第13話
女は、少し前から病んでいるようだった。
「元の旅の道連れの連れ合いの男が、冬場に病に倒れて結局帰らぬ人となって、子供が出来なかった村長夫婦の願いで留まって、村長の子供を産んだ。その頃から、今思えばあの名も知らない妖しに、惑わされていたんだね」
「……お前さんが、その子供に成り代わってたってことは……」
「間に合わなかったんだ」
血の匂いが届くころには、何もかもが遅い。
小さな子供なら、尚更。
「まだ乳飲み子だった長吉は、土間に頭から落とされて、こと切れてた。あの壺の中のものは、骨ではなかったよ。私が、木の枝と入れ替えて、亡骸は懇ろに弔った」
だから、数年たったその時には、もう殆んど骨も残っていなかったはずだ。
「何で、死んだ子に成りすまそうと思ったのかは、自分でもよく分からない。でも、それでよかったって、言ってもらえた」
セイは、雅がその子に成り代わっていなかったら、コトと名乗っていた妖しがその姿を使って言いようにかき回していただろうと言った。
「長吉になっていれば、疑われず山に入れるようになるし、何よりもいい隠れ蓑となったはずだって」
「成長したら、苦労なく村長を継ぐことになるだろうからな」
今の村の長は、世襲制が殆どだ。
鏡月は頷き、話を促す。
雅は小さく笑ってから、再び話し出す。
「今まで話したことを、多少話す人の考えも交えて話しただけだよ。でも、それでよかった。私は自分の思いも告げてもらえたし、安心して山に戻った」
「……」
だが、翌朝には、村が一変していたのだった。
「後は見たとおりだよ。村から人の姿は消えた」
何故なのかは分からないが、考えうることはあった。
「村を捨てて出て行ったんだろうと思う。本当の化け物を目のあたりにして、怖くならない方が、おかしい」
眉を寄せて、何と返事してよい物かと迷う葵の隣で、蓮は小さく息を吐いた。
「そうか。人がいなくなった土地は、寂れるのが早い。梅雨時ならまだ稲も植えたばかりだろうに」
「手入れなんかできないから、そのまま雀の餌になっちゃったよ」
「そりゃあ、勿体ねえな」
笑いあった後、蓮は尋ねた。
「じゃあ、上野様の所で聞いた話は、大袈裟だったんだな」
狐が村の衆を惑わせ命を取った、と言う話だった。
「時がたつと、そう言う事もあるって、あなたも言ったじゃないか。女衆が自刃したという話が流れてたのは、驚いたけど」
笑いながら雅も頷き、戒の頭を軽く叩きながら客たちに言った。
「こんな収まり方では面白くないだろうけど、こういうことだったんだ」
その後、村を離れた者達がどうなったのかは知らないが、それこそこの手の話をして回っているのかも知れない。
「だけど、文句言える事じゃないから、今後もあのお坊さんみたいな人たちが、ちょっかい出してくるかもしれない。だから、戒だけでも、どこかに預けたかったんだけどね……」
雅はそう締めくくった。
その夜はそこに泊めてもらい、蓮と葵は翌朝江戸へ向かって発つことにした。
夜動くことが多い蓮は、疲れ果てて眠る葵を横目に暗闇にうっすらと見える木々を眺めていた。
「何だ、眠らんのか?」
背後の声に振り向くと、寝たふりしていた鏡月が、身を起こしていた。
「あんたこそ、狸寝入りしてねえで、しっかり寝たらどうだ?」
「今は寝るのに飽きている。それに、出来れば人知れずやってしまいたいことがある」
「もう一つの預かりもの、に関わる事か?」
「……届ける場所に、届けねば、な」
奥の方を気にかけながら、鏡月はそっと言った。
「お前は、眠らんのか?」
もう一度問われ、蓮は苦笑した。
「さっき一休みしちまったからな。これ以上は、逆に気が休まらねえんだ」
昔からの、性分のようなものだ。
「それならいいが。江戸に戻ると決めたはいいが、やはり気になっているのかと、邪推してしまうではないか」
「何だよ、邪推って」
問う若者に、鏡月はにんまりと笑って答えた。
「昔別れた女に、後ろ髪引かれているのではと、思ったんだが、違うのか?」
「何を、言ってる?」
思わず鏡月を凝視して返すと、若者はのんびりと言った。
「カスミはな、血の繋がったものに対しても、ひねくれた救いを差し伸べる男だ。女の死に立ち直れぬ者を前に、気が合いそうだと、誰かを有無を言わせず連れて来る……それだけしか、しないはずがない」
「……」
「己にすら軽々とやってのけるのだ。赤の他人も同然の男を女子に変えて、連れて来るくらい平気でやるだろう」
顔を逸らす蓮に笑いながら、鏡月は頷いた。
「本当に、いやがらせとしか思えんことを、あの男はしでかしたのだな」
「……寿命が来たら、往生する。そういう諦めなら、まだましだよな、こういう時は」
あの時、立ち直らせてくれた者が、別な衝撃を連れてやって来る。
蓮は、少しでも会う時を遅らせたいと思っているのだが……一目でもいいから、遠目で元気か否かくらいは確かめたいと言う思いもあった。
「……気になるのなら、会ってから戻ろうぜ、な?」
寝ぼけ眼で身を起こした葵が、奥を気にしながら小声で若者に呼び掛けた。
「別に、気になるって程でもねえよ」
やはり小声で返す蓮に、鏡月は首を傾げながら切り出した。
「気にならんのか? 雅の話の嘘が、どこなのか?」
「……」
目を細めた若者の代わりに、大男が目を丸くして問い返した。
「嘘? あの人が、嘘ついたってんですか? 知らねえとかじゃなく?」
「そんなの、どこか位分かる。聞くまでもねえ」
「そうなのかっ?」
思わず声を張り上げてしまった葵をどつき、更に睨む蓮に小さく笑いかけ、鏡月は外に目を向けた。
「あの村に行ってみたい。付き合え」
静かだが、真剣な声に二人は思わず頷いて、音もなく外へと向かう背を追って外へ出た。
雨はすでにやみ、かき分ける草は重いが歩きにくいと言う程でもない。
「なあ、あの人の話の、どこが嘘だったんだ? まさか……」
「村の衆がどうなったのか、あの狐は知ってるだろうな。あの戒ってガキ、さっきオロオロしてたぜ」
「人間は、都合のいい考え方をする生き物だ」
山を下りながら、鏡月は二人に頷いた。
「相手を見た目でどういう者か決め、気弱になり逆に強気になる。あの狐は、幼い子供に化けていた。もう一人の化け物とどちらが退治しやすく見えるか、考えるまでもない」
「山狩りを、夜のうちに決めちまってるな、ありゃあ」
本当にあくどい奴らだ、と蓮は苦い気持ちで吐き捨てた。
村を後にした一行は、岩のあった道を抜け一休みするべく山の中に入った。
それまでやせ我慢していたセイの歩みが、目に見えて遅くなったのだ。
血を流し過ぎたせいか、元々白い顔がさらに青白くなり、震えが止まらない。
人目の付かない場所を見繕い、一行は雨風を防げるようにその場を整え、若者を休ませることにした。
オキを傍に付け、他の三人は少し離れたところで火を起した。
「……あの連中、放って置く気ですか?」
村に来た仲間三人を、ロンは軽く謝って再び帰していた。
セイが許すと決めてしまったからには、それに従うのがこちらとしては正しいが、当の若者の体調を思うと、やはり許しがたい。
エンは、セイに聞こえないように、籠った声でロンを責める。
火を大きくしながら、ロンは小さく笑う。
「そんなはずないでしょ。あの子も色々考えるようになったけど、まだまだ考えが浅いわよね」
当の山の主の狐は、こちらの思惑に気付きつつも、受け入れるつもりの様だった。
そういうところは狐らしくなく、しかし逆に憎たらしい。
見返した男に、ロンは言った。
「今度立ち寄った時、村の衆たちがどういう生きざまをしているか。それを知ったらセーちゃんは、今夜の事を後悔するでしょうね。許してしまったせいで山の主は退治され、村の衆たちは雨の時期か否かにかかわらず、旅人を襲い始めているはずだから」
「……何ですって?」
「気づきませんでしたか?」
耳を疑ったエンに、ゼツが静かに言った。
「村に住む者は今までのどの村よりも、少なすぎました。なのに、なぜ、山の主の為の供物は、あんなに豪華だったのか」
清酒すらあると言っていた。
「なぜって、物々交換することは、どこでもあるだろう?」
「それに見合った物でないと、中々貴重なものとの交換は出来ないわよ。おとぎ話じゃないんだから」
その見合った物は、どこから湧いて出ているのか。
「国からの探りもあるだろうに、証が出ない。これは、国元で交換しているわけじゃないからに他ならない。あんなに少ない田畑で、年貢や自分たちの生活の分より多く、作物を作っているはずもない。そこまで言えば、あなたにも分かるはずだ」
「いくらあの子の事が気になるからって、そこまで周りを気にしないなんて」
笑う男を見つめながら、エンは思い出していた。
この男とゼツが、代わる代わる村長達に行った種明かしは、元凶のはずのコトに化けた妖しの事ではなかった。
死んだ子供に化けた山の主の思惑や、自分たちが退治した人食いについての事しか、話していなかった。
「次に立ち寄った時には、間違いなく、手を下してあげましょう」
「……あの狐を、村の連中に、殺させる気ですかっ?」
「だって、全ての元凶は、あの狐なのよ?」
何をそんなに驚くのと、不思議そうにロンは首を傾げた。
「元凶は、違う狐の方でしょうっ? そういう八つ当たりは、あなたらしくないでしょうっ」
「ただの八つ当たりとは言い難いですよ。あの狐本人も、こういう形での罰を望んでいたようです」
「……」
全く気にもしていない二人を無言で睨み、エンは立ち上がった。
「もう手遅れよ」
そんな言葉を背に投げかけられたが、足早に歩き出した男は止まらなかった。
山の中を通って、セイは岩の前に出た。
なら、この先に村を通らずにあの山の中に出る道があるはずだ。
歩みはだんだん早くなり、殆んど走り出していた。
夜も更けて、村に静けさが戻ったように感じるが、それは密やかな動きを悟られぬようにそう装っているにすぎない。
そんな感覚が、山に戻った狐には感じ取れた。
「……戒、これを」
狐は、戒を拾った後、村長の住居で偶然見つけた書簡を戒に差し出した。
「この村の先の村の名高いお坊様に、お前を頼むと言う旨の書簡だよ。お前をあの坊様に託した方は、私なんかにお前を養って欲しくないはずだ」
「何を、今更……」
「すまなかった。一人の時が長すぎて、ついつい、手離しづらくなってしまったんだ」
優しく笑いながら、小さな手にその書簡を握らせた。
「今からでも遅くない。これを持って、隣村を訪ねなさい」
「あんたは、どうするんだ?」
「……ここに残るに決まっているだろう。ここは、私が生まれた所で、死に場所でもある」
覚悟を決めたその言葉に、戒は泣きそうな顔をした。
それを見て、思わず笑ってしまう。
「気づいているのか。村の事」
「……奴ら、弓矢や鍬を手に、ここにやって来る。あんただけで、太刀打ちできる数じゃない。何でそうなる? あの人食いがいなくなったら、岩が無くなったら、何もかも元に戻るんじゃ、なかったのかっ?」
「その元が、山狩りだったからね。それが、発端だ。あの時、大人しく倒れていれば、こうまで恐ろしい事にはならなかった」
「その時の目当ては、あんたじゃないだろうっ」
悲鳴に近い声で叫ぶ子供に、狐は首を振った。
「山に巣食う、質の悪い狐……私も含む言葉だ」
「馬鹿な事を言うなっ、あんたは、悪い奴じゃない。オレが、よく知っている」
体ごとぶつかって狐に抱き着いて、戒はしっかりとその体を捕まえた。
「あんたは、オレが、守る。何人あんな爺共が来たって、離れるものかっ」
言葉足らずだが、本音だった。
それが嬉しくて、小さな体を抱きとめ背中を軽く何度もたたく。
「ありがとう。幸せだった、本当に」
暫くの間のそれを、噛み締める事が出来ることも、狐にとっては有り難いことだった。
無数の足音が、山に足を踏み入れて来る。
「さ、早く行きなさい」
意外に進む足は速い。
ここに村の衆が辿り着く前に、子供を逃がさなければ。
そんな狐の思いに、子供は涙を浮かべて言いつのろうとして、気づいた。
狐も、まだ山の中をいくばくも歩いていないはずの足音が、止まったのに気づく。
戸惑いながらも狐は村の男衆たち以外の、匂いをかぎ取った。
そのうちの一人は、先程発ったばかりの武芸者の一人だった。
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