第4話

 カミカクシ、とはなんだろう?

 そう尋ねた、セイへの返事は、ロンとオキの大笑いが、先だった。

 歩きながら、器用に腹を抱える二人を、若者は僅かに顔を顰めて睨んでから、答えを教えてくれそうな、エンに顔を向ける。

「詳しくは分からないんだが、まあ、かどわかし、かな?」

「かどわかし……人攫い、か?」

 何で、この国には意味は同じなのに、言葉が違うものが多いのか、頭を抱えそうになりながら、覚えた当初はそう思ったものだが、それはこの国に限ったことではなく、丁寧な言い方と乱暴な言い方で、言葉が違うことはよくあるのだと、今では苦にはならなくなった。

 それでも、思わず確かめる口調になったセイに、エンは頷いて見せた。

「人間という生き物は、よっぽど信じられないのだろうな。同じ人間が、人間をかどわかして、金で取引するという話が。だから、何の前触れもなくいなくなる人間は、カミが隠したんだと思いたいんだろう」

「かどわかしに合った、という他に、突然の不幸で戻れなくなったとか、色々理由は、ある筈なんだがな」

 笑顔で言うエンも、頷いてから鼻を鳴らすオキも、人間嫌いの気があるだけに、辛口な説明だ。

 セイは、取りあえず頷いてから、もう一つ聞いた。

「カミ、と言うのは、どこから来てるんだ? こっちのカミか?」

 そこからか、と呆れる一同の傍で、若者は自分の今は黒い髪を一房掴んだ後、懐の中の懐紙を指差した。

「それとも、こっちか?」

「どっちでもないわ。神様の方よ」

「神様? この国って、仏教国じゃあ、ないのか?」

「そんなことないわ。ここにはね、大昔に降臨した、神様の子孫がいるのよ。まあ、その昔、その御子孫の側近が、仏教も広めちゃったんだけど」

「……すごいのか?」

「すごいわよ。未だに、その御子孫は、続いてるんだから」

「そう、それは、すごいことですよね。そこまで続くからには、かなり縛りもあるでしょうけど」

「まあねえ、それを誇りにしていれば、苦にはならないんじゃ、ないかしら」

 なぜか、話はその方面で盛り上がり、会話が弾みながら旅は進んでいく。

 その村に差し掛かった時、それまで普通に会話に加わっていたゼツが、突然黙り込んだ。

 目の色を悟られぬように、細めの目をさらに細めているこの大男は、昔から表情が硬いが、実はこの中で一番正直者だった。

 あまり変えられない表情からは、何も分からないが、代わりに顔色は、正直に変わっていた。

 その変化に気づきながらも、平常心で村の中に入った一同は、植えたばかりらしい苗の中で働く、農村の人々に、挨拶を返しながらも、そのまま進んでいく。

 どうも先に泊まった村より、子供の数が少なく見える。

「女性が、少ないそうですよ、この村は」

「あらま。じゃあ、増えようがないわね」

「ええ。だから、嫁取りも、周りの村からしているそうですけど、寂れていますからね。親も行かせたがらないそうです」

「ねえ、じゃあ、旅人が消えるって、女の人?」

 旅人だった女が、村の女になったのであれば、それも、消えたことになると、ロンが言ってみると、エンは苦笑して首を振った。

「それじゃあ、雨が多い時期だけ、っていう話じゃあないでしょうに」

「あら、雨が多かったら、旅人を足止めできるわよ、その間に……」

「夜這いして無理矢理、か。ありえるから、怖い話だな」

 薄く笑うオキに同意しつつも、エンが答えた。

「確かに、女性連れもいたらしいですけど。連れ合いが消えたんで、村の男に嫁いだとか……でも、消えるのは、大抵若い男、らしいですよ」

「本当に?」

「ええ。だから、この子が狙われるんじゃあ、って思って、急いで来たんです」

「若い男って、どうしてかしら?」

「さあ」

 農作業中の百姓に挨拶され、笑顔で返しながらエンは言った。

「徳の高そうなお坊さんも、この村の事を気にして、一度、雨季の最中に泊まったらしいんですが、そのお坊さんも、消えてしまったとか。その他、その手の事に自信のある、方術使いや陰陽師も泊まったらしいんですけど、お坊さんが連れてた子供まで、姿を消してしまって、周りの村では雨季になると、その村へ足を運ばなくなったとか」

「……」

 話の始めの方は、よく分からないまま聞き流し、後の方を真面目に考えつつ、並んで歩いている若者を見下ろし、ロンはそのまま顔を上げた。

「色々と、考えられることはあるけど、取りあえず、この村は抜けちゃいましょ。気になるなら、帰りにまた、立ち寄ればいいんだから」

 今は、別な大事な用が、控えている。

 同感の三人も頷き、風変わりな武芸者集団は、腰の低い村人たちに挨拶を返しながらも、その村を抜けて山々に囲まれた道に出た。

 そこで知らず緊張していたゼツが、大きく息を吐く。

「大丈夫か?」

 血の気も戻って来た大男に、エンが声をかけると、ゼツは頷いて言った。

「早く離れましょう。ここに一泊するより、野宿の方が、ましです」

 その声はまだ硬く、緊張を含んでいる。

 一同は頷き、旅路を急いだが、すぐに足止めされた。

 道の真ん中に、巨大な岩が鎮座し、完全に行く手を阻まれていたのだ。

「ここって、確か、向こうの村と、繋がってるはずの道よね?」

「ああ。昔からの道が、この岩で塞がってしまって、今は使われていないというなら、先の村で、教えてもらえたはずだ」

 この国に何度か来ている二人が首を傾げている傍で、セイが岩に近づいていく。

「こんな所で、考える間が惜しい。少し離れてくれ」

 言った若者が、岩の強度と大きさを、目で図っているのに気付き、ロンが慌てて止めた。

「待ちなさいっ。それは、ちょっと、目立ちすぎるわっ」

「心配ないよ。目立たないようにやるから」

「心掛けて、目立たなくなる獲物か、これがっ」

 喚くオキに、若者は宥めるように言う。

「自然に崩れた風を、装うから……」

「いや、それは、無理あるだろ」

「回り道できるはずよ。探してくるから、動かないで」

 口々に言ったオキとロンが、返事を待たずに動き出した。

 オキは左側の、ロンは右側の山の中に、身軽に飛び込んでいく。

「……これを何とかするのが、一番、手っ取り早いのに」

 呟くセイを、エンがやんわりと宥める。

「こんな所で、お前を目立たせたくないんだ。先は長いのに、こんな初っ端で目立ったら、後が大変だろ」

「お尋ね者にでもなったら、大変ですからね」

 ゼツも頷き、岩を見上げた。

「しかし、大した力持ちもいたものですね。どれだけの時をかけて、どこからこんなものを、ここに持って来たんでしょうか?」

「大勢で、引き摺って来たのかもしれないぞ。もしくは、コロを使って動かしたか……いや」

 エンも一度見上げて答え、地面に目を落としてその言葉を覆した。

「違うか。どちらの方法も、何らかの跡が残る。いつからこれがあるのか知らないが、かなり前にここまで運ばれたか、ゼツの言うとおり、持って来たかしかないな……」

「下の土が、乾いてない」

 つられて、視線を下に落としていたセイの言葉で、二人も気づいた。

 ごつごつした岩の下の部分に、まだ水気を含んだ土が付いている。

「この辺に、何か質の悪いモノが、住み着いているのかもしれません。それなら、あれにも得心がいきます」

「あれ?」

「先ほどの村、あり得ないほど、濃い匂いがありました。本来ならあっても、あそこまで濃く匂うはずがないものの匂いが」

 硬い声の言葉に、二人が黙ったまま再び岩を見上げた時、左右の山に入っていた二人が、殆んど同時に戻って来た。

「大丈夫だ。獣道ではあるが、岩の向こう側に出れる」

 オキが言うのに続いて、ロンも言った。

「こちらもよ。足場は悪いけど、通れないほどじゃあないわ」

 双方の言い分を聞いたセイが、黙ったまま不意に右足を上げた。

 履いていた旅用の草鞋が、その動きで宙に舞い、それを目で追う連れたちに、若者は短く告げた。

「裏なら右、表なら左」

 言う間に落ちた草鞋を、ゼツが拾いがてらに確かめに行き、その場で告げた。

「裏です」

 拾い上げた草鞋を手に、急いで戻ってくるその無表情にロンが目を細め、連れたちを促した。

「行きましょう。厄介なことになる前に」

 それに頷いて、ゼツが追いつく前に、右側の山の中に足を踏み入れようとした時、弱弱しい男の声がそれを止めた。

「お待ちくだされ、お武家様方」

 振り返る連れたちに、追いついたゼツが短く言う。

「行きましょう。構ってはいけません」

 緊張をはらんだその声に頷くが、その前に、弱弱しく呼ぶ声の主が姿を見せた。

 村からここまでの傾斜を、必死で走って来たらしい。

 五十に近い年の男を筆頭に数人の男が、何事かと思わず立ち止まってしまった武芸者たちに近づいて来た。

 お人好しとまではいかないが、弱い者には優しい方の連れが、思わず声をかけてしまう。

「どうしたのだ、そんなに慌てて。我々に、何か用か?」

 この国の、武士の言葉使いでそう問うエンに、大きな武芸者たちの前で息を整えていた男が、ようやく言った。

「皆様方は、どちらまで、行かれるのですか?」

「然したる目的があっての旅ではないが……江戸に向けて歩こうと、考えている」

 見上げた顔を、一瞬凝視してからエンは答え、僅かに顔を顰めた。

 その表情は、明らかに後悔していたが、もう遅い。

「さようですか。ですが、向こうの村に向かう道は、この通り、塞がっております」

「だから、回り道しようと、話し合っていたのだが」

 エンの代わりに、そう返したゼツの口調は、厳しい。

 その口調に心境を表した男に、エンは視線を投げつつも、口を閉ざした。

 武芸者たちが背にしている岩を、人間にしたかのような大男の冷たい声にも、村の男は怯まず、代わりに首を振った。

「この山には、回り道できる道はありません。獣ならば行き来していましょうが、人である皆様方が、通れる道では……」

「これも、修行の一つと思えば、通れるものだ。心配はいらない」

 静かにセイが返すと、村の名主らしい男は眉を寄せた。

「ですが、あちら側の山には、山犬が住み着いておりまして、下手に入ると、危のうございます」

 指した方は、オキが大丈夫と、言い切った山だ。

 思わず、オキを見るエンとゼツの視線から逃げ、男は顔を背ける。

「こちら側の山は、岩が多く、崖に面しておりますので、鹿しか通れぬ、危ない山でございます」

 呆れたエンとゼツの視線が、今度はロンに向くが、こちらは笑顔のまま二人を見返した。

「私は、どちらかというと、鹿の方が好きなので、そちらの山から回ろうと思ったのだが」

 無感情ながら、やんわりとした声が、信じられない事を言ってのけた。

 思わずセイを見下ろすと、若者は村人たちに微笑んでいる。

 どうやら、二人の危険と思う境界を予想して、草鞋を放る力を、加減して決めたらしい。

 舌打ちしかねない顔で見下ろすオキと、笑顔を苦笑に変えて見下ろすロンに構わず、セイは言った。

「心配はありがたいが、修行の一環なのだ」

「し、しかし……」

 役柄に沿って、そう通そうとする若者に、村の男は言葉を探していたが、何やら意を決して言った。

「実は、この岩は、わが村にいる、とあるお方の御意思によって動いているのです」

「ゴイシ? これは、岩の類ではないのか?」

「は?」

「石と言うのは、片手で動かせる位までの大きさと聞く。これはどう見ても両手を使うだろう?」

 思わず返した問いに、村人もきょとんとする。

 問いを投げた若者を慌てて小突き、色黒の男とその傍の男が引っ張り、下がらせる。

 ロンの背の陰で、エンがセイと顔を突き合わせ、人差し指を口元に立てる。

「余計な事は言うな。御意思というのは、石の事じゃないっ」

「囲碁に使う石の事じゃ、ないのか?」

「全く違うから、しっ、だ」

 真面目に頷いている若者を背に、今度はロンが、村人たちと対峙する。

「御意思ということは……高貴な者が、何か考えを以って、それに呼応して動いている、と?」

 問いながら、セイの考え違いにも、修正をかけた。

 本当に言葉は難しいな、としみじみとしている若者に構わず、前方の会話は続く。

 村人たちは深く頷き、代表で話していた男が答えた。

「わが村の山には、狐様が住み着いておりまして。その方が、こうしてまれに旅の方を、足止めるのでございます」

「狐が、足止める?」

 オキが、眉を寄せた。

「どういうことだ?」

 思わず食いついた男に、ロンが僅かに顔を顰める。

 そんな武芸者に構わず、村の男は答えた。

「それは美しい狐様で、若い男が村を通るとこうして足止め、宿泊していただけという、我々への御命令なのです」

「宿泊させるだけ、か? 狐にしては、欲のない話だな」

「あの方なりに、わが村の衰退が気になっているのでございましょう」

 しみじみと言う男と、その背後にいる村の衆たちを、セイは二人の背に隠れたまま見た。

「……」

 次いで連れの、今は黙っている二人を見る。

 二人共黙ってはいるが、表情は早くこの場を離れたい、と言っている。

 どうするのかと、自然と会話を任された形の二人を見ると、その二人も顔を見合わせている。

 その戸惑いを突いて、村の男はやんわりと言った。

「狐様の御意思でお泊りいただく方には、村総出でお迎えする決まりと、なっております。どうか、わたくしたちの村で、体を休めて下され。寂れた村ではありますが、精一杯のおもてなしの用意はございます」

「いや、心遣いは嬉しいが……」

 やんわりと断ろうとした男に、村人は続けた。

「丁度、狐様への貢物と、あのお方の見初めた方を迎える為の、清酒も揃ったところでございます」

「清酒?」

 前で立ちはだかっていた、二人の声が揃った。

 その声に喜色が見え、後ろの男二人が、揃って利き手の拳を握ったのに気づき、セイは慌てて後ろの二人を抑える。

 こんな所で、この連中を喧嘩させるのは、流石にまずい。

 背中を向けて、後ろの二人を牽制しながらも、肘で前の男の一人を小突く。

 いい加減に切り上げろ、と言う意の動きに、小突かれた方は一瞥しただけだったが、意図は通じた。

「それは、本当に惜しいが、此度の旅は、急いでいるのだ。帰りならば、喜んで立ち寄るのだが……」

「それでは、遅うございます。この岩は、今の時期にしか、この場にないのでございます」

「どうしてだ? 随分と、じめじめした時期を選ぶ狐殿だな」

「その辺りの事は、村でゆっくり、お話しいたしますので、どうか……」

「いや、しかし……」

 低姿勢の村人たちを前に、こういう状況に慣れているはずの、男二人が躊躇っているのは、清酒と言う餌が、目の前にちらついているせいだけではない。

 牽制されていた二人も、表情に出さないようにしているが、それに長けたエンの気持ちもセイにははっきりと分かっていた。

 若者は一度空を仰ぎ、まだ明るい空に、一番星がちらつき始めているのを見上げ、ゆっくりと村人たちの方に向き直りながら、前に進み出た。

「そこまで、言っていただけるのなら、一晩お世話になる。このような、むさ苦しい連中ばかりだが、本当に、構わないのか?」

 ゆっくりと控えめな言い分に、村の代表らしい男が、ほっとした顔で頷いた。

「もちろんでございますっ。わたくしの家で、どうか一晩と言わず、何日でも、ご滞在いただければ……」

「そうか」

 その態度に、目を細めながらもセイは頷き、連れたちを見上げた。

 それを見返す四人の目は、曖昧な色で、若者を見返している。

 あっさりと、態度を変えたセイを非難したいが、自分たちがその狐様とやらに、興味を覚えてしまった事を悟られ、それに反対する気持ちも弱い。

 性格も体格も、生まれも違う彼らだが、揃って興味のある事には貪欲で、お節介だった。

 結局、この旅も、寄り道が多くなりそうだ。

 内心、ため息を吐きながら、セイは改めて村人たちに顔を向け、深々と頭を下げた。

「それでは、今晩はお世話になる」

 それに従って、後ろの四人も、ゆっくりと頭を下げた。

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