第2話
そもそもなぜ、こんなことになったのかと考えると、正直分からないのだ。
「はあ? だって、命を狙われているんだろ?」
重い口を開いた、蓮の第一声に、雅は呆れてそう確かめる。
それに頷きながらも、蓮は唸ってしまうのだった。
「まあ、暇を出されちまったのは、仕方ねえと思うんだ。もう我慢も限界だったから、本音を全部吐き出して来ちまったし。でもなあ……考えてみると、命を狙われるほどのことじゃ、ねえと思うんだよなあ」
「その、暇を出されたきっかけは、何だったんだい?」
かなり辛抱強い雅に、蓮は半ば諦めて答えた。
「……不相応な喧嘩の成敗……と、言えばいいかね」
「?」
「一昨年、城の中で、人傷沙汰があった」
まだ若い男が、上役にあたる男を城内の廊下で斬り付け、取り押さえられた。
斬り付けた方は、遺恨ありと訴え、上役は覚えがないという、蓮からするとありきたりな、上下のわだかまりが原因のこの件の采配を、城の最高位の男が、することになったのだ。
「こっちはさほど影響ねえけど、江戸の方は、呆れるぐれえのことになってんだよな。あの人の、極端な考えのせいで」
「江戸の城の最高位って、まさか……お江戸の殿様と、喧嘩したのかっ?」
「悪い人じゃねえんだぞ。子供が農村で人減らしや、人買いの被害に合ってるのを知って、何とかしようと考えたのは、本当に良かったと思うんだ。……その後、あそこまでならなきゃな……」
今、江戸では動物を殺めることを、完全に禁じていた。
特に、犬は傷つけただけでも、下手をすれば死罪になる。
初めは、子供の命を思ってのことだったはずの御触れが、犬を傷つけた子供の命を奪う御触れに、変わってしまったのだ。
「まあ、あの人ばかりが、悪いわけじゃねえけどな。夏場に謁見した武家が、あの人の前で蚊を潰した。それ見て、思わず顔を顰めたのを深読みした側近が、その武家を極刑に処して、家を断絶させちまったんだよ」
それが、奇妙な自信を与えてしまったのだと解釈していたのは、今は亡き御老体だった。
つくづく、惜しい御仁だった。
少なくとも、この年まで健在であったなら、あんな制裁はさせなかったはずだ。
「結果だけ言うとな、斬り付けた侍は切腹で、そいつの家は断絶。上役はほぼお咎めなし」
「まあ、そんなものじゃないの?」
「とんでもねえよ。あの城内では抜刀は極刑なのは確かだが、あの人は、喧嘩の末の人傷、と決めた上で、片方にだけ極刑を下しちまったんだよ。喧嘩なら、両成敗が妥当な制裁のはずなんだ」
喧嘩が原因と断じたのなら、喧嘩を売られた方が抜刀しなかったからだ、と言う言い訳は通らない。
しかも、実際のところ本当に遺恨があったのか、そしてそれがどんなものだったのかは謎のまま、侍は腹を切り、その侍の忠臣たちは去年、不当な制裁のために、仇討ちを果たした。
「……上役だった男は、元の屋敷から、転居させられてたそうだ。城よりかなり離れた屋敷で、明らかにとばっちりを被らねえように、そうしたように見えた。なぜか、噂まで江戸中流れてたしな」
蓮は当時、江戸を離れていた。
意気投合した、御老体の死に対し、蓮なりの喪に服していたのだ。
戻って来た時流れていた噂が、忠臣の仇討ち達成だった。
城内で関係者に話を聞きこみ、唖然とした。
「そいつら確かに上下の間柄だが、ある行事に関して接触があるだけで、わだかまる何かが生まれるほどじゃねえんだ」
「え、でも、遺恨ありって、そのお侍さんは言ったんだろ?」
「だからな、些細なことだったんじゃねえか、って思うんだ。武士ってのは、結構そういう奴多いんだ。国の城で甘やかされた殿は、上下の関係で自分が下になったとき、自尊心を傷つけられちまうらしい。それをうまく切り抜けられりゃ、どうとでもなるんだが……最悪な形に、なっちまったんだな」
何にせよ、仔細の取り調べをするのが、制裁をする前に、やらなければならないことだったはずなのだ。
それを、あの殿は、なぜかすっ飛ばした。
彼に直に目通りを申し出、理由を問いただした蓮は、ブチ切れた。
お江戸の最高位のその男は、その役すら満足にこなせていない癖に、さらに上の旨味に目を奪われていて、その気分をぶち壊した二人と、その一族に八つ当たりしただけだったのだ。
「あんの小童、あそこまで大馬鹿になっちまってるとは、思わなかったぜっ。こっちは殴りたかったのを堪えて出てきたんだ。だから、命までは狙われねえぞ、本当なら」
「……」
その時の心境を思い出して、声を荒げた蓮に、雅はなぜか沈黙した。
その沈黙で我に返り、見返す若者に、娘は首を傾げて問いかける。
「あなた、もしかして、そういう暴言、そのお殿様の前で吐いたのかな?」
「ん? どの暴言だ?」
「いや、だから、その小童って……」
「ああ、これは、暴言じゃねえよ。事実だ」
きっぱりと言い切られ、雅は珍しく、そう、とだけ返した。
十四五位の若い、しかも背丈のない若者にそんな暴言を吐かれ、傷つくな、というのも怒るな、というのも無理があるように思えるが、そこは、何も言わないことにした。
夕べの宿泊は、雅が見知っていた農村の家だったが、今夜は、蓮の心当たりに泊まることになっている。
山に囲まれた道を抜け、夕べの村と変わらない風情の風景が広がり始める。
「少し歩いたところに、隠居した侍が夫婦で住んでるはずなんだ。知り合いの訃報も知らせとかねえとな……」
言葉の後ろの方は、吐息に混じった言葉だった。
その殿との喧嘩は、ただのきっかけで、どうやら、半ばやけになっての国抜けだったようだ。
「で、あんたは、何でこんな所まで、出てきてんだ?」
見込み違いかな、と考えていた雅は、急に問われて我に返った。
「え? こんな所って?」
「人里に出て来ねえでも、山で事足りるもんだろ? 狐の生活なんて」
「あのねえ、私は確かに狐だけど、真っ当な狐でも、ないんだよ」
「それ位見りゃ分かる。人との混血だろ? 珍しくねえよ。鬼と人の混血を、一人知ってるしな」
「お……に?」
思わず変な返しをしてしまい、雅は咳払いしたが、それで誤魔化されてはくれなかった。
「何だ? ああ、鬼って言ってもな、幽霊の方じゃねえぞ。大陸じゃあ、夜叉とか何とか、言われる類じゃねえかな」
「そ、そう。私、生まれも育ちも、この国の山の中だから、その辺は分からない」
「……じゃあ、こっちか?」
少し考え、蓮は真っ直ぐ雅を見上げた。
「そいつは、人は喰らわねえよ」
詰まった娘の前に、戒が立ちふさがる。
目つきの悪い目をさらに細め、蓮を睨んでいるが、若者はただ苦笑しているだけだ。
「悪い。一応、言っといたほうがいいと思ってな。黙って出て来ちまったから、もしかしたらあいつ、追いかけて来ちまうかも、知れねえし」
今まで聞いた中で、一番優しい声音のもので、親しい人物を指すと分かる言葉だ。
「別に、ここで別れてもいいけどよ、この辺は結構複雑で、宿をとるのは難しいぜ?」
人の悪い言い分と、笑いはわざとらしいが、雅はため息を吐くだけに留めた。
昨日からの、自分への切り返しが、今来ているだけだと、分かるからだ。
「……いや、どうせだから、別れ道まで、道連れになってくれ」
「そうか。分かった」
あっさり頷いて歩き始めた蓮について、二人も歩き出す。
迷うことなく歩き続け、ひときわ大きな屋敷の傍の山を見上げた時、蓮がふいに立ち止った。
「……ん?」
「どうかした?」
きょとんとした顔で、その山を見つめる蓮を、思わず可愛いと思いながら尋ねると、若者は、その表情のまま首を振った。
「いや……ここじゃなかったか?」
「何が?」
「……もっと先だったか? いや、あの注連縄にゃ、覚えあるんだけどな……」
「その山が、どうかした?」
「ああ。この辺に、生き物が住めねえって触れ込みの山があったはずだ。入ったら高熱出してあの世行きになるとかなんとか……」
見るとその山から、暗くなってそろそろうちに帰ろうとする子供たちが、わらわらと飛び出してきた。
注連縄の前まで来て、子供たちは手を合わせる。
「今日も、一日ありがとうございましたっ。明日も、遊ばせてくださいっ」
可愛らしく、声を揃えてそう言い、それぞれの家に戻っていく。
何かの言い伝えはありそうだが、変な謂れは感じられない。
「違うのか。ま、どうでもいいけどな」
あっさり興味を屋敷へと移した蓮は、屋敷の門をくぐって行った。
慌てて後を追った二人と、若者を迎えたのは、仙人のような白いひげを蓄えた、老人だった。
そもそもこの国に再び、しかもいつもより早い間隔で来る羽目になった発端が、カスミだったというのが、セイにはまず不服だった。
カスミとは、儚いその名とは真逆の男で、エンの実の父にあたる人物だ。
セイは、この男に、ある集団を押し付けられた。
一時は足を洗い、全く違う生活をしていたのだが、連れ戻されてしまって、今に至っている。
だから、その話をロンから聞いた時、話の内容より気になったのは、カスミの所在だった。
ある夜の夕食後、話があると切り出し、
「カスミちゃんから、いい知らせがあったわ」
にこにことそう言われた時、身を乗り出したセイの第一声は、
「どこにいるんだ、あいつはっ」
だったが、それに返す方も、こちらの思惑は承知している。
「言うわけないでしょ。あなたに教えたら、絶対あの子半殺しにしてここに連れてきて、姿を消しちゃうじゃないの」
「あいつが、半殺しぐらいで動けなくなるはずないだろっ。首と胴体切り離して連れてくるよ」
「やめて頂戴。お掃除が大変だから。蓮ちゃんが前にそれやった時、お掃除したの、あたしなんだからっ」
双方大真面目な会話だが話は逸れ、エンがすかさず話を戻した。
「親父さんが、何か言ってきたんですか? と言うより、あなた、あの人とやり取りがあったんですか?」
「ええ。ちょっと人探しお願いしたくて、やり取りを始めたんだけど……やっといいお返事が来たわ」
「人探し?」
一体誰を、何の為に探しているのかと、首を傾げる二人に、ロンはにこにこしたまま、続けた。
「セーちゃんのその厄介な体、治せるかも知れない子に、心当たりがあるの」
足を洗い、まっとうに近い生き方をしていたセイが、大いに心配されて連れ戻されるに至ったのには、理由があった。
その一つが、時を止めてしまったのにも拘らず、何故か血を流すような怪我が、自力で治せないのが分かったことだった。
どんな生き物でも多少の差はあれど、ある程度の怪我は自力で塞ぎ治してしまうのに、セイにはそれが出来ない。
心配した大人たちに、若者はあっさりと言ったものだった。
「治らないわけじゃないよ、眠ったらすぐに塞がる」
確かに、ひと眠りしたらけろりとして起きて来るのだが、眠り始めてから起きるまでの間が、ひたすら長い。
待っている仲間たちからすると、一年待った気がしていたが、日を数えてみると大体十日ほどで、長いのには変わりない。
だから、そんな利にかなった力を持つ者がいるのは有難い事で、名指しされた本人より、傍で聞いていたエンが食いついた。
「……本当ですかっ?」
「ええ。心当たりはあったけど、今まで生きているかもわからない子だったのよ。何せ、何百年も会ってないし、探そうと思っても勘があたしとは違う意味で鋭い子で、近づいたら逃げかねない子なの。だから、できるだけ慎重にカスミちゃんに探してもらってたのよ」
ゆったりと、いつものように言う男に、更に身を乗り出したエンが問う。
「いい知らせってことは……」
「ええ。見つけたそうよ」
「どこにいるんですかっ、その人はっ」
尋ねる男は、今すぐ行きかねない勢いだ。
ロンは、それとは逆に、無感情のままのセイを見返して、答えた。
「日本よ」
「分かりました。直ぐ行きましょう」
目を見張ったセイの心境は無視で、エンが頷いた。
それに頷いて返した男は、しみじみと言う。
「あの子、自分の故郷に帰ってたのね。綺麗なところだから離れがたいのは分かるけど」
「……ちょっと、待てよ」
我に返ったセイが、やっと口を挟んだ。
「日本って……あそこだろ? この前、行ったばかりの?」
「ええ。そうね」
何でもないように答えるロンに、若者は勢いよく言った。
「早すぎるだろっ。この間起こした騒動も、覚えてる人いるかもしれない」
「大丈夫よ。今度は、長崎じゃなく、薩摩から入るから」
「いや、それは……」
もっと悪い、と言いかけて、ぐっと口を閉じた。
それをじっと見つめ、ロンは人を食ったような笑顔を浮かべた。
「知ってるわよ。あそこで、崇拝者を何人か作っちゃったんですってね。さすがよねえ。あれから五十年くらいだから、その時の人も、まだ健在かも知れないわねえ」
「……」
前の渡来で宿としたのは、長崎と呼ばれる地で、出島と呼ばれる人工の島の中だった。
そこから船で薩摩に渡り、実質一人である件を収めた。
それを感謝されたのは嬉しいのだが、島に戻るその日まで手を合わせに来る人が、尽きてくれなかった恐ろしい過去があった。
長崎の方が、まだましだ。
そう言いかけたセイに、ロンは、笑顔を崩さず言い切った。
「もう、決まったことなの。変更はしないわ」
「いや、待ってくれ」
「ん? まだ何か、言うことあるの?」
やんわりと問いかける男は、もっと別な場があるだろうと思うくらい場違いなところで、怖い迫力を見せる。
「……ないよ、何も」
若輩者のセイは、完全に折れるしかなかったのだったが……。
渡来した日から今日まで、もう少し粘ればよかったと、悔いなかった日はなかった。
五十年も経ってしまっているから、当時顔を合わせた村の人は、あまり残っていなかったが、その代わり話が残っていた。
しかも、大袈裟に言い伝えられていた。
もうかなり年が行ってしまった、当時の村人たちも、本人を前に、平気で大袈裟な話を子供たちに話す。
顔から火が出るを通り越して、何度その場から逃げだしたか、数えきれないほどだった。
だから、天候は心配だったが、出発が決まった時、反対しつつもセイは内心ほっとした。
待ち合わせ場所で会った山賊なんか、怪我させたって構わない相手な分、可愛いものだったのだった。
「……いや、すまなかった。そこまで、お前があそこで居心地悪かったとは、思ってなかったんだ」
妙に力を込めて言い切ったセイに、エンは咳払いで笑いをごまかしながら、何とかそう謝ったが、弟分の若者は、その言い分を信じない。
「あの話を聞きながら、腹抱えて笑ってたくせに、白々しいな」
本気で睨んでくるところを見ると、本当に、追い詰められていたのだ。
可哀そうに……と思いつつも、笑いが込み上げるのは、どうしても止められない。
「それにしても、その人たち、昼間っから、人攫いしようとしてたのね」
「さらうのは、夜のつもりだったらしい。人通りから外れたところに、誘われただけだったし」
その場から動かそうと、こちらに話しかけてきた彼らが、この先は危ないと持ち出した話が、カミカクシ村という、聞きなれぬ言葉だったのだ。
「雨の多い時期になると、旅人が消える村、なんだそうです」
ゼツが、先ほど村人から聞いた話を始めた。
丁度この時期になると、この先の村に旅人を通さないように、この村の人たちは彼らに回り道を進める。
「ん? じゃあ、何でオレたちには、回り道教えてくれないんだ?」
「今はまだ、雨季じゃないからだそうです。というか、微妙な時期で、回り道は遠くなるし、どうしようかと思っていたそうで……」
「一応、回り道も教わって来ましたよ。でも……あの人たちの本音は、ありありと分かりました」
ちらりと二人が顔を向ける先で、見られた若者は、竹の水筒についている栓を開けてみている。
「そんなこと、村ごとにしてたら、きりがないわよ。まだ時期が来てないのなら、このまま進んでも構わないんでしょ? なら、進んじゃいましょう」
何かが起こっていても無視、そんな言い分がありありと滲む、ロンの言い分に、オキがまず頷いた。
「回り道なんて、こんなところからしなくとも、別なところでいくらでもあるさ」
「そうですね。そこに泊まらないようにすれば、いいわけですし」
エンも頷き、ゼツにも異存はないようだ。
最後にセイを見ると、竹筒の栓を閉め、顔を上げたところだった。
「決まったのか? なら、早く行こう」
この旅では、意見を通す気のないセイは、そう声をかけ、歩き出した。
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