第12話

 足音が近づいて来る。

 意外にゆっくりとした足取りの所を見ると、こちらがすでに体力を使い果たしていると考えているのか。

 山の中に再び戻り、木に寄りかかって立っていたセイは、そっと残った手で懐を抑えてみた。

 そこには、祖父の形見ともう一つ、首から下がって丁度胸元にある、ある若者の大事な物がある。

 少し触れて小さな音を立てるそれの存在を確かめ、セイは少し表情を緩めてしまった。

 これの本来の持ち主は、言葉使いは荒いが人情のある若者だった。

 戦の世を生き抜き、世の闇を見つめ続けている割に、真っ直ぐに人を見、自分のような者の事まで気に掛ける、そんな人だ。

 ほんの五十年では、あの性格は変わらないだろう。

 自分も、変わらない。

 だが、変わらないなりの、生き方を見つけた。

 それを、自分自身に分からせるには充分の事態が、今ここにあった。

 この後、どうなるかは分からないが、どんな終わりを迎えても、それを聞いたあの若者は、話す自分を不敵に笑って受け止めてくれるだろう。

 生きて、会えるならば。

 伏せた目の端に大きな足が入り、セイは顔を上げた。

 にんまりと笑う大男を見上げ、自分も笑う。

「……遅かったじゃないか。あんまり遅いんで、眠る所だった」

 動かずに立ち尽くしていたのは、残った力を充分にかき集めておくためだった。

 木に預けていた背中を引きはがしながら言う若者に、大男は何の変わりもない。

 だが、言葉は分かるはずだ。

 この鬼も、元々は人間だ。

 元となった姿もこれだけ大きかったのだろうが、村に潜むときの姿とは似ても似つかない。

 言葉は分かっても、化けられる程ではないから、その後ろに誰かがいる。

 その誰かは、恐らくは山の主とは別の、もう一人の狐、だ。

 そして、狐二人と鬼を見極めてから今までで、連れたちにも黙っていることがある。

 この狐二人は、血縁者だ。

 恐らくは、最近山の主の前に姿を見せなくなったと言う母方の叔父、だ。

 話を聞いてから、分かったことは多々あるが、未だに分からないこともある。

 この血縁関係のあるはずの狐が、なぜこのような事態を仕組んだのか。

 この男に聞く事は難しいから、まずはこの場を乗り切ってから後の事は考えよう。

 頭ではそう考えながら、セイは大男を見上げている。

 見返す方は、息を整える気もないらしく、血走った目で若者を見下ろしていた。

 言葉は分かっても、聞く気がなければ意味がない。

 だからセイは少ない言葉の後、黙って大男を見据えていた。

 見返す目が、更に狂気をはらむのが分かる。

 顔も歪ませ、耐えきれなくなって咆哮し、両手でセイの肩に攫みかかるが、その勢いに乗せて若者が動いた。

 力がほとんど残っていない分は、相手の力を使う。

 攫みかかる手は身を低くすることで避け、思いっきり足を突き上げた。

 まともに腹に入った足が肉にめり込むが、男は呻いて体を曲げただけだ。

 身を引くくらいには打撃を受けた男から離れ、手ごたえの弱さに舌打ちする。

 そんなセイを見据え、大男は更に攫みかかったが、不意にその拳を固めた。

 殴られる前に身を避けたが、避けた先のもう片方の拳が若者の体を捕えた。

 息が詰まる程に殴りつけられ、セイの体は宙に浮き地面に叩きつけられる。

 まずは動けなくすることにしたらしい大男は、更に倒れた体を足で踏みつけ、声もなく呻く若者の首を攫んだ。

 骨を砕く勢いの力で締め付けられ、セイは弱々しく男の腕を攫む。

 大男と若者の間で、鮮血が噴出した。

 絶叫と共に大男が離れ、セイが座り込みながら咳込む。

 首に張り付いたままの男の手をはがしながら、若者は言った。

「目には目をって言葉、知ってるか?」

 手首から下を切り落とされ、泣きわめくように絶叫する大男を見上げ、髪を結っていた組みひもを左手に立ち上がった。

「もう少し切り刻んでやるよ。食われた分には、足りてないからな」

 軽く振ってついた血を落とすと、荒くなる息を殺しながら言い切った。

 痛みと怒りと、恐怖を混じらせた目で男は若者を見下ろしていたが、不意に踵を返して走り出した。

 思いもよらない動きに、セイも目を見張ったがそちらの方へ目を向けて溜息を吐く。

「ああ、やっぱり、音が大き過ぎたな」

 大男が逃げる先には、人の気配が集まり始めていた。


 村の男たちは、戸惑っていた。

 大きな振動と音が響いたと思ってそこに来てみれば、ぽっかりと道が続いていた。

 いつも見慣れた夜道だったが、朝そこに現れたはずの岩が、跡形もなく消えている。

「ど、どういう事だ? なぜ、岩が……」

「もう、気が済んでしまわれたのか? たった一人で?」

「そんなはずなかろう。気難しい方なのだぞ」

 めいめいに話し、若い衆の中でも頭の切れる男が苦い顔をした。

「……血を流し過ぎたのが、気に食わなかったのか?」

 呟く様な声だったが、村人たちは動揺してざわついた。

 特に先程斧を使った若い衆は、歯もかち合わせられぬほどに震えている。

「どうすればいいのだ、このままでは、わが村の者達にまで……」

 村長が歯軋りして唸った時、道の横の林から小さな影が現れた。

 ぎょっとした村人たちを認め、その影は弱々しく近づいていく。

「た、助けて下せえ、こ、殺される……」

「と、留吉? お前、なぜここに……」

 先ほどから姿が見えなかった小柄な老人が、村長の前によろよろと歩み寄った。

 右の手首から下が切り取られ、血が滴っているその老人を、傍の若い衆が支える。

「でけえ音が気になって来たら、あんなバケモンが……」

「化け物?」

 聞き返した村長の後ろで、男衆がざわつく。

「ま、まさか、ここに来てるのか、山の主様はっ」

「こんな人里に近いところにまで、降りて来なすったのかっっ」

「お、お許し下せえ、すぐにきれいな供物を用意しますんで、どうか……」

 混乱して喚く者、恐怖で蹲る者、命乞いで祈り始める者がいる中、村長は何とか男衆を落ち着かせようとしていたが、混乱しているのは村長も同じだった。

 兎に角、この場を離れなくてはと男衆を見回した時、無感情な声が響いた。

「……いい加減、一人の妖しに何でもかんでも被せるの、やめてみてはどうだ?」

 ぎくりと体を強張らせ、振り返った先を見て、若い衆たちが小さく悲鳴を上げた。

 驚きさらに混乱する村の衆たちを見回し、細身の若者はゆっくりと言った。

「そこまで心配せずとも、山の主はお主たちの事を憎んではおらぬ」

 自身を落ち着かせるためにも、セイは武士の言葉を心掛ける。

「そんなこと、あなた様に言われても、信じられぬ」

「そうか、ならやめておこうか? そいつを止めるのは?」

 村長に返し、セイは追って来た者を見つめた。

 それを追った村の衆の目の先で、若い衆の一人にすがっていた留吉が顔を上げたのを見た。

 その顔を見た村長が、喉の奥で悲鳴を上げる。

 目の前で見る羽目になった若い衆は、そのまま座り込んだ。

 逃げる余裕もなく、留吉の手に捕まり正体を失って暴れたが、その小柄な男のどこにそんな力があるのか、びくともしない。

 夜目に見ても明らかなほどに、体がどんどん膨らんでいき、元の大男の姿に戻った留吉は、ようやくありつけた餌に喜びを隠さず、悲鳴を上げ続ける若い衆に食いついた。

 絶叫が、夜道に響く。

「このくらいの冗談は、許してもらおうか。私も少しあなた方にしてやられているのだから」

 少し笑いながらセイは言い、左に巻いた組みひもを軽く振った。

 いつの間に近づいたのか、若者は大男の残った左手を切り落とし、絶叫するその体を若い衆から引き離していた。

 慌てて仲間を抱える村の衆たちを見、呆然と自分を見る村長を見返す。

「あなたは、何者だ?」

「ご存知の通りだ。世間知らずの、只の旅の浪人。まさか、一晩でこのような事態に陥るとは、この国は、まさに火の国なのだな」

 それは関係ない、と言う連れの声が聞こえそうだが、ここまで村の者達が集まった場所に、彼らが来れるとも思えない。

 何とかなりそうだな。

 まだ油断はできないが、一つの願いは成就しそうだ。

「……これが、山の主か。何も知らずに住まわせていたあ奴が……」

「いいや、山の主は、別にいる。だが、供物としての旅人を欲していたのは、この男だ」

「では、今迄の、我々の所業は……」

「ただ、人を喰らうこの鬼に、いい餌場をくれてやっていただけだ。山の主も、いい迷惑だな」

 己の罪の重さに、村の衆たちが気づき始めるのを見て、セイは静かに告げた。

「私は、生き証人と言う奴になったのだが……」

 ぎくり、と睨む男たちを見返すと、若者は続けた。

「こうして生きて戻れたので、良しとしたい。代わりに……」

 意外な言葉に目を剝く村の民たちに、セイは留吉だった大男を指さした。

「この男を頂けるか? きっちりと借りを返して、退治してしまいたい」

「む、無論にございます。どうか、この人食いを、退治して下され」

 腰を低くして村の衆たちが村へと戻る後姿を、半ば呆れて見送ったセイは呟いた。

「どこの人も、こういうところは同じだな。己を守れる方を選んで後は切り捨てる。……あんたは、何度切り捨てられた?」

 話しかけた先には、両手を切り落とされ怒りを抑えきれず唸る大男がいる。

「どの国でも、戦のあとには見かける。負け戦で逃げ続け、匿われた先で裏切られて討たれる者を。その無念は、後々まで残る。だが、あんたみたいに大きく無数の怨念が固まる事は、自然ではないと聞く」

 やり方が乱暴だと、初めにこの姿を見た時、驚いた。

 大きな亡骸に、かき集めた怨念と何かしらの欲を押し込んだだけの、人形ひとがたの生き物。

「どういう心算で作り上げたのかは、作った本人に尋ねてみることにするが、まずはあんただな」

 組みひもを回しながら、セイは微笑んだ。

「あと少し、切り刻ませてくれ。食われた分には足りていないのだ。その後は、きっちりと息の根を止めてやるよ」

 でないと、死体にすら怒りをぶつけかねない連れがいる。

 嬲り殺しは好きではないが、自分の痛み位は返さなければと言う思いでの申し出だった。

 正気の色が全く失せた大男は、怒りをそのまま体中にまとわせている。

 痛みから立ち直るのを待っていたセイは、そのまま立ち尽くして相手の動きを見ていた。

 こちらの体力も残っていない。

 出来るだけ動かず、相手の出方次第で攻撃の合間をぬって動く。

 これは、幼い頃から生きるために身に付けていた戦い方だった。

 力が残っていない今は、武器である組みひもの力を借りているが、本来は手以上に器用な足を使う戦法を使う。

 組みひもは普段は髪を結う事に使っているが、カスミに頭領業と共に押し付けられた髪の毛が縫い込まれた、妙に頑丈でよく物が切れる紐で、もしもの為の武器となる。

 これを使う羽目になるほど追いつめられるなんて、気を抜きすぎたな……と気に病んでいるセイに、大男がようやく飛び掛かって来た。

 もう、終わってしまおう、と前言とは全く違う考えで若者は大男の首を目でとらえていた。

 体当たりに近い勢いの大きな体を間近に、狙いを定めた左手を振りかぶる。

 その手首を、背後から捕らえた者がいた。

 思わぬ事に振りほどく前に、体ごと抱え込まれる。

 襲い掛かる大男に慌てて目を向けると、その体は不自然な姿勢で止まっていた。

「そこまでにしてください」

 背後からの固い声が、僅かに震えながら言った。

 その聞き覚えがある声を聞きながら、セイは目の前で力任せに引き倒される大男を見た。

「……本当に、思っていても口に乗せるものじゃないわね」

「本当ですね。冗談でもなんでも」

 大男を引き倒して抑え込むロンの傍で、エンが溜息を吐いた。

 そして、身をすくませて呆然としているセイを見て、言った。

「武器使う程動けないのなら、なんですぐに戻ってこないんだ?」

「そうですよ、これは、すぐに休まないと危ない怪我でしょう?」

「……」

 言い返す力も残っていない、と言う様を作って黙るセイに、エンは穏やかに言う。

「話せないわけじゃないだろう? 走る位の体力もあったくらいだからな。そんな騙しの手は、効かない」

 こういう時、付き合いが長い兄貴分は憎たらしい。

「……何で、あんたらがここにいるんだ?」

「あそこまで大きな音が聞こえれば、どんなに目立たぬと決めていても、気になりますよ」

 背後の男が固い声で言い、傷口を確認した。

「大量の血を流したとは思っていましたが、まさか、こんな……」

「食ったのはこいつでも、切り落としたのはあの若いのだろう? 斧を手にして山に入った?」

「顔までは分からなかった」

 きっぱりと言う若者に、目を細めて頷きつつもエンが再び口をついた。

「生き証人になった、とは、どういう意味なんだ? それなら?」

「聞き違いだろ」

 頑なな声に、三人はそれぞれの表情で顔を見合わせる。

「セーちゃん、真面目に答えなさい」

「この上ないほどに、真面目に答えてるけど」

 真顔になったロンの頼みにも、若者は動じない。

 これは、どうあっても崩れぬ覚悟の表れだ。

 しかも、今は深く踏み込めない。

「……放って置いても、大丈夫なのですか? 仮にも旅人を次々と追いはぎのように殺めていた人たちですよ。しかも、村ぐるみで」

「そう願ってる」

 大丈夫とは言えないセイは、言った。

「きっかけの岩と、贄を欲するその男はいなくなる。後は……」

「後は?」

 躊躇って言葉を切った若者に先を促すと、首を振ってから続けた。

「後は、こちらが怪しくないと思ってもらわなければならない。だから、あんたたちは戻っててくれ」

「それは、出来ないわ」

「何で?」

「こいつの退治は、ちゃんとやっておかなくちゃ」

「心配しなくても、私がやる」

「駄目」

 今度はロンが頑なに首を振った。

「だから、何で?」

「あなたは、少しでも休みなさい。明日はすぐにここを発つから」

「オレが、付いて戻りますから」

「心配しなくても、あなたが受けた仕打ち、全部返してから葬り去るから、大丈夫よ」

 ゼツとロンの言い分に、エンは何度も頷いているだけで、反対する気配はない。

 今の言葉のどこに、大丈夫な箇所があったのか、セイには分からない。

 いや、分かる気力はもう無くなっていた。

 寝る事だけを楽しみに生きてきたセイは、今日は一睡もできていないのだ。

 お言葉に甘えて、二人の連れに後は盥を投げることにしたのだった。


 何やら、付きものが落ちたような顔で、村の男衆が戻って来た。

 話し合うのは明日にして、めいめいの家に引き払って行くようだった。

「本当に退治できているのか、その時は分からなかったけど何だか村の衆の顔つきが、さっきと違って見えて、少しほっとしたんだ」

 手妻でも得手としているのかほんの一刻あまりで、男衆の思いつめた顔は緩んでいた。

「……オレと違って、あいつは術の類は全く効かねえ。それに、ものによっては人にかかった呪いも一声で破れる」

 蓮の緩んだ顔に、雅は笑みを返して頷いた。

「もう一人、呪いを掛けられて苦しんでいた人を、あの子は助けていったんだよ」

 それは、村長の妾であったすえだった。

 その夜、雅は寝付けずに目を閉じたまま考え事をしていたのだが、誰かがそっと寝間を出て行く気配に気づいて目を開けた。

「あの人、元々、弱い人で、何だか放って置けなくて、それとなく気にしていたんだけど、土間の方に向かうのを見て、不味いなって……」

 慌てて後を追って土間に降りると、女は小さな壺を抱えて中を覗いていた。

「……おかしいわ。まだ、こんなに残ってる。早く、消えてしまってよ……じゃないと、呪いが効かないじゃない」

 呟く女に狐が声をかける前に、すえが振り返った。

 雅に気付いて、目を剝いて声を張り上げた。


 布を引き裂くような声と言うのは、こんな声だろう。

 ようやく落ち着いた村に響いた奇声は、うとうととしていた旅人たちをも飛び起きさせるほどの声だった。

「な、何だっ?」

 戻って来ていたオキが、耳を抑えながら顔を顰め、エンが部屋を出て様子を伺う。

 慌ただしい足音と、女たちの争う声、それを止めようと怒鳴る男の声が響く。

 ぞろぞろと様子を見に来た客たちの目に、土間に降りた長吉に馬乗りになって、首を絞めるすえの姿が見えた。

「やめなさいっ。このままでは、長坊がっっ」

 いねがそんな妾に取り付いて子供から引き離そうとしている。

「離してっっ、どうしてよっ、どうしてこの子が……いなくならなくちゃ、呪いが出来ないじゃないのよっっ」

「すえ様っ、お気を確かにっ」

 コトもすがるようにいねの加勢をするが、それすらも跳ねのけて子供の首を絞め続けている。

「……何だ、これは?」

 力で止められるはずの村長は、呆然と女の傍に転がる壺の中身を覗いていた。

 中のものを取り出して、女を見下ろす。

「これは、骨、か?」

「憎い奴の血縁の子供を、壺に閉じ込めて呪いを込める。壺の中に何も残らなくなったら、呪いは成就する……あんたが、苦しみ死に絶えるさまを見れれば、私は地獄に行っても構わない。あの人を、死なせた報いを……」

 動かなくなった子供を抱え、女は立ち上がった。

「な、にを、言っているんだっ、すえ、お前はっ、何てことを……」

 ひきつけを起こしたように笑いながら、女は土間の隅のかまどの傍に歩み、包丁を手にする。

「……エン、子供を頼む」

 思わず唖然として見ていた男の背後で無感情な声が言い、我に返る自覚もないままに動いていた。

 その先で、女の動きが唐突に止まる。

 包丁が手から滑り落ち、子供を抱えていた腕も力なく落ちた。土間に落ちそうになった長吉を、エンは寸での所で掬い取って抱き上げた。

 動かない体をゆすり、息をしていないのに気づき青褪める。

「ち、長吉っ」

 いねが、悲痛な声で叫びながら縋り付く。

「す、すえさま?」

 コトが、恐る恐る目を見開いたまま立ち尽くす女に近づくが、その前に立った若者に阻まれた。

「……いい加減にしろ。どこまでかき回せば済むんだ」

「な、何を……」

 見上げたお武家は、無感情の目でコトを見下ろしていた。

 その冷たさに声を失くす少年に、セイは笑って見せた。

「逃げ場と言うだけではなく、餌場の一つだったのか。五十年前、一休みしてから痕跡を探したのに全く消えていたから、どういう事かと思った。すでに馴染んでいたせいで、息をひそめる必要もなかった、ということか」

「……怪我で、おかしくなったのですか? 私、五十年も前からここにはいませんよ?」

「本当に?」

 やんわりと若者は笑うが、目は全く変わらぬ無感情のままだ。

 その目を、二人の村の民に向けた。

 いねは、目を見張ってコトを見ている。

 村長は、息を弾ませて引き攣った声を上げた。

「お前、あのコトかっ? 私が子供の頃みなしごとなって引き取られた……」

「何を言っているのですかっ、私は……」

「なぜ、その時と変わらぬのだっ? お前は、何だっ?」

 青ざめたコトが、必死に呼びかけた。

「旦那様っ」

「すえに何を吹き込んだのだっ。長吉を手にかけて、何を企んで……」

「ああ、その子は、死んでませんよ」

 無表情な声が、話に割り込んだ。

 旅人の一人で、只一人今の騒動に興味なさげにしていた大きな男だ。

 弾かれたように女が見るのにも動じず、ゼツは言った。

「本物は、知りませんけど」

「……本物?」

「ゼツ」

 セイの呼びかけに、男は無表情のまま返した。

「ここでもう全ての種明かしをして、村を出てしまいましょう。何の憂いも残さなければ、あなたも気にせず、自分の事を考えられるでしょう?」

「……」

「まあ、そうねえ。オキちゃん、準備をお願いね」

 成り行きを見守っていたロンが、傍で面白くなさそうに見ていたオキに声をかけ、セイに頷きかける。

 それを受けて、若者は呼びかけた。

「あんたは、それでいいのか?」

 溜息をついて答えたのは、エンの腕の中でぐったりとしていた、長吉だった。

「ここまで明かされたら、そうするしかないじゃないか。中々あくどいな、あなたのお連れ方は」

 目を開けた長吉は、安堵の顔で見下ろすエンを見上げ、微笑んだ。

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