第4話


 由依?


 僕は彼女に今は亡き君を幻視した。


「!?」


 それもたった刹那。僕の頭が人知れず熱望したことで見せた幻覚。君が、由依がこんな所にいるはずない。今もなお、ここで眠っているんだから。

 僕は息を整えて、言葉を吐き出す。


「...夢乃さん」


 由依のお姉さんだ。


「うん、久しぶり...」


 彼女は懐かしそうに微笑む。お墓に供えられた花とお菓子を一瞥するとまた僕に笑いかける。優しさあふれる笑みを。彼女だって辛いはずなのに。


「やっぱり虎太郎くんだったんだね、毎年由依のお墓参りしてくれてたの。本当ありがとうね。」


 僕は何も言わず、笑みだけを返した。そしてそのまま僕は帰路へ着く。これからは彼女と由依の時間だ。邪魔者は早々に消えたほうがいい。


「ねえ」


 去ろうとする僕の服をつかんで呼び止める夢乃さん。言い出しづらそうに彼女は言った。


「うち...寄ってかない?」





 僕は親からの愛情を感じたことは無かった。その事に関しての後悔はない。ただ君の愛がめいっぱいに詰め込まれたような、そんな家に生まれれば僕もなにか違ったかもしれない。少なくともこんな僕はいないだろう。


 僕は家族が大嫌いだ。

 いつも僕を負の方向へ導く。

 自分を正義と信じてやまない、考える力もない、知恵もない父。

 怒声でしか会話できない母。

 この両親にろくな教育を受けたことがない。あるのは教訓。


 そのせいで...。やめよう、もう終わったことだ。


 この家族は人のせいにしなければ気が済まない血筋だった。なにか不都合があるといつも自分は悪くないと。


 僕もその嫌いがある、それがまた嫌いにさせた。だから僕はそうならないように縁を絶ち、必要外のお金を置いてって自ら離れた。君がいなくなった世界で僕の安寧はいつも一人であるときだったから。そのおかげか今も僕のこころはいつも穏やかに落ち着いている。


 君に出会うまで暖かい家族なんてないと思ってた。

 君とその温かい家族を見て、これが家族のあるべき形態ではないかと思ったほど。



 君のお姉さんも君に似て優しかった。僕も君がいた頃、何度お世話になったことか。

 僕がしたように、夢乃さんも目を瞑り由依に向かって手を合わせている。


 終わったのか、僕に向き直る。


「行こっか。」

「...車あります、夢乃さんは?」


 そっと首を横に振る。どうやら歩いてきたらしい。車で行くほど遠い道でもないので当然と言えば当然だ。


「じゃあ、一緒に行きますか。」

「うん、お言葉に甘えようかな。」


 駐車場まで歩いて行って、僕たちは車に乗り込む。夢乃さんは隣、助手席に乗り込んだ。

 そんな僕とお姉さんの間に流れる空気はいたって静寂。ちらりと横顔を見やると、やはり由依の面影がちらついた。姉妹だから似ているのはわかるが、僕がそう見えてしまうのはやはり未練深いからなのか。


 君の家に行く時は何度も歩いた道。今でも鮮明に思い出せる。一緒に歩いた帰り道、同じ思いを重ねた場所。絶対に忘れたくない思い出だ。


 車だと何分もかからない距離。着くのはあっという間。


「さあ、上がって」


 玄関に上がると、ずっと前、由依と来た時を思い出す。多少小物やインテリアが置き換ってたりなどはしているものの、根本的には昔と変わらない。懐かしい風景、そして匂い。

 それは、まだ本当は由依は生きていて、このまま待っていれば帰ってくるんじゃないか、と錯覚するほどに。


 リビングに案内されてソファに腰掛ける。

 正面にあるテレビを乗せた台には君と君の家族揃った記念写真。全員が笑顔で溢れている。幸せいっぱいの光景。幸せだったあの時。これを見るとやっぱり由依は帰ってくることはないということを強く感じさせた。


 感慨深くその写真を眺めていると、夢乃さんが飲み物を持ってきてくれた。


「レモンティーでいい?」

「はい、大好きです」


「そう、良かった...」


 夢乃さんが嬉しそうに笑う。2人分のカップをテーブルに置いて、夢乃さんも隣に腰掛けた。カップにはやわらかい湯気が立っている。

 ちょうど二人分のソファは大人二人が座るにはやや狭い。肩と肩とがぶつかる距離。人肌、人との接触に慣れていない僕。避けようとしてもこのソファに逃げ場などない。かと言ってソファから離れるのも具合が悪い。

 意味のない葛藤を断念し、二人揃ってレモンティーに一口つける。さわやかでほのかな甘みが口に広がる。


 君が好きだったレモンティー。僕といた時もよく飲んでいた。僕も由依が好きだったなと自然と僕も買って飲んでいる。既製品だというのにひどく懐かしい味がしたのを覚えている。


 この家には君の好きで溢れている。君がいた時の面影を残したままだ。君を一時も忘れないように。由依がたくさん愛されていることがわかって、僕も幸せな心地になった。


 それから他愛ない世間話に花を咲かせた。どこに住んでるかとか。なんの仕事をしてるだとか。僕は誇れたもんじゃないけど。


「そんなことない、何をしてるかじゃなくて、何かしていることが私は大事だと思うな。」

「...ありがとう、夢乃さん。」


 遂には君の思い出話もした。夢乃さんからは由依の子供の時の話を、僕からは夢乃さんが知らない僕と由依との逢瀬も聞いてきた。小恥ずかしいけれど、由依を想う彼女には聞かせてあげたいなとも思った。


「不束な妹でごめんね。」

「いえ、由依には一杯救われましたから。僕に思うところはありません。」

「やさしいんだね。」


 そんなことは全然ない。むしろ夢乃さんのほうが俺の何倍も優しさを今身に染みている。けっこうな長話を楽しんで、空はもう黄昏時だ。これ以上のいとまはいけない。


「今日は本当にありがとうございました。僕はもうこれで。レモンティー、美味しかったです。」


 立ち上がる僕を前にして、夢乃さんは今日僕らが会った時のように、僕の裾をつかんだ。そのつかむ手は振りほどけば簡単に離してしまいそうなほど弱弱しい。わざとではない、だからこそ、無下にできない。


「どうかしましたか?」

「ねえ、夕飯食べていかない?」

「...でも」

「今日両親は帰ってこないの。誰かといたときだと、余計に一人で食べると寂しいじゃない。それとも早く帰らないといけないことでもあったりする?それならしょうがないけど...」

「そんなことはないですけど...」

「やっぱり私とじゃ嫌かな?」


 そんな風に縋り付くような目で懇願されたら、断れるはずもなく。僕は夢乃さんと一緒に夕食をとった。僕の最近の生活で誰かと食事をするなんてことは一切なかった。久しぶりだった。温かい食事をとるのも。暖かい食卓を囲むのも。


「虎太郎くんを見たとき、顔色が悪かったからお姉さん心配になっちゃって。」


 えへへ。とはにかむ彼女。テーブルに並べられた料理にはご飯、味噌汁、お肉や野菜といったおかず。それぞれバランスよく栄養が入った健康的なもの。それだけで僕のためを思って作ってくれたことが分かり、胸が熱くなった。


「...おいしい」


 本当に暖かい。僕の冷え切った心の芯まで温まるようだ。





「ごちそうさまでした。」

「おそまつさまでした。」


 食休み。夢乃さんに「休んでて」と言われ、もう一度入れてくれたレモンティーを飲みながら僕は少しの間くつろいでいたら、夢乃さんが何かを手にもってやってきた。


「虎太郎くん、これ...」


 受け取ると、そこには『虎太郎へ』と書かれた手紙。可愛らしい入れ物に包んである。


「前に由依の部屋を片付けてたら偶然見つけて」


 一度夢乃さんを見てから、僕は粘着力の弱ったシールを綺麗にとって、中の手紙を取り出した。

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