第11話

 足場は悪いが、歩けないほどではない。

 狐の弟の子供の後に付いて歩きながら、セイは自分に言い聞かせていた。

 そう、普段なら歩けない足場ではないが、今の自分は体力が乏しい。

 血が流れ過ぎたのが一番の理由だったが、あそこで走って逃げていなければ、恐らくは今頃自分はもう一本位腕を犠牲にする羽目になっていただろうから、無駄に体力を使ったわけではない。

 起こったことを悔いるな、と言うのは自分の志だ。

 悔いるよりも、これ以上悪い方向に向かうのを防ぐ方に、頭を使う。

 そうしないと、本当に成り行きに任せるだけの、ただいるだけの者になってしまう。

 それでは、あの連中の中に戻ったことの意味がなくなってしまう。

 幸い、歩幅が狭い子供の後に続くのはまだ楽だったが、それでもそこに着いた時には息を切らし気味だった。

 夕暮れ前に見上げたその岩を、セイは再び見上げた。

 子供も息を切らしながら同じように見上げ、確かめるように問いかける。

「本当に、これを壊すのか? どうやって?」

 道具は、何もない。

 狐の住処には、殆んどその手の道具はないのだ。

 連れて来たものの、不安に顔を翳らせる子供に、若者はやんわりと微笑んで見せた。

「造作もない、少し離れていろ」

 言って、セイは軽く身をかがめて岩の上に飛び上がった。

 上手く足場を見つけながら上の方まで飛び乗って行き、天辺から周囲を見回す。

 子供が自分を見上げながら後ずさって行き、目測でこの位と思える程に下がったのを見届けてから、再び身をかがめて飛び上がった。

 先ほどとは違い、思いっ切り飛び上がって着地と共に思いっ切り岩を踏みつける。

 踏みつけた先から、岩は真っ二つに割れ、音を立てて地面を揺らしながら、両脇の木々を倒しながら倒れて行く。

 割れ目を上にして倒れた岩の破片の真ん中に降り立ち、セイは軽く飛びながら更に岩を崩していく。

 岩が崩れるたびに立つ砂埃で、周囲は更に視界が悪くなり、思わず咳込む子供の耳には若者が岩を踏み続ける音が聞こえるのみとなった。

 やがて、踏みつける音が止み、今度は砂利を踏み鳴らす音が聞こえ始め、子供の前で不意に止まった。

「まあ、こんなものだろう」

 左手で目を守りながらセイが呟き、埃が消えるのを待つ。

 月明かりのない中でも、夜の暗さに慣れた子供の目には分かった。

 岩と呼べるものは、もう残っていない。

 殆んど歩くのにすら差支えない程小粒の砂利となって、道に敷き詰められていた。

「これなら、旅人や他の村の者の行き来を妨げることはないだろう。荷車も通れるように出来るだけ均したつもりだが……」

「……」

 思わず唖然としてセイを見る子供に、若者は無感情に告げた。

「来た」

 何が、と聞くまでもなかった。

 自分たちが来た山道の方から、音を殺すこともせずに近づく足音があった。

「ここまでの案内、助かった、礼を言う」

「そんなことは、どうでもいい。お前、本当にあの……」

「心配するな。岩よりは小さい獲物だ。大事ない」

「比べるモノが違うだろうがっ」

「さして変わらぬと思うが?」

 小首を傾げる若者の正気を疑いつつも、子供はどうすることも出来ない。

「狐に伝言を頼む。薬の対価、確かに払ったぞ、と」

 その言葉は、背中で聞いた。

 すぐ近くまで足音は迫っていて、子供は慌てて身を隠したのだ。


 住処の外に出て二人を見送る雅に、若者は再び微笑んだ。

「その笑顔が、さっきの蓮の笑顔に似てたんだ」

 不安が、表情にしっかりと出ていたのだろう。

 若者は、大丈夫だ、と頷いた。

 そして、躊躇ってから左手で首にかかった物を引き出したのだ。

「どんなに見苦しくても、寿命までは足掻いて生きろ。そんな約束を強いた人から預かった物、だって。ここまで生きて、ここまで来てしまったのだから、どうせなら直接手渡したいから、こちらとしても、ここで死ぬのはお断りだ、って」

 気持ちだけで、本当にそう出来るのなら、世話はない。

 だが、ついついその笑顔に見惚れて、頷いてしまったのだ。

「頼もしさもあったんだけど、その君の話の下りで少しだけ、別な何かが混じった気がしたんだ。そんな表情がなんだか可愛く見えちゃって」

 二人の背中を見送って、雅は頼まれたことを思い出し、ようやく考え込んでしまった。

「あの村の中での私はまだ、そんな夜遅くまで起きていられる奴じゃなかったからね。だからこそ、寝ている風を装って来たんだから」

 村に戻って寝床に入り、どうやってあの旅人達に近づくかを考えていたのだが、うまい具合に事が動いた。

「村長のお内儀さんが、あの旅のお武家様の一人が、部屋から姿を消したまま戻っていないらしいと聞きつけたんだね。心配して、そっと部屋を出て行くのを聞いたんだ」

 それに気づいて起き出した風を装って、同じように起きてしまった女たちと共に、旅人達の部屋に行くことが出来た。

「改めて見ると、本当に大きなお武家様たちで、そこの葵殿が混じっても分からない位だと思う」

 話をしたのは主に村長の妻のいねと妾のすえだった。

 客にも滅多に出さない茶を持ちだし、お武家たちに勧めると、和やかに話を始めた。

「しかし、道中様々な村を通り、世話になっているが、この村は他の村より子供が少なく思えるな」

 ひとしきり話した後、客の中では小柄な方の、穏やかな笑顔を浮かべた男がやんわりと感想を述べた。

 村の存続の危機に係わる話を持ち出されたにもかかわらず、いねが神妙に頷いたのはその男の穏和な表情のせいだ。

「お恥ずかしい話です。どうやら、私共が与り知らぬ間に、不本意な噂が流れておりますようで」

「……ああ、この村であったか? 旅人が、この時期にいなくなる村と言うのは?」

 日に焼けているのか、色黒の男が思い出したように言い、笑った。

「確かに、今一人、我らの連れがいなくなっているが」

「あれは、ただの迷子であろうと思うが」

 受けて笑う男の後ろで、一番大柄な客は黙ったまま目を閉じている。

「どうやらそのお武家は、目が見えないらしいと村長が言っていたけど、それが正しいかは分からない」

 狐は大人しく話を聞きながら、内心舌を巻いていた。

 客の三人は、それぞれ表情は違えど家の者の気遣いに、当たり障りなく接しているが、その部屋の中に入った時に狐は勘づいていた。

「廊下から部屋に入った時のあの肌寒さ、相当彼らは怒っていた。なのに、何を考えているのか、それを家の者達に気づかれないように隠した上で、表面上は穏和にいねさまからうまく話を引き出し始めていたんだ」

 名前は全員が名乗ったのをその日引き合わされた時に聞いたが、それが本当の名前かは分からない。

「部屋で寝たふりをしていた時、ひそひそと聞こえた言葉が、全く聞いたことのない言葉だったから、もしかしたらこの国の人間ですらないのかもしれないって、思ったんだ」

「その通りだ。あいつらは、この国に限らず、様々な国を祖国とする奴らだ」

 鏡月の頷きに雅は頷き返し、話を続けた。

「いねさまは、顔を曇らせて、その話は、根も葉もない話だと、首を振って言い切った」

 そんなはずはない、と雅も知っているし、恐らくは客たちも分かっている。

 だが、あくまでも笑いながら色黒の男が頷いた。

「狐様に足止めされた旅人を、丁寧に村に迎えて、儀式をするだけ、なのだろう?」

「そうなのです。その後、旅の方々は毎年うちの男衆に見送られて、朝方お発ちになるのです」

 その時、村の男衆のみが知る、隣村への山道を教える為、消えるように見えるのだろうと、いねは強く言った。

「しかし、面白い狐もいたものだな。雨季になると、旅人を足止めるとは」

「我々も足止められたのだが、あの岩、相当な力持ちでないと持ち運べないのではないか? いつもは、別な所にあるのだろう?」

「はい、いつもは、山の入り口の鳥居の傍にある物なのですが、この時期になると狐様が不思議な力であそこまで持って行くのだと、言われております」

 その意思に、村の者は全く疑うことなく従い続けて、数百年だという。

「ほお、それはすごいな。そういうものは、大昔からの謂れがあることが多いが、この村に伝わる話は、どういうものなのだ?」

 穏やかに尋ねた男に、いねは答えた。

「その昔、わが村の者は、あの山に住む狐様を怒らせてしまったのでございます」

 そして、雨を止められてしまった。

 眉を寄せる旅人達に、いねは村に伝わる話を始めた。

「その昔、我が家の先祖に当たる娘が、婿となるはずの若い男に殺められて、井戸に落とされると言う、痛ましい事がございました。事が起こった時、その男はとっさに山の狐のせいにしてしまったのでございます」

 雅にとっても、意外な話が飛び出した。

 思わずいねを見た狐は、次の言葉で驚きを隠せず、声を上げていた。

「後で分かったのですが、その男は村に迷い込んだ娘に心が動いて、その挙句に許婚の娘を手にかけてしまったのです。娘の方は旅の疲れを癒してすぐに旅立っておりましたが、とっさに男はその娘に罪を被せてしまったのでございます」


 長吉が、小さくくしゃみをした。

 そのくしゃみが何度か続き、母親が心配して子供の背を擦る。

「冷えてしまったのではないか?」

 エンが優しく呼びかけた。

「もう寝かしつけたらどうだ?」

 母親が、返事をする前に、長吉が首を振った。

 そして、母親の体にしがみつく。

「まあ、たまには夜更かししたい日もあるか」

 その様子を見守っていたロンが微笑み、エンも頷くと自分の寝具を引っ張り、長吉と女の方へ押しやる。

「この時期に、風邪を引いたら厄介だ」

 雨季で夏もすぐそこだが、山沿いの村は寒暖の差が大きい。

 それを心配する旅人の言葉に甘え、母親は子供の背に寝具を被せて座りなおした。

 それを見届けてから、エンが続きを促すように尋ねた。

「その娘に罪を被せた、という事はその娘が、山の狐だったのか?」

「それが、分からぬのです。ただ、我が家の先祖の娘とは仲が良く、二人共器量がよろしかったので、姉妹のように見えるようになったほどだったと、伝わっております」

 そして、村を出た娘が、狐の住むと言われる山に向かったのが、男衆の口から出たでたらめを、村の衆に信じさせるものとなってしまったのだ。

「それで……」

 驚きの声を上げ、目を見開いていたコトが、一度瞬きをしてから続きを促す。

「そんな疑いをかけられた狐様が、怒ってしまったのですか?」

 思いのほか話に食いつく少年に首を振り、老女はゆっくりと言った。

「狐様は別におられたけれど、その娘が狐だったと言うのは、間違いではなかったのですよ」

 村の男衆たちを集めて、山狩りに出た時、山の主と思われる狐の前に庇うように現れたのが、その娘だったのだ。

 何事かと問う娘を、男衆たちは「退治した」のだった。

「しかも、村長が話をする前に、娘を手にかけた男が、真っ先に狐の娘に矢を放ったのです」

 それにつられて他の男衆も矢を放ち、我に返った村長が声を荒げて止めた時には、どう見ても手遅れだった。

 倒れた娘に縋る女。

 その傍に駆け寄る娘。

「娘の妹らしい娘が、すでに息のない娘を山の奥へと運んで行くのを、男衆たちは更に追おうといたしましたが、残った女に阻まれたのでございます」

 立ち尽くしていただけの先ほどの様子とは、豹変と言ってもいいくらいの変わりようの形相だった。

 身動きできなくなった村の者達に、女はゆっくりと、恨みを込めて言い切った。

「いずれ、この場にいる者全てに災いがかからんことを、願う」

 静かだが、恐ろしい呪詛の言葉を吐き、女は目を見開いた。

「立ち去れっ。二度と、この山に入るなっ」

 男衆たちは、糸が切れたように散り散りに走り山を降りて来た。

「その夜、一人の男が、自分の家で、首を括りました。その者は、二親にある話をしていたのです」

 狐の娘に魅了されて許婚を手にかけた挙句、事が明るみに出ることを恐れて、その狐すらも手にかけてしまったことを。

「それを知った村の者達は、悔むことしかできませんでした」

 そしてその年、雨が止まってしまったのだった。

 当然の仕打ちだとうなだれる反面、女子供まで巻き込む祟りは早く祓ってしまおうと、村人たちは話し合った。

「謝って許してもらうのが一番ですが、一番その罪のある者は、すでに世を去っております。そこで……」

 矢を放った若い男衆たちを、一人ずつ山へと謝りに行かせることにしたのだった。

「雨季の初めの一晩目に、昨年の収穫の品も、捧げることになりました」

 そして、今もそれが続いている。

「もう、狐様のお怒りはとけているのですけれど、この時期の儀式として永くやっておりますので、お許しをいただいたからと、すぐにやめられるものではありません」

「もう、お怒りではないのですか?」

「ええ。今から、五十年ほど前に、儀式で入った男衆が、狐様に出会ってお話ししたのですって」

「ほう」

「会った? 本当に? 狐様が?」

 コトは、さっきから目を剥いたままだ。

 いねはそんな少年とお武家たちに、五十年前の話をした。

「と言っても、わたくしはまだ生まれてもおりませんでしたので、これは母から聞いた話なのですが、その年村の若い衆は全員が狐様に出会っているのです。そして、一晩待たずに山から逃げ帰って来てしまって……」

 怯えてしまったのだ。

 まだ、山に入っていない若い衆まで嫌がってしまい、村長は途方に暮れていた。

 そんな時、一人の旅人が、村に宿を求めて来たのだった。

「コト、あなたのお父様と同じで、お医者様だったそうですよ」

 正しくは、医学の勉強をするために長崎に向かう途中の、若い男だった。

 耳に挟んだその話に、男は自分が行こうと引き受けた。

「翌朝山から戻ったその方は、昔怒りで呪いの言葉を吐いた狐様の、娘と名乗るモノに会い、自分も母親ももう怒っていないと言っていたと、その娘がとても愛らしい娘だったと告げて、村を去りました。その後から今までは、旅人の方を手厚く招いて、狐様には村の繁栄をお祈りする儀式へと変わったのでございます」

「それを望んでいるから、狐も岩を動かしている、という事か」

 考え込みながら頷くロンの隣で、エンの表情が崩れた。

「……なるほど、そう言うつもりか」

 舌打ちしかねない、彼らしくない口調で、他の二人が思わず振り向いた。

「……どうした?」

 色黒の男の問いかけには首を振るだけで答え、エンはいねに笑いかけた。

 その表情に、先ほどの心境は微塵もない。

「話は分かったが、随分と手間をかけた足止めをする狐だな。それに、あれでは近隣の村との行き来が、難しくなる。雨季の間だけとはいえ、不便であろう?」

「この時期は雨で行き来も困難でございますので、それほどではありませんが、先ほどお話しいたしました通り、この時期以外の交流も困難になってまいりました。嫁の来手も少なく、村は寂れる一方です」

「こうなることを望んでいるのかもしれぬな、狐は」

「……そうかもしれません。本当は、許してはいないのかもしれません」

 溜息を吐くいねの顔を覗きこみ、コトが控えめにその名を呼んだ。

「いねさま、そろそろお休みになった方が……体に障ります」

「そうだな、その方がいい。わざわざ、このようなむさ苦しい者達をもてなしてくれるのはありがたいが、それで体を壊されては寝覚めが悪い」

「はい、申し訳ありません。愚痴めいた話で気を悪くされていなければ、よいのですが……」

 また深々と頭を下げる女子供に、ロンが首を振った。

「中々面白い話だった。少し気が紛れた。礼を言う」

 部屋を辞する母親の手からすり抜け、長吉がエンの前に立った。

 黙って差し出された夜具を、エンはその顔を見返しながら受け取り、笑いかける。

「お休み」

「……お休みなさい」

 小さく、確かに返事を返し、長吉は母親の元に戻って行く。

 女子供が部屋を出て行ったその時、ゼツが背後を振り返った。

「……?」

「どうしたの?」

 まだ近くにいるであろう女子供に配慮して、小声で声をかけたロンにも、その二人に厳しい顔つきで話し掛けようとしていたエンにも聞こえた。

 いや、この村全体にも聞こえただろうその音は、何かが砕かれて崩れる音だった。

「……遅かったか」

 雨戸をあけて外を見た二人の背後で、エンが溜息を吐いた。

「何の事?」

「岩ですよ」

「岩?」

 聞き返してから思い当たった。

 先ほどの音は、岩のような大きなものを、叩き割った時に響く音に似ていた。

「あいつ、まずは、旅人を否応なく足止め、村人に儀式の始まりを告げるあの岩を壊す為に、動いていたんですよ」

「なるほど、そうすれば、儀式はもう始まらないし、旅人も足止められない」

 足止めるものは、別に岩でなくてもいいが、儀式と結びつけるものは今の所、山に実際にあるその岩しかないから、村人が儀式を始められなくなる。

 頷く二人に、エンはまた溜息を吐いて続けた。

「感心している場合ですかっ。あくまでも、岩は足止めと、儀式の始まりを告げるモノ、ですよっ。あいつは、神隠しの元まで、根絶する気です」

「そこまでするかしら?」

「するからこそ、あいつは、山の主を村に戻らせたんですよっ」

「……話が見えませんけど」

 ゼツは戸惑い気味にロンの方に顔を向けたが、向けられた方は少し考えてから唸った。

「まさか、足止め?」

「ええ。そうでないと、こんな夜遅くにわざわざあの三人について、ここに来るはずがありません」

 たまたま、いねに同行できたから、余計な疑いはかけられなかったが、そうでなくてもその狐の事だ、自分たちを動けないように持って行く策を、練ることは出来ただろう。

「でも、どうして、そこまで……」

「あなたの悪い予感、当たっているかもしれません」

 静かな声が、他の二人を凍らせた。

 大量に血が流れたという事は、それだけの傷を負ったという事だ。

「その傷が、ただの切り傷ではなく、どこかを切り落とされるほどの大怪我だったら……」

 抑えた声の言葉は、途中から誰の耳にも入らなかった。

 開け放った雨戸から外へ飛び出し、旅人達は走り出していた。

 音の根源があるはずの、あの岩が鎮座する道に向かって。


「……どういうことだ? あんたに聞いた話と、村に伝わる話、何でそこまで違ってんだ?」

 当然の問いに、雅は苦笑して答えた。

「私も驚いたんだけどね、思い出してみれば、確かに村の言い伝えの方がしっくりくるんだ」

「……?」

「だろうな」

 鏡月も苦笑して頷き、眉を寄せる蓮に答えた。

「狐は元々、女の方が化けやすいらしい。半分しか狐の血が入っていない雅の兄が、そう簡単に、男に化けられるようになれたとは、思えんからな」

「男の狐でも、女に化けちまうんですか?」

 驚いた葵の問いにも、若者は頷いた。

「男に化けられる狐は、相当の力を持っていることになる」

「私の叔父も、力がなくなった後は、女に変わっていましたからね。狐が化けるのはそう難しくないんじゃないかと思います」

「……寿の弟か? 力がなくなったのを、お前は知っているのか?」

「ええ、まあ」

 目を細めた鏡月の問いには曖昧に答え、雅は続けた。

「井戸の前に、時々うっすらと、若い娘さんが立っているのが見えてたんだ。泣きそうに顔を歪めて、何かを言おうとしているけど、私にはその何かを聞き取れない。でも、その娘さんが誰かは、この時に分かった。あれが、許婚の手にかかった、村長の娘だったんだ」

 分かりはしたが、その後確かめることは出来なかった。

 その直ぐ後に、事が、目まぐるしく動き始めたのだ。

「部屋を出たあとすぐに大きな音がしたから、何とか足止められたかな、と思ったんだけど、音が大きすぎたんだね、村中が大騒ぎになっちゃったんだ」

 村長の家でも主人が起きだし、村の男衆を集めて慌ただしく音の方へと向かい始め、騒々しさが過ぎた家の中に、武芸者たちの気配がないのに気付いた。

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