語り継がれるお話 1

赤川ココ

第1話

 どの時代にも、季節は巡る。

 そんなことを今更ながら考え、れんは周りを見渡した。

 季節は春を過ぎて、そろそろ夏を迎える。

 その前にこの国ではひと月ほど、雨の多い時期があった。

「ま、そんな時期に、わざわざこんなところまで、ご苦労さんだったな、あんたらも」

 德川の世が始まって五代目で早くもその基盤が崩れ始め、長くその陰で支えていた蓮はどうにも見ていられなくなり 江戸を出たのだが、そのときはまだ桜が咲いていた。

 国の南にあたる島の、ほぼ中間あたりで蓮は彼らに追いつかれた。

 そして、今この状態になったわけだ。

「そう悔しがるもんでもねえぜ。今まで追いついた中じゃあ、腕は一番よかった」

 話しかける先は、足元の男たちだった。

 こちらとしては、相手が言い捨てたので、これ幸いと江戸を後にしたのだが、その相手が何を口走ったうえで彼らを送り出したのか、追いついてきた男たちはいずれも殺気立っていた。

 かなりな手練れ揃いなのだが、所詮はこの時代の、というやつだ。

 数々の戦を生き延び、德川の世ではその陰で貢献していた蓮からすると、赤子の首をひねるくらい返り討ちが楽だった。

 だから、かなり手加減しつつ、命はとらずに済ませようとしてきたのだが……。

「だから、腹切るのはやめてくれねえかな……。その度に介錯してやるオレの身にもなってくれよ」

 無念そうに地面に這いつくばっていた侍たちは、うんざりした声の敵を見上げた。

 南蛮の国には、それこそ岩のような男がごまんといると聞く。

 ここにいる侍たちはそこまで大きくないが、この国では大男の部類で、豪傑と称される男や剣の達人と謳われる男もいた。

 見上げる標的は、どう見積もっても、十代前半のかろうじて元服をすませた若者に見えた。

 しかも、この国でも男としては小柄の部類の、一見小娘に見える童顔の浪人だ。

 だから主君の命令とはいえ、腰まである黒髪を束ねただけの後ろ姿に追いつき行く手を阻んだ時、多勢での攻撃に躊躇いを覚えたのだが、それは初めだけだった。

 一人が名乗り刀を抜いた時、若者はため息をついた。

「……また、一人ずつ来る気かよ。面倒くせえな」

「ふざけるなっっ」

 刀を抜いた男が激高し、斬りかかったが、若者は刀も抜かず軽く身をそらした。

 体勢が揺らいだ男の背後を取り、鞘に入れたままの刀を首に突きつける。

「苗字なんて、名乗ったことねえから、礼儀に乗っ取れねえんだが、一応名乗ろう。蓮、だ。あんたらの相手に、違いねえか?」

 堂々とした名乗りと、その隙のない様子に、腕に覚えのある男たちが一斉に刀を抜いた。

 背後を取られた男も、素早く身を引き、体勢を整える。

 かなりできると判断した彼らは、賢明にも一斉に斬りかかった。

 この際、武士としての沽券より、主君の命令を取ったのだが、結果は全員が、地面に這いつくばることになってしまったのだった。

 五人の剣豪を相手に、鞘も抜かずに勝利してしまった若者は腰に刀を戻し、無念そうに体を震わせている彼らに、先回りして釘を刺したのだが、そんなこと聞き入れるわけはない。

 無言で、小刀を抜いたのは、全員だ。

 攻撃ではなく、それぞれの動きで、飛びかかられたわけではない蓮は、止められなかった。

「だから、侍なんか、相手したくねえんだよ……」

 そうこられたら、もう成り行きに任せるしかなかったのだが、今日は違った。

 一斉に襟を開き、腹に刃を当てた男たちが、唐突に動きを止めて、そのまま前のめりになって倒れたのだ。

「……っ」

 さすがにぎょっとした蓮が、男の一人に駆け寄って様子を窺うと、安らかに寝息を立てている。

 他の者も同じで、鼾をかき始めた者もいる。

「……?」

 この状況で、これはないだろうと呆然とした蓮に、声をかけてきた者がいる。

「すごいね。この人数を、一人で倒しちゃうなんて」

 優しい声の言葉に、蓮があえてゆっくり振り向いてみると、二人の人影が立っていた。

 山道から外れて動いていた蓮は、途中からこの二人の存在に気づいていたが、まさか声をかけられるとは思っていなかった。

 侍より農家の民が多いこの土地で、厄介な場面に自ら係わろうとする者は、相当な変わり者として村から疎外されていると見てもいい。

 この国に限らない性質なのだろうが、蓮はその事なかれな風習のくせに、人の秘密にづかづかと入り込んで、それを元に、貶める事を躊躇わない彼らがどうも好きになれない。

 それでも、一連のことを見られたにも拘らず放っておいたのは、口封じするのも無駄だと分かっているからだ。

 見られても気づかぬ振りをしていれば、少なくとも見た者を不安に陥れることはない。

 だが、あっさりと声をかけられ、蓮は内心戸惑っていた。

 それを悟られぬように、あえてゆっくりと行動したのだが、そこに立つ二人を見て、思わず目を丸くしてしまった。

 木々の中で、薄暗くなった山の中に立つ二人は、一見、近所の農家の娘と小僧だった。

 籠を背負って立つ十七八の娘は、今足元にいる侍たちが見れば、一目で籠絡されそうな美しい娘だったが、小柄な蓮はまずその背丈に驚いた。

 竹のようにすらりと立つ、この国では大女の類だ。

 そのそばに立つ小僧は、逆にこの国でも小柄の蓮よりまだ小さく若い、十歳位の子供だ。

「こんな所まで行商して来て、思わぬものが見れたよ」

 優しい笑顔で娘はそう続け、警戒の色なく近づいて来る。

「オレも、思わぬもんが見れたな」

 ゆっくりと、目の前に立った娘を見返し、蓮も返す。

「ここまで色の欠けた、狐の妖怪なんざ、聞いたことねえぞ」

「そう? それは、世の中がさらに広がって、良かったねえ」

「今更広げたって、どうしようもねえけどな」

「そんなことないよ。人は、知ることで成長する。それは、あなたみたいに、時を失くした者にも言えることだろ?」

 さらりとそんなことを言われ、思わず睨んだ蓮を見て、娘は苦笑した。

「ごめんなさい。気にしてたんだね」

「……面と向かって謝られるのも、いい気はしねえんだけどな」

 そう返す声に力が入らないのは、この娘には、何を言っても堪えない気がしたせいだ。

 ため息を吐いている蓮に、娘は気楽に声をかける。

「この人たち、このままにしとく? 気が付いてあなたがいないんじゃあ、また、腹を切っちゃうかもしれないけど……」

「あ? ああ、ほっとけよ。目が届くところでやられちゃ、後味悪いってだけの話で、見えねえとこでやられる分にゃ、一向に構わねえし」

「そう。じゃあ、放っておこう。もう暑いし、凍え死ぬこともないしね」

 山中だからそれも心配だが、そこまで面倒を見る謂れはない。

 足元の侍たちが、目覚めないのを確かめてから、蓮は改めて娘を見た。

「あんた、こいつらに、何をやった?」

 傍に立つ小僧が、ぎくりと肩を強張らせたが、ずばり聞かれた方は、優しく笑って答えた。

「別に、何もしてないよ。ただ、ちょっと、眠ってもらっただけ」

「それを、何かした、って言わねえか?」

「そう?」

 手ごたえがない受け答えに、問い詰める方が疲れてくる。

 黙り込んだ若者に、今度は娘が、首をかしげる。

「お侍さんに命を狙われるなんて、あなたは、一体何者?」

 真っ直ぐな問いは、的をしっかりと射た。

「……」

 ぐっと詰まる蓮を、娘も黙って見つめる。

 いつまでも答えを待ちそうな空気に、若者の方が音を上げた。

「そんなこと、あんたが知ってどうなるんだ? 知っても何にもならねえぞ」

「確かにならないとは思うけど……一応、聞いとこうと思って」

「? 何でだ?」

 意味ありげな答えに、蓮は思わず尋ねてしまった。

 すぐに悔いたその心境を察したのか、娘は笑みを濃くしながら、答えた。

「だって、もう日が暮れるよ。この村で宿をとるんだろ? 同行する相手のことを、少しは知っておきたいというのは、人情ってものでしょう?」

「ああっ? 何であんたらと……」

「泊まれる所、知ってるよ。そこならきっと、こんな追っ手に気遣うことなく、一泊できる」

 にこにことそう告げ、娘は続けた。

「名乗ってなかったね。私は、みやび。この子は、かい。あなたは、蓮だったね。よろしく」

 優しく笑いながらも、有無を言わせぬ何かがある娘雅に、世慣れしているはずの蓮は完全に押され、いつの間にか、旅の道連れにされてしまっていたのだった。


 火の国、日本、倭国……この国の、異国での呼び名は、多々ある。

 が、大陸の方の、今は清と呼ばれる国のように、一番上に立つ者が変わってそうなっているわけではないのだそうだ。

 一番上で崇められている人たちは、何百年も前からそうされ続けている人たちで、代々その血筋は、大切に育まれているのだという。

 一番上に立つその家系とは別に、政を行う人間がこの国にはいるのだと、セイは昔初めてこの国に足を踏み入れた時、言葉や風習を教えてくれた男に聞いていた。

 この年の春、まだ肌寒い時期に、セイはこの国に足を踏み入れた。

 前に来たときは、出島からの真面目な渡来だったが、まだ彼らを覚えている者が多い可能性のあるそこを避け、薩摩の港からの国入りとなった。

 前にも世話になった家の者に、今度も世話になってひと月、そろそろと腰を上げたこの時期は、雨が多くなる時期でもあるそうだ。

「いいじゃない。その方が、先方にこちらの行動を、読まれにくくなるもの」

 という戦略を立てた連れの一人の言い分に、反対の言葉は届かなかったのだった。

 見上げる空は青く、今のところは雲一つ見当たらない。

 セイは、村外れの旅路の入り口で、道行く人々の邪魔にならぬよう、道沿いの脇に立ち尽くして、連れたちが来るのを待っていた。

 日はまだ高いが、村で挨拶回りと称して、家を回っている連れたちが、別れた家の雰囲気からしてこの場所に来る頃には、日が傾いているかもしれない。

 下戸のセイは一度も呼ばれないが、このひと月、彼らは酒飲みの村人たちに、引っ張りだこだったのだ。

 この国での用が済むのが、いつになるか分からない彼らとの別れを惜しんで、さらに酒を振る舞っているとみられる。

 ぼんやりと木々の陰に立ち尽くし、荷車の音や行商の足音とともに、彼らの話し声にも耳を傾けながら、頭ではこの国の呼び名について考えていた。

 確か、もう一つくらい、何かあったと思ったのだが、思い浮かばない。

 何でも、どこかの国の行商人が、日本という名を聞き間違えてその名を本に乗せ、それが呼び名の一つになったとか何とか、聞いた気がするのだが、その呼び方が思い出せない。

 年かな。

 空を仰ぎ考えるセイは、時々通りがかる人々に、ちらちらと見られていることに気づいていない。

 木々の陰に身を寄せているとはいえ、ひょろりとした容姿に白い肌、あまり着古していない武芸者の旅装束は、彼の若く恐ろしく完璧に整った顔立ちや外見と相まって、かなり目立つ。

 それを心配したのだろう。

 予想より早く連れが姿を見せたのは、セイがしみじみと、年齢を考え始めていた時だった。

 珍しく早いうえに、珍しい二人が先に来た。

 同じような旅装束の男二人のうち、背の低い方がきょろきょろと頭を巡らし、すぐに木の陰にいるセイを見つけて走り寄った。

「お前、そんなところに隠れてたのかっ」

「通行の邪魔は、したくなかったんだよ。あんたらが、先に来るとは思わなかった。どうしたんだ?」

 土の盛り上がった木の陰から、軽く飛び降りて近づいたセイに、二人は一度顔を見合わせて、周囲を見回した。

「あら、あの二人より早かったの、あたしたち?」

 長身で大柄な男が、きょとんとして呟いた。

 今は、口調だけがやんわりとしているというだけだから、さほど違和感はない。

 いや、本当ならかなり違和感があるはずなのに、それを感じないのは、この男ロンはいつも、こういう言葉の言い回しを使っているせいだ。

 初対面で言葉を交わす者は、未だにその美男子ともいえるその顔立ちと大柄な体格より、その言葉使いに驚くが、幼い頃からこの男のそばにいる羽目になっていたセイは、さほど不気味とも思わない。

 いつもそう気にならない訳でもないけどな……改めてそう考えつつも、セイは二人の会話に、黙ったまま耳を傾ける。

「まあ、あいつらのことだ、どっかで土臭い女に捕まって、おろおろしてるんじゃないか?」

 ロンよりは小柄で背丈もないが、長身の方の男オキが、一番ありそうな予想を吐くと、ロンも面白そうに頷いた。

「かもしれないわね。もしかしたら、ここには来れないかもしれないわ。そうなったら、あの子たちも、とうとう所帯持ちになるのねえ」

 どこまでも話を進める二人に、口出しなどしないセイは、話を聞き流しながら、残りの待ち人が来る方向を見ている。

 と、噂の主が二人揃ってやって来るのが見えた。

 しかも、珍しいことに、血相を変えて走って来る。

 連れたちの中で、一二を争う速足の二人が、どこからそうなのか、全力で走ってきたらしく、待ち合わせのこの場所についた時は、しばらく声も出ないほどに、息を切らしていた。

「ど、どうしたの、二人とも、そんなに遅れてないのに」

「さては、本当に、女に捕まりかけたか?」

 先に来た二人の問いに答えたのは、先に自分を取り戻した、オキ位の体格の男の方だった。

「いえ、ちょっと初心に戻って、ここまで走ってみよう、ってことになって……」

 この国にもしっくりと馴染む、優しい顔立ちのエンの言い分は、どう考えても変だった。

「その言い繕い、おかしいの分かってて、言ってるわよね?」

「え? どの辺が、おかしいですか?」

 問われたエンより、ここにいる誰よりも大柄で、岩のような大男のゼツの反応の方が正直で、まだ切らしていた息を、一瞬止めてしまったが、エンはあくまでも、とぼける気でいる。

「さあ、珍しくあなたたちも早かったんだから、早く出発しましょう。先は長いんでしょう?」

「まあ、長いのは長いけど……」

「この辺は、山賊も出るらしいんです。こんなところで、この子を長く待たせては……どうした?」

 言いつくろっていて、それどころではないはずのエンが、その傍で一瞬ぎくりとした、セイの動きに気づき、問いかけた。

「何でもないよ」

「いや、お前、今……」

「あ、それ、水筒だろ? 水袋と違って、頑丈そうだな」

 わざとらしく無邪気にそう言い、セイはエンが持っていた竹の筒を一つ受け取り、しみじみと見る。

「……セー、お前、まさか……」

 オキが、先ほどの木陰に視線を移しながら呟くのを遮り、セイは言い切った。

「早く行こう。日が暮れる前に、そのカミカクシ村とやらは抜けないとな」

 これは予想外だったらしく、ゼツだけでなく、エンまでが動揺した。

「お前、知ってるのか」

 顔色を変えた大男の傍で、エンが意外そうに問うのに頷き、一番小柄なセイが、全員に呼び掛けた。

「話すのは、歩きながらできるだろ。揃ったんだから、出発しよう」

 あくまでも、その場から彼らを離そうとする言い分に、男たちは渋々従い歩き出した。

 目的の人物を探しながらの、旅の始まりは、こんな感じだった。

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