第6話
村人たちに囲まれて村の中に戻った旅人一行は、村総出で歓迎を受けた。
躊躇いはしたものの、興味本位で村に戻ってしまった、連れの内の二人は、村の男衆やその妻子たちに、丁寧な挨拶を受けている僅かな間に、後悔が深くなっているのが目に見えて窺えた。
接客される側として、失礼に当たらぬよう、表情は変わっていなかったが、その空気は他の二人にも分かったらしく、一行は当たり障りのない挨拶を交わした後、旅疲れを理由に、用意してもらった部屋で休ませてもらえるように、話を持って行った。
村長の家の簡素な室内を見回し、案内してくれた女中を見送ると、それまで笑顔と無表情を崩さなかった二人が、大きな息と共に脱力した。
「どうしたの? 珍しく、この程度で疲れてるじゃない」
「ええ、まあ」
ロンの、揶揄い交じりの問いにも短く答えたゼツに、オキは小さく笑いながら言う。
「別段、変わった所はなかったがな。人でないものが、住み着いているくらいで」
「……それだけでも、充分変わっていますよ」
「そうかしら?」
思わず鋭く返したエンに、きょとんとしたロンとオキは、一度顔を見合わせてから口々に言った。
「どんな国でも、どんな土地でも、すんなり暮らしてるもんだろう?」
「ねえ」
「まあ、この土地は、狭い割に数が多いとは思うが。驚くほどでも、用心するほどでもないな」
「はあ? そいつらの一人に、人間の血の匂いと死体の匂いが、染みついていてもですか?」
ゼツが思わず返しても、二人は平然と返した。
「村の者は、そういう怯えを見せていないわ」
「つまり、村の者を手にかけている訳ではない訳だ。それ位の分別があるなら、凶暴な奴でもないだろう」
「……」
平然とした言い分に、若年者のゼツとエンが顔を見合わせた。
気を取り直して、エンが話の分かる大男に問いかける。
「村の中に、二人はいる気がしたんだが……」
「ええ、そうね。うまく化けてる」
「本当だな」
話に乗った二人が頷いたが、問いかけられた男は首を振った。
「三人います」
「え、本当?」
「まだいたか?」
驚く連れ三人に頷き、ゼツは話に加わっていない若者を見た。
ようやくくつろげる場で足を延ばしていたセイは、その意を受けて付け加えた。
「男二人、女一人」
「当たりです」
「それから……この家、別な種の何かがいる」
「別な種?」
ゼツの返しには、ロンが微笑んだ。
「そうね。それなら本当に害のないものよ。鬼や幽霊より、悪意のない存在の、女の人。随分古い人だわ」
「千年位に見えた」
「そう。そこまで長く居続けてるの。よほどの強い心残りがあるのね」
「妖しの類ならともかく、長いな」
「そうなんですか」
「もう、何にも知らないのね。まあ、あなたもエンちゃんも、まだまだ赤ん坊みたいなものだものね」
人を食ったような笑顔でやんわりと言い、ロンは夕食を振る舞ってくれた村長と、その周囲の村人たちを思い浮かべた。
長年の勘で、一人の妖しと一人の鬼を見つけた男は、その妖しを思い出して笑みを濃くした。
「例えば、ここに巣くっている妖しは、本当に狐みたいね。でも、年は重ねていても力は弱い」
「ああ。正しく言えば、弱くなった、と言う所か」
「弱くなった?」
妖しの類であるオキの言い分に、嗅覚の鋭さで村の妖しの存在に気づいたゼツが、首を傾げた。
「元々は、それなりに強かったんでしょうね。オスの狐で、二千年は超えて生きてるくらいだから。でも、それだけ生きたのなら、そう簡単にあそこまで、力が弱まるはずもないのよね。あたしたちと同じくらいの年齢で、まだ若いんだから」
「え。あなたたちでも、まだ若いんですかっ?」
「失礼ねえ。あたしたち、まだまだ活きがいいのよ」
「……それは、知っていますが」
二千年生きて、まだ活きのいい若者。
ようやく百年超えたエンとゼツには、気の遠くなる話だ。
話に付いて行けるか、怪しくなってきた二人に、ロンは続けた。
「若いのに、力が弱くなった原因としては、そうねえ……病弱には見えないから、誰かに力を奪われたのかもしれないわね」
「力を奪われた? そんなに簡単に、奪えるものなんですか?」
「まさか。同種で対決の末に敗北したか……もしくは、色恋のお話で、一方的に同種の女に言い寄った挙句のしっぺ返しで、精気を抜き取られたか。どちらにしても、あまり思い出したくない事情でしょうね」
「狐は、二人いましたよ。男と女の二人です」
楽しそうに言う男に、ゼツが躊躇いがちに口を挟んだ。
「え、本当? じゃあ、あれは山の狐じゃあないのかしら?」
「そこまでは分かりませんけど……」
「女の方が、強そうだった」
眠そうに天井を仰いでいたセイが、助け舟を出した。
「男の方は、ただいるだけにしては怪しいし、鬼の方は私たちを見る目も、相当怪しかった。用心は、やり過ぎても無駄にはならない」
「セイ。一つ聞かせてくれ。その鬼と、怪しいと言う男の狐は・・・」
エンが真剣に切り出して、先ほど紹介された村人の名の内二人を並べると、若者は男を見返して首を振った。
「その二人は、狐だ。鬼は、別にいる」
「嘘。あれが、女の狐?」
「へえ。中々じゃないか。オレらが分からんとは」
「そうね。狐と聞いたら、目を光らせるオキちゃんの目をも、誤魔化すなんて」
「鬼は、こいつであっているな?」
揶揄いの言葉を無視したオキの上げた名に、ゼツが頷いた。
「そうなのか……どういうことだろうな……」
「どういうことなのかは、こちらの台詞よ。一体どうして、その二人が怪しいと思ったの?」
エンの呟きにロンが問いかけるが、問われた方は口ごもった。
珍しいその仕草で、何かを察した男が呆れた声を出す。
「いやだ。そういう事? そういう事情で、二人が怪しいと思ったの?」
意味不明な言葉だが、連れたちには通じた。
「その二人に、死相でも出てたのか? ただの寿命かも知れんのに」
「それなら、害のある妖しかも知れないんで、気にしないんですけどね」
エンはため息を吐いた。
その顔を見守っていたセイは、静かに問いかける。
「……その二人以外の全員が、か? もしかして?」
岩の前に迎えに来た中に、あの狐二人はいなかった。
あの時から、様子がおかしかったエンが、この村に戻って、更にやつれて来ている。
男が黙ったまま頷くのを見て、他の連れたちも嫌な顔になった。
「流行病でもかかるのかしら? 鬼すらも、道連れにするような?」
「分かりません」
死相と言うものは、それが近いから見えると言うだけで、どれだけ近いかが正しく分かるわけではない。
ひと月後の時もあれば、翌日の時もある。
今この時に、あの中の誰かが、息を引き取っているかもしれない。
そんな曖昧な死期の予想だが、一つだけ言えることがある。
「……興味本位で、戻って来てしまって何ですが、この村に長く留まるべきではないと思います」
きっぱりと、エンが言い切り、ゼツも頷いた。
「明日は予定通り、先へ行きましょう。何もこんな村で人とかかわりあって、嫌な思いをしなくてもいいでしょう」
そう、目的は全く別なものなのに、こんな所で嫌な思いをするのは馬鹿げている。
滅多に味わえない物に、釣られてしまった男二人も、それは同じ考えだった。
「そうね。明日の朝には、お暇しましょう。どういう儀式をするのか、とても気になるけど、それは来年でもいいんだし」
「……どこまで、歩く気でいるんだ?」
「さあ、目的の子が、どこに隠れているのか、それ次第ね」
あまり長居したい国ではないが、その人物を探す理由が自分にある為に、それ以上何も言えず、セイは立ち上がって部屋を出た。
案内してくれた女性の話で聞いていた厠へ向かい、用を足して手水の前に立つ。
風に、湿ったものが混じっているのに気付き空を見上げると、完全に日の落ちた空を雲が覆い始め、見えていた一番星が隠れていた。
雨が近いと考えながら手を洗い、手拭いで両手を拭きながら部屋に戻ろうとして、ふと足を止めて振り返った。
「……」
今にも泣きそうな顔で自分を見る、半分透き通った若い娘。
何かを言いたそうにしているのに、それを声に出せないもどかしさを滲ませるその表情を、暫く見つめてから、セイは黙ったまま顔を正面に戻して部屋へと歩き出した。
一方、セイを厠に送り出した旅人達は、夜を迎える準備に取り掛かっていた。
昔から旅を続けてきた四人は、住まいを持たないなりの宿での過ごし方を身につけている。
明日の出発は決まったが、その翌朝まではまだ長い。
それぞれ寛いでいた四人のいる部屋に声を掛け、静かに入って来たのはこの家の主の村長だった。
「皆様、お寛ぎの所失礼いたします。実は、これより、今年初めての儀式が執り行われますので、旅の土産話にしていただければと、お誘いに上がりました」
「今から? それは、急な話だな」
「そのようなことはありません。ですが、間近に迫るまでは、他言出来ぬ決まりもありまして、不躾なお誘いとなってしまいました」
やんわりと答える男に、客たちはそれぞれと顔を見合わせ、色黒の男が問いかけた。
「そこまで秘密な儀式だと言うのに、見てしまっても構わぬのか?」
「はい。この儀式が出来るのは、狐様の意に叶うあなた方が来て下すった、お蔭にございますので」
にこやかに笑いながらの申し出に釣られて頷いた一同は、誘われるままにぞろぞろと部屋を出た。
玄関から外に出ると、勧められるままに小柄な老人の傍に立つ。
老人は、ゆっくりと旅人達にお辞儀をして傍を空け、静かに庭の方に顔を向けている。
見物の少なさに戸惑う四人に、村長が小声で言った。
「この儀式には、女子供を挟めませぬので。留吉は、もう足腰がいう事を聞かぬ上に、元々流れ者でして、ここで儀式を見送っております」
「なるほど」
女子供と流れ者という言葉に含まれるものに気づいたが、頷いたエンもその連れたちもそれに気づいた様子を見せない位には、節度を持っていた。
旅人と流れ者の違いは何だろう……などと、口に出すことなく四人は儀式を見守る。
庭の方から、静かに村の男衆が歩き出てきた。
村長の跡取りと紹介された大柄な男を先頭に、十代の若い男から五十を超えているだろう年配の男までがぞろぞろと歩き、生垣の門を静かに出て行く。
掛け声もないその儀式に、不気味さを覚える旅人の前を、大きな木箱が通り過ぎた。
前後の両端を、四人の若者が担いでいるそれは、大の男一人はすっぽりと入りそうな大きさの、西洋の棺を思わせる木箱だった。
その傍を歩く幼さを残す若い男は、一振りの斧を大事そうに抱え持っている。
「……」
その斧から漂う匂いに、岩のように大きな侍が僅かに眉を寄せたが、それに気づくほどの気遣いを見せる村の民はいない。
粛々とした空気で、門を出て行く一行を見送ってから、村長も旅人達に一礼して、その後に続いて門を出て行く。
それを見送った留吉と紹介された老人が、武芸者たちに一礼して家の中に入って行ったのを潮に、旅人達も部屋に戻るべく歩き出したが、ゼツが知らず詰めていた息を一気に吐き出した。
「どうしたの?」
「いえ」
どこで聞かれているか分からないと言葉を濁し、大男は首を振って連れたちと共に部屋に戻った。
「セイは、まだ厠か?」
部屋に戻って、そこが無人なのを見て、オキが首を傾げた。
「腹でも下したのか?」
「まさか。そこまで、体の弱い子ではないだろ」
とはいえ、体調によっては、病気になりやすいのが生き物だ。
笑いながらも、エンがもう一度部屋を出て行き、厠とその周りを歩いて戻って来た。
その顔が陰っている。
「おかしいな。どこにもいない」
「いない?」
ロンも眉を寄せ、自分より年若の男に尋ねる。
「ちゃんと探した? 井戸に落ちてるかもしれないわよ」
「まさか」
前例があるから出る心配に、エンは苦笑して答えつつ、きっぱりないとは言い切れず、再び部屋を出た。
今度は、井戸の中も覗いてから周りを探すが、やはりいない。
どこかに出かけるなら、一度、声を掛けて行くはずだ。
それとも、外に出ていた時に、一度は戻っていたのだろうか。
それなら、書置きの一つくらいは残していく。
それ位、自分が心もとなく思われているのは、セイも承知しているはずだった。
「……」
嫌な、予感がする。
だが、どう動けばいいのか見当もつかない。
姿が見えない若者の居所を察せられるほど、エンの感覚は、鋭くなかった。
溜息を吐いて部屋に戻りかけた男は、騒がしく廊下を歩いて来る、この家の小さな住人達と鉢合わせした。
「これはお武家様。こんばんは」
恐縮して頭を下げたのは、十代半ばの若者だった。
洗いざらしの古着を身につけ、白い鉢巻で袖を捲ったその子供は、村長の体の弱い妻の身の回りの世話をしていると、さっき紹介された。
ここで骨を埋めることとなった医者の息子で、親を弔いながらその死を穏やかに迎えさせてくれたこの村の者達に、せめて今まで親から得た医学の知識で役に立ちたいととどまり続ける、コトという珍しい名の若者だ。
もう一人は、村長がすえという若い女に生ませた、長吉というまだ十歳に満たない子供だった。
「こんばんは。どうしたのだ? もう寝る刻限ではないのか?」
子供好きな男は、内心の不安を微笑みに隠しながら、穏やかに尋ねると若者が返した。
「はい。ですから、寝る前にこの子を厠にと」
優しい笑顔で言い、小首を傾げる。
「お武家様も、厠をお使いですか?」
「いや」
控えめな問いに返し、エンはしばしの躊躇いの後、尋ねた。
「私の連れの一人の姿が見えないのだ。どこかで会わなかったか?」
「お連れ様ですか? いいえ。今この廊下を歩いた限りでは、あなた様以外のお武家様とは……」
「そうか。ありがとう。行き違いになったかもしれないな。私も部屋に戻る」
あくまで穏やかに会話して二人と別れたが、その背を見送った男は、戸惑っていた。
僅かな、表情の変化だった。
連れの姿が見えないと聞いた若者の顔色が、僅かに変わった。
心配して、というより別な事情で現れた感情を、抑えるような表情だった。
「……」
部屋に戻りながら、その僅かな変化の意味を考えたが、その答えを得る前に思考を遮ったものがあった。
戻るつもりの部屋の方から聞こえた、家全体を揺るがす音と、地震と間違えかねない地響きが、旅人を我に返らせたのだ。
何事かと部屋に戻ると、ロンが自分より小柄なオキを、板張りの床に押さえつけている。
呆気にとられるエンの視線の先で、その手から逃れようともがく男が喚いている。
もう一人の大男は、そのどちらにも加勢せず、雨戸を開け放っている外を凝視していた。
この国では、開くことを控えている両目を見とがめようとした時、大男の体が動いた。
無言で縁側から外に向かおうとするゼツに、ロンが鋭く声を掛けるが、男は止まらない。
加勢を求めて、名を呼ばれる前に、エンは動いた。
自分より一回りは大きい男の腕を掴み、そのまま力づくで引き倒す。
家とその周りが、大きく地響きを立てた。
家内の女衆の悲鳴と共に、家に残っていた住人達が騒ぎ出した。
村長のおかみと長吉の母親が客の様子を窺いに来て、その中の様子に目を見張る。
「い、いかがなさいましたか?」
「いや、何でもない」
笑いながらロンが答え、まだ押さえつけたままのオキの頭を、軽く叩く。
「驚いた。この辺りも、薩摩の火山の噴火で、地響きがするのだな」
「随分歩いたと思ったが、まだまだ、ほんの少しだったのだな」
エンも笑顔で頷きながら、こちらも押さえつけたまま、宥めるようにゼツの頭を撫でる。
「この者たち、図体に似合わず災害の類が苦手でな。雷でも、今のような地響きでも、この有様なのだ」
「恥ずかしいさまを、見せてしまった」
女たちが顔を見合わせるのを、二人の男は変わらぬ笑顔で見守る。
「……今の、噴火の地響きでしたか?」
「それなら、もう少し緩い揺れだと思うけど……」
「この辺りも、火山灰は届くのか?」
「は、はい」
「まあ、大変っ。畑がっ」
「い、いね様っ。夜分は危のうございますっ」
挨拶もそこそこに、女が慌ただしく廊下を走り去り、その後を若い女が追っていき、その後ろで中の様子を窺っていた留吉が、頭を下げて部屋を辞してから、エンが穏やかに呟いた。
「……何の話もなしに、自分だけ飛び出そうとするのは、ずるいぞ。あいつに何かあったら、すぐにそうしたいのは誰か位、分かってくれているんだろう?」
穏やかな言葉は、長い付き合いでなければ分からない、威圧感を含む。
抑えられたままの大男は、その体勢のまま答えた。
「す、すみません」
「落ち着いたのなら、離すわよ」
微笑みながら、ロンも言うと、オキは無言のまま渋々頷く。
解放されて身を起こした二人は、解放して腰を落ち着けた二人の前に、身を縮めて座った。
「……悲鳴が、聞こえた」
「悲鳴? セイのか?」
意外な言葉に、目を瞬くエンに首を振って、オキは答えた。
「知らない、まだ若い男の声だ」
「なら、別にいいじゃないの」
「その前に、こいつの顔が、変わったんだっ」
「……髪の匂いを辿ろうとしたんですが、オレ自身の髪の匂いが邪魔して、果たせずにいたんです。ですが、やっと、居場所が分かりました」
山にいる。
きっぱりと、ゼツは言い切った。
「あの、狐が巣食うと言われている山で、大量の血を流しました」
山の鳥居を抜けて、山中に入った村の男衆たちは、今年最初の供物を祠の前に置いた。
男四人がかりで運んだ木箱を地面に下ろし、その蓋を開けて横倒しにする。
小さく声を上げて、中にいた若者が転げ出てすぐに身を起こすのを見て、男衆は大きく飛んで下がってしまった。
「痛たた……」
殴られた反動か、両手で頭を抱えて唸っているが、意識もはっきりしている。
「……嘘だろ。生きてる」
斧を持つまだ幼い男が震える傍で、若い衆のまとめ役の男が、自分の目を疑って呟いた。
いつものように、しかし、最初の儀式を失敗せぬようにと、毎年一番力が入るこの供物の調達は、今年は武家が相手という事で、更に力を入れたつもりだった。
だからこそ、使った鈍器がひび割れて壊れたのだと思っていたのだが、相手は唸りながらも立ち上がるほどの余力がある。
「顔を見られて恨み言を言われるのは、後味が悪い。ここからでも、充分に届くだろう」
遠巻きにひそひそと話す男たちを、若者は暗がりで見分けることは出来まい。
夜目に慣れて、騒がれては厄介だ。
村長は、冷静に幼い男に命じた。
「そ、そんなっ」
「大丈夫だ。あれは、山の獣だ。そう思えば簡単だろう。ふらふらと、立っているだけだ」
無情な村長の言い分に、男は顔を引き攣らせた。
「何、少し傷つけてやればいいだけだ。狐様に、供物を約束通りに持って来た旨を知らせる、大事なことなのだ」
まとめ役の若い男が、宥めるように言い、続けた。
「お前が一人前と認められ、嫁を回してもらえる立場になるための、大事な行事だ。何、一度うまくいけば、後は楽になる」
力強く頷きながらの言葉に、若い男は意を決した。
見据える先に、立ち上がって木の幹に背を預けている若者がいる。
周囲を見回して、村人たちを認めて身構えた若者に、男は手にしていた斧を思いっきり振り投げた。
投げた本人が思ったよりも強く投げられた斧は、若者の頭すれすれで木の幹に深々と刺さった。
若者の右腕を、縫い付けたまま。
唖然とした顔のまま、崩れるように倒れたその肩から、大量の血が勢いよく吹き出、若い男は悲鳴を上げていた。
そのまま泣き出した男の傍で、村長は倒れて動かない若者を、遠目で見る。
「……生きたままの方が、血は吹き出るのだな。人も、獣も同じだな」
「そうですね。山を汚し過ぎたのが、気になりますが」
「心配ない。あの方の御機嫌さえ取っていれば、村の男には害などないからな。怒ったら謝って、次を綺麗に差し出せばいいだけだ」
「なるほど。では、次の為に、残った方々も、丁寧に接待しておかねばなりませんね」
頷いたまとめ役の若い男は、泣き止まない男の肩を叩いた。
「よくやったな。今年から、お前にも嫁が回るぞ。立派な大人の、仲間入りだ」
そして、他の村人を促し、山を出て行った。
後に残された若者を振り返る者は、一人もいなかった。
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