、分からないって言ってたわ」

 笑った娘の顔が、僅かに曇っていた。


 騒々しく戻った村長を、コトが目を見張って迎えた。

「どうなさいました?」

「逃げるぞ、ここはもう、駄目だ」

 年かさな割に動きが早い男が、身の回りの物をかき集めながら若者に声をかけた。

「いねは? 寝てるのか?」

「いえ。すえ様と、何やらお話しております」

 男は忌々しいと舌打ちする。

「あんな女、放って置けば良いものを。後継ぎの子供を手に掛けよったくせに、何食わぬ顔で、まだ残っておるのか」

 吐き捨てるように言ってから、コトに言った。

「すぐにいねを連れてこい、ここは危ないのだ。すえは残す」

「はい」

 それに答えてコトは踵を返し、そこに立つ女に気付いた。

「……すえ様」

 村長が振り返ると、すえは静かに立ち尽くしていた。

「何の用だ。早く休め」

 声を荒げないようにそう呼びかけるが、女はそれに答えず別な方へと目を向けた。

「……何をそんなに慌てているのです、あなた?」

 静かに、いねが夫である男に呼び掛けた。

 玄関に続く廊下に、いねは座って男を見上げていた。

「丁度良い、話があるのだ。すえはもう休んでいなさい」

 顔を引き攣らせながらも声が抑え、男が若い女に申し付けるが、それに小さく笑ったのはいねだった。

「その子にもお話しくださいな。この村はもう、おしまいだと」

「な、何を……」

「逃げて他の場所で同じことをするよりは、ここでおしまいにした方がよいでしょう」

 思わず目を剝いて拳を固めた男は、いねが一人ではない事に気付いた。

 女房の背後に、村の女衆が静かに座している。

「おお、丁度いい、皆にも話を……」

「連れ合いは、もうこの世にはいないのでしょう?」

 いねのすぐ後ろで座していた女が、男の子供を抱きかかえたまま、村長を遮った。

「どのような話も、聞きたくはありません」

「大体、なぜ、あたしたちは、男どもの所業に気付かなかったんだろうね。それに腹が立つったら」

 気の強い女が、腹立たし気に呟き、連れ合いの顔を思い浮かべ、吐き捨てた。

「あの呑気者が、そんなとんでもない事をしていると分かってたら、尻を叩くだけでは済ませなかったのに」

「それもこれも、全て終わってしまった事。これ以上、遺恨を残さぬよう、あなた」

 静かに立ち上がったいねが、男の前に立った。

「黙れ、今迄の恩を忘れて、我らの事を責めるかっ。もういい、お前たちはここに残るがいい、儂は、村を出るっ。いくぞ、コトっ」

 呼びかけた若者の、返事がない。

 振り返って、愕然とした。

 立ち尽くしたまま、コトが目を剝いている。

 その横腹から、包丁の刃先が突き出していた。

「大丈夫、この子はこの位では死なないそうよ」

 言いながら、いねは夫の背後へ歩み寄った。

 袖口に隠していた包丁を構え、体ごとぶつけていく。

「い、いね……」

「あなた、先に行って待っていて。すぐに追いかけるから」

 斜めに心の臓を狙った刃は、男をすぐに絶命させた。

 床に倒れた村長を、目を剝いたまま見下ろしたコトが、後ろの女を振り払った。

 声も立てずに吹っ飛び、部屋の中で転がったすえを見向きもせず、目を見張る女たちを睨む。

「知らずにいれば幸せであったものを、あの連中余計な事をしたものだな」

「いいえ。知らずに罪を重ねて、国元にそれを知られて罰せられるよりは、まだましです」

 なぜなら、少ないながらも嫁に出た娘達が、郷の行いのせいで肩身の狭い思いをしなくて済む。

「私たちがどう考えて、どう処断するのか、その猶予を下さった。それだけでも充分です」

「……村の長の女は、半端に学がある分質が悪いな。流される女子どもなら、もう少しこの村も使えたと言うのに」

 吐き捨てる若者に、いねは小さく笑った。

「あなたは男の狐なのだそうね。女子なのに男の振りを必死にしているから、庇っていたのだけれど」

「庇うだとっ? 女のくせに、私を馬鹿にするのかっ」

 顔を怒りで歪ませつつ若者が、前に足を踏み出すが、女はゆったりと笑った。

「すえがあなたを刺した包丁、あのお武家様の、置き土産なのですよ」

「それが、どうしたっ?」

 怒鳴るように問うコトに、困ったように続ける。

「あなたの様な者には、決して抜くことが出来ない、まじないものだそうです」

 目を剝いて包丁の柄を握り、引き抜こうとして叶わず、痛みで顔を歪めた若者に、いねは静かに告げた。

「この村はもうおしまいです。ここももう用はない。今から火を放ちます。その前に、あなただけでも逃げなさい」

「お前っ、私に情けをかける気かっ」

 顔を歪めて怒鳴るコトに、女は困ったように後ろを振り返った。

 数少ないながらも、子供連れの女もいる。

「騙すためとはいえ、あなたは私たちをよく助けてくれました。この位の恩返ししか出来なくて、御免なさいね」

 いねはそれだけ言うと、ようやく身を起こして立ち上がっていたすえを呼んだ。

 若い女は、若者を見向きもせず女たちと合流し、共に奥の間へと歩き出す。

 そんな女たちを見送らず、コトはふらつく足を動かし、外へと向かった。

 止まらぬ血を、転々と足元に落としながら外へ出て山に入っていくと、そこに立つ背丈のある若者を睨む。

「……あと一歩で望みが叶ったと言うのに、私を怒らせたなっ」

「ああ」

 片腕の若者が、あっさりと頷いて答えた。

 そんな若者を睨みながら、コトは吐き捨てた。

「お前が姪を誑かしたせいで、こんなことになったんだっ、どうしてくれるっ?」

 セイが目を丸くしているのにも構わず、狐は続けた。

「その顔で姪を口説いて、誑かすなど、卑怯だぞっ」

「くどく、たぶらかす……」

 今度は眉を寄せて、隣に立っていたオキを見上げた。

「この国の言葉か?」

「ああ、間違いなくこの国の言葉だ」

 顔が緩みそうになりながら男は答えた。

「どういう意味だ?」

 素直なセイの問いに、オキは真顔を無理に作って答えた。

「その狐は、山の主の狐にべた惚れしてるってことだ」

「ふざけるなっ、私が、人間の血の混じった半端ものを好きになるかっ、好いているのにあの娘が気づいていないだけだっ」

 明らかに話が分からなくなっている若者に、オキはらしくないと思いつつ説明した。

「要は、姪のあの女狐が、自分を好いているのに気づいていない鈍い女と思い込んでいるこの狐が、それに気づかせるために苛めてたって訳だ。慰めてやれば、流石に振り向くだろうと」

 言いながら、ほとほと呆れてつい言った。

「もしかして、あの女狐に夜這いをかけて、逆に力を奪われたのか?」

「そうだっ、あいつは恩知らずにもほどがあるっ。だから、私はちゃんと教えてやらねばならんのだっ」

 しっかり認められるとは思わなかった男は、呆れ返って言った。

「はあ、自惚れもここまで来ると、何も言えんな」

「黙れっ、猫風情が、私を馬鹿にするかっ?」

 怪我のせいなのだろうか、言っていることが全く分からない。

 セイは、眉を寄せたまま会話を聞いていたが、最後の言葉で、男が真顔になったのには気づいた。

「黙るのは、お前の方だ、狐風情がっ。ちょうどいい、オレがその体切り刻んでやる」

「……やめろ」

 刀に手を伸ばしたオキを制止し、セイはコトを見た。

「今夜の所は、見逃してやる。いねさんに感謝の一つもしてやってくれ。あの人が、あんたの命乞いをした。だが」

 若者は、ゆっくりと微笑んだ。

 目は無感情のままだが、その笑みは自惚れの強い狐すら見惚れる美しいものだった。

「しばらく、この山で封じられていろ。運が良ければ、誰かが助けてくれるだろ」

「な……」

 怒鳴ろうとする声は、途切れた。

 目を見開いたまま、その場で固まって動かなくなる狐に背を向け、セイは村の方へと歩き出す。

 山を出た若者は、明るくなったその風景を、無感情のまま見つめた。

 一つの家が、火の塊となっていた。

「……」

 黙ったまま目を閉じ、顔を伏せる。

 炎の中に敢て残った女たちを思い、若者はそうしているしかなかった。

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